読書な日々

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『輪姦地獄のなかで』

2009年11月16日 | 現代フランス小説
Samira Bellil, Dans l'enfer des tournantes, Editions Denoel, 2003.
サミラ・ベリル『輪姦地獄のなかで』(ドノエル書店、2003年)

14才のときに集団による暴力、レイプ、輪姦に三度もあい、その精神的後遺症に苦しみ続け、やっと25才でこの本を書くことでそれから自分の解放することができた女性のドキュメントである。

サミラが13才のときに19才のジャイドという不良グループのボスに目をつけられたのは、芸術に関心をもち、地区の女の子とは違って中流っぽい雰囲気を持っていたからであった。しかし実際には、家庭内での抑圧の気晴らしをするかのようにユーロマルシェというスーパーなどに行って万引きをする常習者であった。

彼女はジャイドが好きになり、彼に強要されて彼の好きなところで好きなときにセックスをするようになり、大人たちにとっては「手のつけられない子ども」になっていた。ある日、ジャイドとセックスをした後に彼の子分たちに集団暴行を受け、そこへKがやってきて、さらに激しい暴力をふるい、無理やりあるマンションに連れ込むとポルノビデオを見せられて同じことをするように強要される。信じられないような行為をされたあと、知らぬ若者が二人入れ替わりに入ってきて、レイプされる。

家に帰っても自分が経験したことは口にできず、その夏は家に閉じこもりきりになった。しばらくしてRERに乗っているときに、またKに遭遇し、再びレイプされる。そのときも周りの乗客に助けてくれるように訴えたが、だれも手を差しのべてくれるものがいなかった。

そもそもサミラの生活そのものが二つの世界に分裂していたといっていい。彼女の両親はアルジェリア移民で、サミラがまだ生まれた直後に父親が投獄され、サミラの母は一人で獄中の夫の支援と幼子の養育を両立することが不可能で、ベルギーの子どものいない家庭に預けられていた。彼女はそこで、両親に心から愛され、自主性を尊重した人間関係を築く経験をしてきたのに、5才のときに自分の両親に引き取られて見出したのは、独裁的な父親による暴力と強圧の息苦しい家庭だった。一般にイスラム系の家庭では女性は男性に絶対服従することを掟とされ、いわゆる家庭内暴力は当たり前になっている。

次の年の9月から職業リセに入って通うようになった。芸術家の卵たちは礼儀正しくて、毎日心を入れ替えて通った。11月にソフィアという女性がKにレイプ未遂にあったポリーヌとクラリスという女性を連れてきて警察に一緒に訴えに行こうという。結局、そのためにレイプされたことを家族に知られてしまうことになった。訴えに行くが、警察での対応は、彼女を酷く苦しめることにしかならなかった。帰宅しても両親は何も言わず、理解しようともしない。家のまわりには得体の知れない男たちが徘徊しているし、強迫の電話もかかってくる。

唯一の慰めはリセに通うことで、そこでマチユーという学生と知り合う。ヴェトナムとアルジェリアの混血で、二人は離れなくなって、知り合いの家で同棲するようになる。空き家に入って強盗しては盗んだものをうりさばいて金をつくり、南仏に逃げようと話していたが、彼の父親が探しに来て、引き離されることになる。

家族の中でも孤立し、次の年の1月に父親から出て行けと言われ、母が見つけた施設に入る。6ヶ月そこにいて、その年の夏に父親抜きで母親と妹たちとアルジェリアにバカンスに出かけたが、そこで、夜に外で煙草を吸っているときに、地元の若者たちから集団レイプにあう。現地の警察に訴えたが、取り上げてもらえなかった。苦しみを理解してもらえない苦しみ、苦しみの連鎖が頻繁な心の叫びとなって、発作のような爆発を起こすようになる。母親の睡眠薬を大量に飲んで、死にそうになり、病院に運び込まれる事件も起こす。

1991年2月21日にKに8年の懲役刑の判決がくだる。じつは女弁護士がサミラに証人としての出廷の連絡をしなかったために、一番酷いことをされたサミラの証言がなかったための8年の刑で、もしサミラが証言していたらもっと重い刑になっていたのにと検事から言われ、苦しみが募る。

その後、旅行の企画会社の研修員として芝居、デッサン、外国語を学ぶ活動を行い、研修員としてキプロスに派遣されるが、そこで知り合った同じ研修員が盗んだカードで彼女に高級な服を贈っていたことが発覚し、解雇されてしまう。大麻煙草の吸いすぎで身体も心もぼろぼろになっており、発作も頻繁に起こる。

ダンサーとして生きていこうとしてダンサー養成のための入学コンクールを受けるが、そこで知り合ったダンサーに才能はあるのだから心と身体を治しておいでと言われ、その決意をする。ファニーという精神科医のもとに通うようになって、落ち着きを取り戻すようになる。その頃、自分の経験を本にしてみようという考えがうかぶ。

この時期にはサミラの家庭も変化していた。母親は離婚し、家の中も明るくなっていた。「かつて家を支配していた重苦しい雰囲気は、母が心に隠していた太陽にとってかわった。」母はバカンスで出かけたキプロスで知り合ったパリの弁護士に頼んで、レイプ事件を控訴審にかけるように働きかけ、彼のおかげで、ヴェルサイユ控訴審で勝利を勝ち取る。それをきっかけとして、ついに本を書くことに取り組み、精神科医のファニーが紹介してくれたジョゼの支えのもとに一年という年月をかけて、この本を書き上げることができた。

この出来事はパリの北部での話である。本当にあのあたりは治安が悪いといわれるが、信じられないような事件が本当に起こっていたわけだ。そんなことなどあり得ないような日本でさえも酔っ払って抵抗できなくなった女子学生を輪姦したなんて事件が東京や京都であったわけで、怖ろしい話だと思う。

そしてこの本は、そういう被害を受けた女性が立ち直ることがいかに困難な道であるのかを示している。日本ではそんな話自体が表に出てくることがないから、毎日泣いて暮らしていてもだれもケアする人がいないという現実があるのかもしれない。

とにかく衝撃的な本であった。

インターネットで作者のことを調べていたら、2004年9月6日に33才で癌のために亡くなったという記事にいきついた。そこにある作者の写真を見ると、このフォリオ版の表紙に使われている写真も作者のものらしいということが分かる。作者とは関係のないモデルさんを使ったのかと思ったら、そうではなかったようだ。

せっかく本を書くことでずっと背負ってきた苦しみというリュックを下ろすことができた矢先のことだろう。たしかにこれから新しい人生を歩もうとしていたに違いないが、でも心を解放したあとでよかったと思う。ご冥福をお祈りする。


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