仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

悪者は誰

2010年12月21日 | 現代の病理
取手市のJR取手駅前で、路線バス内の中高生ら14人が包丁で切り付けられるなどして負傷した事件。子どもが関係学校だったこともあり、報道の動静をみていた。

現行犯逮捕された同県守谷市本町、無職斎藤勇太容疑者(27)に関して、気になる情報は、報道がすべて容疑者の事件性だけに向けられ、“どこにでもいる一青年が、なぜこうした犯行に及んだのか”という社会の責任には無頓着であるという点です。

犯罪の個人バッシング化が進んでいます。あの犯罪を犯した当事者がわが子であっても不思議ではないという想像は容易に持ち得ることです。何が問題なのか。これこそ犯行以上に大きな問題だと思う。

拙著『ありのままの自分を生きる』(徳間書店刊)に次のような老子の逸話が掲載されています。

時の皇帝が老手(周代の哲学者。道家の祖)を宰相に迎えようとして彼を招いたが、老子はあっさり断わってしまった。彼は語った。「私はお役にたてません。なぜなら、私たちが同じ結論に達することは不可能なことです。上帝は先祖から受け継いでこられた理想にしたがって生きておられます。私は、私の理想や思いにしたがって生きているのですから」

 しかし、皇帝は自分の判断で老子を迎えることにした。

 老子が宮廷に招かれた最初の日のことです。

泥棒が都いちばんの金持ちのところに盗みに入って、現場を取り押さえられ、しかも自分が盗みに入ったと自白していた。老子は、その金持ちの男と泥棒に両方とも六か月の禁固刑を言い渡したというのです。 たまらないのは金持ちです。「なんですって。私は盗みに入られたほうですよ。なんでその私か牢屋に入るんですか。盗みに入られたほうが罰せられるなんて、いまだかつて聞いたことがない。気は確かですか」

 老子は、「実際は泥棒よりもおまえのほうが長い刑期を言い渡されてしかるべきだった。

私は慈悲深すぎたかもしれない。なぜなら、おまえは都中の金をかき集めているからだ。これらの人が泥棒をせざるをえなくなったのはだれのせいかといえば、おまえにその責任がある。だから、彼がおまえの財産からほんの少しだけ盗もうと、それはたいした罪ではない。その金はもともとおまえが取り上げた多くの貧しい人々に属するものだった。おまえはどんどん金持ちになり続けたが、その一方で多くの人がどんどん貧しくなっていった。

あらゆる窃盗事件について、私の判決はこれと同じようになるだろう、双方が処罰されてしかるべきなのだ」

 金持ちの男は考えた。この男は頭がおかしいようだ。完全に狂っている。そして「どうか私に皇帝にお会いする機会を与えてください」と老子に告げる。 

彼は皇帝に会うと一部始終を伝え、「あの男を宮廷から追い出さなかったら、あなたもいずれは牢屋に入れられてしまいますよ。あなたの全財産は民衆から吸い上げたものだからです。もし私か罪人ならば、あなたは重罪人ということになりますよ」

 皇帝も老子の論理がどういうものかわかってきて、老子の職を解いたという。(以上)

一人の人が罪を犯す。そこには罪を犯させてしまったという社会の責任があるということです。社会の責任を一切こころみることなく個人の責任にしてしまう。これは1つの社会の病理だと思っています。
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歳をとって分ること

2010年12月20日 | 浄土真宗とは?
ご法事で一緒に『阿弥陀経』を読むことが多い。昨日も何件かでご一緒しました。お経と5分ほどの法話を終え、雑談での話です。85歳のなるご老人が言われます。

昔、両親は仏前でお経をいつも読んでいました。私は“お経の意味もわからないので読んでも意味はない”と思い、いつも高いところから両親を見ていました。いま85歳になりますが、この歳になると、意味がわかる、分からないは、あまり重要でないように思われてきました。仏壇で低頭し、仏さまのお言葉に触れる、そのことがとても重要だと思われます。(以上)

分る、分からないというレベルは、人間の皮相的な問題の解決になるが、分るわかならいと言っている私そのものに、切り込んで下さるのが仏語なのでしょう。ここまで書いて、ふとご門主の言葉(「今、ここに生きる仏教」より)を思い出しました。(以下転載)

