仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

当たり前のことが欠落している現代

2010年07月30日 | セレモニー
浦安のディズニーランドの真横に、浦安斎場という式場つき火葬場がある。2階の廊下からテーマパークのアトラクションの装置が見え、東京湾の対岸の東京のビル群が広がる。

その会場での昨夜お通夜。玄関を入ると「西方寺さんですね」と親しげに声をかけてくれる葬儀業者。以前、柏市の葬儀会社に勤めていて、私のことを知っていてくれる人だった。

3年くらい前、市川の斎場で一度会って、「今は小岩の某葬儀会社に勤務している」と、その時も親しく声をかけてくれた。私は柏での勤務、また市川で一度会ったことを、良く記憶していたので、控室で話が弾んだ。

「“おくりびと”の主人公、現人物は女性で私が指導した人なんです」と、5年間、死に化粧を専門とする会社に勤めていたこと、その会社である電気コードを巻きつけて自殺した青年を担当したこと。その青年の悲惨な形状に、死体をさわることを拒む親族に、懇願して「もし結果が満足されなかったら、料金は結構です」と施行して満足してもらったこと。その時、ある種の達成感を覚え、会社に辞表を書いたこと。その後、一度会った時勤めていた小岩の葬儀支店を立ち直したこと。そして両親の介護などもあって、支店を立ち直したという達成感の中で退職したこと… …など、これまでの職業歴を話してくれた。

私は「あなたはある種の達成感を覚えると仕事を止めてしまう。目標設定が低い。だれかそんな時に相談できる人がいればいいなのだがなー」といいながら、脳裏を現代の病理の一面、また僧侶の怠慢がよぎった。

現代は師をもつということがない。師は大げさでも、限界に至ったとき、またその前に相談するという人間関係が欠落している。おそらく昔は寺の住職や上司、先生が事に当たってきたのだろう。

寺の住職は何ができていないか。この当たり前のことができていない。よぎった思いを言葉にすればそんなところです。さてこれから浦安での葬儀へ出勤です。
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