仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

今年の大笑い

2010年12月28日 | 日記
読売新聞読者欄(22.12.28)に、「今年一番の大笑い」というタイトルで読者からの投稿が掲載されていました。

“さて私は”と考えると2本あります。1つは8月2日にブログ書いたこと、もう1つは12月9日(西原ブログ)に書いたことです。

以下一部転載です。

それはK氏が語ってくれたことです。話を聞いたときは可笑しくて涙が出た。

先日、K氏が繁華街の歩道をスーツを着て歩いていると、腕に“保護師”(?)という腕章をつけた団体が数人でテッシを配っていた。対象は老若男女を問わず通りすがりの人に手渡している。なんだろうと思いながら横を通り過ぎると、自分にはくれない。次の腕章とつけた配布人も自分をスル―してしまう。次の配布人も自分だけに配る様子がない。たまらず“何を配っているのですか”ともらいに行ったという。その配布物には「暴力団撲滅キャンペーン」と書いていあった。そのスジの人と間違えられたのです。

これが笑いごとではなく、その人はそのスジの人と見間違われることが何度もあったと過去の出来事を話すのだから、そのKさんが困っていれば困っているほど、可笑しくて笑いと共に涙がでた。(8月2日転載)

Kさんは本当は、とても紳士です。次も転載です。


二次回の会場が、居酒屋の2階でした。靴脱ぎ場に、われら(10人)の靴が脱ぎ置いてあったので、私がゲタ箱へ入れていると、少し大きめの皮靴がかなり重い。重りを埋め込んだトレーニング用の皮靴があるのかと思った。宴会が終わって、“あの靴は一体誰の靴か”、興味深く見定めていると友人のOさんの靴でした。

表へ出て“Oさんの靴は重い”と皆に紹介すると、みんなで脱いだ靴をもち上げて「重い重い」と面白がり、靴が重いから歩き方が左右にぶれてがに股になっているとか、Oさんの歩き方を大バーに真似して大笑い。Oさんも「トレーニングではいているが、あまり重いのでタクシーを利用することが多い」というのでまた大笑い。楽しい夜でした。(12月9日転載)

 上記の②つから見出される私の大笑いの傾向は、滑稽なことに集約されるようです。人が困っている様子や、人をおとしめた状況を大笑いするのは、品がいいとは言えません。

大笑いにもクオリテイー(質)があります。“ああ、この未完成のまま私は終わって逝くのだろう”。それが今の感想です。
コメント
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