二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

雪、散歩

2013-01-16 12:26:45 | 徒然に想う
今朝もまた雪を踏みしめる。片栗粉を押したときのキュギュという感覚はなく、バリ、バリ。昨日より足の沈む深さは減った、でも、バリバリは強くなって。

ボォ~っとした雪明かり。ライトを消したいが、あちこちに不気味な黒い落とし穴。落ちるのじゃなく、弾かれ滑り転ぶ。かろうじて、ライトの光で凍ってるのが判る。消せない…。

遊水池にも神社にも枝が散乱。老木の幹なんか折られてた。湿った重い雪、春雪じゃないのにね。

犬たちのはしゃいでる足跡。子供たちは雪合戦したんだろか、雪遊びは? 雪だるま、見かけない。降ったタイミングが悪かったかね…。そうね、何事にもタイミングは大切だから。





今日の一枚:カワセミの川の土手の上。雪の表面、ライトを横から当てて。5時過ぎのこと。

今日の雪

2013-01-14 16:23:37 | 徒然に想う

朝起きた時には雨で雪になるとは想像だにしていなかった。明日の電車が動くかどうなるか、ほくそ笑みながら期待してる。

家の駐車場に出て積雪の高さを測ってみた。写真で8.5センチ。この物差し余白があって、0センチが切ってある。その余白が0.5。9センチの積雪ってことになる。測りに行ったのが16時頃、霙もしくは雨になっていた。

 


秩父、再開

2013-01-13 17:17:35 | 徒然に想う
どうも体が土の香りを求めてきた。いつも伺う小川町の農家さんに伺うと、今日はお休み。さてと…。

秩父へと足が向かっていた。秩父鉄道の浦山口駅から29番の前で再開の報告をし、30番、31番と打って小鹿野町役場まで歩く。お花畑駅が8時22分発の三峰口行き。8時45分頃だろか、歩き始めて。31番が14時頃。小鹿野町役場前が15時15分頃。距離は確認してないが、きっと20キロ超、25キロ以下。あれからデータを残す気がしなくて、目についた時間だけ。

神棚や外宮を木で作られてる小父さんや里芋を調整してた小母さんと話しができた。他にも数人、地元の方たちと。小鹿野町にでた時、犬の散歩をしてた高校生位の女の子に「こんにちは!」 いやいや、これは嬉しかったですな。

歩くのがいい。都市は大嫌いだが、小さな町や街がいい。ホッとする。間違いなく一見さんなのに、挨拶をしてくれる。邪魔してるに、付き合って話してくれる。仮面をかぶった羊たちの群れたちではない。甘えてるんだろか、いや違う。失ってきたものを取り戻させてくれるような気がするからだ。帰りの電車の中、もう次を考え始めた。



今日の一枚:31番に向かう12時半過ぎ。太陽の左右に、アークというか擬似太陽というか、虹色に輝く雲。電柱の右側辺りに、色がでてない、が…。

第三次 お四国参り - 総括 装備編

2013-01-12 16:10:09 | 遍路

関空に向かう時、ザックを見た印象が小さいと書いた。どれだけのものを用意したか、以下の通り。総重量11.1キロ。ここから着用するものを引くと、9.6キロ。結局、行動食やお茶などが入ったりして結局10キロ弱を背負って歩いていた。

装備:

  1. 半袖Tシャツ(ヒートテックx2)
  2. 下着(山用x2)
  3. 靴下(山用x2)
  4. 手袋(雨時用1、防寒1)
  5. ネック・ウォーマー(帽子、目だし帽にもなる三徳)
  6. 行動時のシャツ(ユニクロの長袖x2)
  7. ズボン(ひざ丈で半ズボンにできるようになっていて、ポケットが多いパンツX1)
  8. 雨具(ポンチョとセパレート・タイプの下)
  9. ライト・ダウン
  10. 山ジャケ
  11. ジャージ(下)
  12. タオル(水泳用x1、普通のものx2)
  13. スポーツタイツ(CW-X)
  14. ヘッドライト(単4x3、山用)/ 自転車で使うテープ状の反射板
  15. 水筒
  16. 携帯の充電器
  17. カメラの電池の充電器
  18. GPS用の電池の充電器
  19. 予備電池(単3x2、単4x3、カメラ用x1、GPS用x2)
  20. 洗濯バサミx3
  21. 歯ブラシ、歯磨き粉
  22. 洗剤x4
  23. エマージェンシー・シート
  24. 細引き(1.5メートル)
  25. マキロン
  26. バンテリン
  27. 胃薬 / ビタミンC
  28. 液体バンソウコ
  29. 爪切り
  30. デジカメ
  31. ガーミン(GPS)
  32. コンパス
  33. メモ帳
  34. ボールペン
  35. マジック
  36. 「わら一本の革命」(B5判180ページ)
  37. 防水地図カバー
  38. 財布、家の鍵、スイカ、小銭入れ
  39. ザップ
  40. ナップ・バック(さんや袋の代わりに)

