仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

回遊式納骨堂が売れている

2010年12月14日 | セレモニー
宗教教団というものは、一定の勢力を持つようになると、社会的な安定性を求めるようになり、その時代の知識人の理解に相反しない方向を志向する。そしてドラマチックに苦しみを解放する非現実的な教えから、常識的にあまり違和感のない日常を支える修養や教育、文化といった面で、教団存在の意義を発揮するようになります。

浄土真宗も大教団であるだけに、そうした傾向は必然としてあります。個々の僧侶も、“往生成仏や生死解脱といった”本来の説教から、日常生活に役に立つ程度の説教に陥りやすい傾向にあります。これは私自身の経験としても否めません。

なぜなら多くは宗教を求めていない人に、宗教を説くのですから、お茶を濁す程度ですませがちになるのです。


また反面、真宗僧侶は、純粋な成仏の原理を説かねばらないという欲求があり、現場の門信徒は先祖供養や修養など、自分の欲求の範囲内で宗教性を寺院や僧侶へ求めます。その僧侶と門信徒との浄土真宗に対する意識のかい離が、教団の致命的な欠陥でもあります。

理屈はそのくらいにして、実際に先祖供養するという意識が急激に衰退しています。都心では、ビル型のカードを入れてお骨が出てくる回遊式納骨堂が爆発的な需要があります。大手の㈱はせがわなどは、都心で2.3か所、納骨堂をオープンしたら2年間で4000基販売したと聴きます。毎月200基は、墓地経営の点からでも驚異的な数字です。

お墓が先祖から“あなた”を追悼する場という意識は、首都圏民衆の5割に迫るという感じがします。

こうした時代なればこそ、宗門も先祖供養に意味を宗門外の人に対しても、情報提供しなければならないと思われます。(つづく)
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