仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

先祖供養

2010年12月15日 | セレモニー
法事の席でした。「妹の方が両親のお墓を継承します。独身の私は、今後、どのように故人を追悼して行ったらいいですか」(意趣)。真剣な質問というよりも、法要までの時間つなぎの中で、心にある思いを吐露されたといった状況でした。

「お仏壇は、故人を追悼するためのものではないので、ぜひ仏壇を」という答え方もあったが、理屈を言ってもどうにもなるものではないと思ったので次のような会話になりました。

「ご両親のことを追悼する、あるいは感謝する思いになるためにお仏壇を置くのですよ。こうしてお墓へ来て、その思いになる。あるいは日常生活の中で、ふとそうしたことを感じる。その思いになることが重要なのだと思います。家庭に小さくてもお仏壇を置くと、その前に座るといつでも、そうした思いの中に自分をおくことができますから、お仏壇をお迎えになられたらいかがですか」

結論から言うと、“先祖供養が大切”するという形が重要なのではなく、“先祖を貴び先祖に感謝する”心が自分の上に整うことが先祖供養の核心なのだと思います。

これは念仏も同じです。“念仏を称える”ことが重要なのではなく、“念仏を通して如来の存在を感じる”ことが大切なのだと思います。

形が重要なのではなく、形を窓口として広やかな世界に出会っていくことです。その広やかな世界に開かれていく窓口として先祖供養や念仏が重要なのです。
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