仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

大学でのいじめ?

2010年12月27日 | 現代の病理
 新聞(産経22.12.27)の三面記事に“インド人学生自殺 ズボン脱がされ、あだ名は「ビンラディン」 親友が“いじめ”証言 ”という見出しで、大学生のいじめによる自殺記事が出ていました。

“大学生”という点と、人種差別という点に興味を感じて記事を見ました。

 追手門学院大学(大阪府茨木市)に通っていた在日インド人の男子学生=当時(20)=が大学でいじめを受け続けたとする遺書を残して自殺した問題で、男子学生が複数の学生から人前でズボンを脱がされたり、イスラム過激派テロリスト「ビンラディン」とのあだ名で呼ばれるなどの嫌がらせを受けていたことが26日、分かった。…

男子学生がたびたび嫌がらせを受けていたのは、遊び仲間だった複数の学生。人前でズボンを脱がされたり、花火を直接向けられたりしたほか、本名ではなく、「ビンラディン」と呼ばれるなどしていたという。
 また「お前をいじることが最近一番楽しい」「お前を見ているとなんかイライラする」などの暴言を吐かれることもあったという。
 男子学生は親友に対し、「最近、パシらされる(使い走りをさせられる)ことが多い」などと打ち明けることもあったという。(以上記事抜粋)

小学生や中学生が行うようないじめの具体的な素行が紹介されていた。“日本人のこの未成熟さは、どうしたことだろう”と疑念がよぎりました。

いじめによる小さな優越感、あるいは他者を踏みつけることによって得られる権力者としての快感、最高学府である大学で日常的に行われていたことに驚かされます。その幼児性は、決してこのたび罪をつくった者たちだけの問題ではないように思われます。

人と人との違いを見出せない変な平等観と、将来に明るい希望を見出せない閉そく感の中で、現実の小さな差異になかに、ゆがんだ行動によって小さな蜜の味をあじわう。記事を読んで広がったイメージです。

先日、ビハーラの学習会で下記のようなある患者さんの逸話が紹介されていました。

救急車で運ばれてきた乳がん肺転移患者38歳女性が、ボンベからめいっぱいの酸素を吸入しながら、ストレッチャーで病院に転院されてきた。患者は医師にあったとたん、 「先生、私、死なないよね、死なないよね」、……という。状況は、酸素吸引の状態で、誰がみても助からない状況であることがわかった。

翌日はちょうど病棟は桜の花見の日でした。
本人の希望で桜の花の下に、ストレッチヤーで運んだ。
患者さんは「桜はきれい、きれい」と喜び、顔のこわばりがなくなって、しあわせそうであった。苦しいことばかりの中で、瞬間でも人は幸せを感じることがある。
2日後にその感謝さんは亡くなった。(以上)

自然の風景の中に、小さな自分が洞察されていくということがあるようです。あるいは、雄大な大自然のパノラマの前に立ち“人間って小さいなー”といった感慨をもつこともあります。

こうした自分を小さいと感じる感覚の喪失が、恵まれてあることへの気づきを阻害し“ゆがんだ行動によって小さな蜜の味をあじわう”といった行動の底辺に横たわっているようにも思われます。
コメント
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