法話メモ帳より
故保利茂(衆議院議長) 「一誠の道」―築地聞真会の朝―(築地聞真会発行)
「東京には空がない」、佐賀県の美しい空を離れて東京で暮らすようになって、高光光太郎が、その心病む妻の文字にしたそのことを、本当に感じるようになった。ところがふとある朝、私はその「空」を発見した。
聞真会に出席(本願寺の門徒出身の国会議員でつくっている超宗派の会)しようとした。早朝の集まりなので目黒の家をかなり早くでなかればならない。また秋から冬にかけて早暁の感がある。目黒から築地へ行く途中、車のフロントガラス一杯に光が差し込んであるのに気づいた。澄明な朝の光、車を停めて外に出て、あふれんばかりの光を堪能した。その東京の空に郷里の空のひろがりを見た。
そのすがすがしい思いのままにご法座におまえりをした。おつとめは「正信偈」「煩 悩 障 眼 雖 不 見、大 悲 無 倦 常 照 我(煩悩、眼(まなこ)を障(さ)えて見たてまつらずといえども、大悲ものうきことなく、常に我を照したまう、といえり。)」、この御文にくぎづけとなった。唖然として「正信偈」を続けるのを忘れた。
「そうだったのです。私が今朝に見た朝の光を仰いだ感動は、まさしくこれだったのです。煩悩の雲に妨げられて、太陽の光を直接浴びることが出来なくとも、太陽は倦むことなく頭上を照らし続けていた。」
政治の道に入ってから「百術は一誠に如かず」という言葉を座右におき、それを政治に携わるものの信条としていた。百の政治技術や手練主管を用いるより、一つの誠のほうが人を動かす。「至誠天に通ず」そう決めてきたし、またその通りだった。あやまりはなかった。
ところがこの朝、朝の法座にまえりの途中で東京の青空を見た。「正信偈」の「煩 悩 障 眼 雖 不 見、大 悲 無 倦 常 照 我」の御文に接したとき、そういう私の「誠」という信念にも一つの思い上がりがあることに気づかせていただいた。誠とは「自分は誠実である」という意識。しかし、それはあくまでも政治家保利茂としての私の立場であるのに、人間保利茂もまた、その結果「自分は誠実である」という思いに臆面もなくのめり込んでいたのではないか。(以上)
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