私たちの教団に対してもわかりやすいということが要求されます。ひと言で言ってくださいとか(笑)。しかし、わかりやすいということは、大事なことをわからなくさせる危うさがあります。仏教は言葉がわからないからよくわからないという不満がよく聞こえてきます。たしかに、一般には使かわれていない言葉が多いので、わかりにくいのは確かなのですが、本当にわかりにくいのは言葉ではなくて、言おうとしている内容のはずなんてすね。数値化できるような常識ではなく、人間存在の難しさをあらぬしているのですから。 ですから、たとえ仏教専門用語を外して説明できたとしても、わかりにくいということは、あまり改善されないのではないでしょうか。わかりにくいのは内容なのであり、そういう教えの考え方になじんでいないから、「愚かである」と言われたらびっくりしてしまうし、「罪深い」と言われたら受け入れられない。(83項)

そうです。言葉で表現できることって限界があります。だからこそ、さまざまな分野で芸術的な表現があります。しかしその言葉となって、私を救うというというのも阿弥陀如来の願いです。
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帰洛路を歩くー5区

2010年12月19日 | 日記
「親鸞聖人の帰洛路を歩く」の第5区が昨日あり、当寺世話人のNさんが、手記と写真を届けてくれました。(左下ブックマーク「帰洛路を歩く」参照)

どうもこの企画の、それぞれのパートでのだいご味は、到着した時、多くの人が迎えてくれる“感動のゴール”のようです。

前区でも、歩いてくれたTさんが、下記のメールを送ってくれました。

皆さんのご協力により無事到着しました。特に、かしわ青光苑での出迎え、そして高林寺での菅原御住職はじめ大勢のご門徒さまからの出迎えには涙がこぼれおちました。(以上)

私はマラソンや駅伝をしたことがありませんが、きっとマラソンのゴールは、孤独の中で自分との戦いを終え、多くの人に迎えられる体験で、この感動が“また次も”となるのかもしれません。

自分の到着を待っていてくれる人がいることは、心強い限りです。

私の歩くパートは、来月29日(土)、箱根の山上りです。
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自分ってそうなんだ!

2010年12月18日 | 日記
今年もあと2週間だという。2週間と聞いて、ふと気付いたことがあります。それは私の悪い習性とでも言うべきものです。年賀状でも、ある程度のものを作成しなければと思っているが、25日のぎりぎりになって、やっつけ仕事のようにとりかかります。良いものを作れない言い訳として“時間がない”が作用します。

法話会出向にしても、前日になって何を話すかと考えます。内容のなさの言い訳として“考える時間がない”が効果を発揮します。すべてがそうですが、どうも刹那刹那にその時の風に吹かれていく傾向があります。

“自分ってそうなんだ”、これが今の気づきです。そのことに気づいているかいないかは、結構、大切なような気がします。自分の中では、しっかり考えたり、準備したりすることが“嫌なこと、面倒なこと”に分類されているようです。
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久しぶりの日輪

2010年12月17日 | 日記
日本列島が冬冷えのような気候です。ここ柏も朝7時過ぎの外気温は氷点下でした。朝、朝と言っても星空の午前5時、ウオーキングスタート。今日は天気が良いので朝焼けでも写真におさめようとデジカメをもって出発。この辺の日の出は6時44分です。なので近頃は、日の出前に帰院しています。

6時10分ごろ朝焼けが見える場所へついたが、天気が良すぎて空全体が明るくなるばかり。では日の出をパチリといこうと、20分ほどあるいて、また元と場所へ到着。ところが待てども光輪は姿を現さない。近くをぐるぐる回りながら待機。

待ち遠しいという気持ちに、阿弥陀さまが反応して下さった。「あなたの口からこの念仏が出現するまでに、どれだけ待ったことか」。何やら有難くなって、大きな声で「なまんだぶ、なばんだぶ…」と歩きながら称え、太陽のお出ましを待った。

やっと48分ごろ日輪が姿を現した。寺には7時過ぎ帰院。遅いお朝事となりました。次の日の出を拝むのは、晴れている場合の元旦です。
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