ちっともすすまない。
いろいろとすすまない。
手をつけてはやめ。
手をつけてはやめ。
いろいろと終らない。
たまるいっぽう。
終らない永遠もある。
ご飯つくりとか掃除とか。
生きてる限り絶対に逃れられない。
終らない。
いっそのこと放棄してしまおうかとも思う。
逃げられたら楽なのに。
もうめんどくさい。
やりたくない。
なんでこんなことやらなきゃいけないのかわからない。
お金があれば全部買ってすませる。
お金があればお手伝いさんに全部まかせて自分は遊びほうける。
家事なんて永遠の堂々巡りじゃないの。
片付けたと思ったらまた汚れて
ようやく片付いたと思ったら
また次の汚れが来る。
つまらない。
もうあきあきした。
日常生活ってつまらない。
でも人だらけの刺激の多い生活には疲れる。
気分はもう余生。
引退生活を送りたい。
とはいえ家事もしたくない。
かといって施設生活っていうのもいやだな。
ただのわがままか。
私、いったい何やりたいんだろうか。
それがわからない。
家事だってまったく嫌いなわけじゃない。
もともと嫌いだったけど、最近は料理とか掃除とかけっこう好きでよく頑張ってるなと自分でも思うのに…。
たぶんつまらないのはほんとにやりたいことがないからなんだろうな。
ボーっとネットみて、それはそれで好きだけど、これじゃあいけないって言う声も聞こえてくるし…。
まったく自由じゃない。
自分に対して自由じゃない。
本を読んだら読んだで、こんなことして何になる。
勉強したらしたで、こんなことして何になる。
自分のやることなすことにけちつけて…やりたいことを妨げて。
でも、たとえばだけど
事実本を読んで何になる。
好きだから、読みたいからっていうのだけじゃ本を読む理由にしてはいけないみたい。
そういえば本を読むのはあんなに好きだったのに。
息をするように読んでたのに。
なんで読めなくなってしまったのか。
ただ単純に好きでも駄目みたいだな。
昔は本を読むのを妨げる声は聞こえてこなかったもの。
何かをする動機づけってどこにあるのか。
今は何にもしたくないが1番大きな動機。
だから何もできない。
自明の理屈。
そして何もしてないことへの罪の意識があるっていうことが苦しみの源。
それでもほんとに何にもしてないのかと思いきや
けっこうしてる。
調子がよくないのにこれだけやれたら充分じゃないのっていうくらいはしてる。
それでも働きながら家事をこなす人
家事はしなくても一生懸命に働いている人と比べてしまう。
子育てしながらの人とかさ…。
人は人、自分は自分なのに。
だってうちの70になる母親のほうがフットワークは軽いもの。
私は普通にはやれなくてあたりまなんだけど、やれない自分が悔しいんだな。
ものすごく疲れやすくって
どう頑張ったって普通にはやれないんだもの。
そうそう私は疲れきってるんだ。
生きてるだけで普通の人には信じられないようなエネルギーを消費してしまうんだから…。
けっこうな量を食べてるのに
やせててうらうやましいっていう人だっているのかもしれないな。
それはそれで仕方がないさ。
自分の
人それぞれの運命なんだから。
あせったって何かできるわけでもないし。
いつか時が満ちて
病気が治ったら
その時にやりたいことを考えてみようか。
今はどうあがいたって無理。
家事でいっぱいいっぱいなんだから。