お参り用品(白衣と金剛杖以外):

  1. 納経帳
  2. 納め札
  3. 般若心教
  4. 地図(遍路みち保存協会編)
  5. お線香
  6. ろうそく
  7. ライター(x2)
  8. お賽銭
  9. 菅笠

 

無駄を省いたつもりだったが、あまり使わなかったもの・さらに省けたのではないかと思える物があった。まず、8のポンチョ。緊急時のツェルト代わりもあるが、防寒具としても考えていた。これはホント季節による。12月、これは全く防寒にならない。第二次の時は重宝したが、今回使ったのは松山に着いたその日だけ。防寒として、それ以降、10の山用のジャケットばかりを使う。こちらは十分耐水性もあるし風も通さない。暖かいとはいえないが、ヒートテックのTシャツとユニクロの長袖にそのジャケットで十分だった。もちろん寒波のタイミングもあったが、防寒として備えていた5と9は行動中使わずに済んだ。これらは宿に入ってから使った程度。4の手袋、防寒用のものは毎日使った。雨用に用意したものは結局使わずに終わった。31のGPS。記録をと思ってのことでもあったが、もちろん迷った時の対策。スイッチのオンオフが上手くいかなくなってしまい、結局三日分くらいしか使っていない。ただ、伊予和気からは横峰寺や雲辺寺のような山をいくことはあっても、大概が人里や街中。何かあれば地元の方たちにうかがえたろうから必要だったか。第二次の時は金剛福寺以降、メインではない山中のコースを選んでいて重宝した。どこを歩くかによるってことかもしれぬ。ただ、地図とコンパスがあれば十分。15の水筒。最近出ている山用のハイドロシステム対応のジップロックのような袋状のもの、ザックのサイドに着けられる。これは今回使わなかったが、第二次の時になくてはならないものだった。いつなんどきでも忘れちゃならないだろう。

重宝したものとして、防水が効いてるデジカメ。記録だけでなく地図として大いに役立った。次の日の行程の分を撮っておく。すると翌日雨の時でも地図を濡らすことなく、位置を確認できた。しかもポケットに仕舞える。雨の中濡れないところを探しザックを降ろし開けて、なんてことをしなくて済んだ。これにGPSが付いていたら…。意外だったのは、雨具の下。防寒にもなったし、ズボンの汚れを防止するのもの役立った。二つ持っていたライター。寒さで一つがつきづらくなった時があって、交互に使って難を逃れた時がある。

最後に靴のことを記録しておこう。クッション性もあり通気性も良く使い勝手がいい。普段の散歩のときに愛用してる。が、どうもこれ、二週間ほどしか使えないのではと思える。次の写真のように底はそれなりに減る。それはしかたない。問題は、横になっている物のつま先あたりを見ると裂けてきているのが判る。ここだ。拡大したのが二枚目。歩き遍路はそれだけ過酷な状況になっている、とうことだろう。第二次の時も同じモデルの色違いを使っていたが、おなじ様なところが裂けていたことを覚えている。これを通し打ちで使っていたら、と不安になる。通すのなら、違うものを探さねばならない。

 

さてさて、後は高野山へのお礼参り。コースは九度山駅から町石道を歩くつもり。もう少し調べなければならないが、もうこれほどの装備はいらないだろう。三月か四月にと思っている。楽しみである。

 

 

今日の一枚:12月4日に行く前の写真がある。それと比べても、苦労かけたなぁ、と。杖や笠と同じで戦友のよう、捨てるに捨てられぬ。

 

 


春、遠し

2013-01-12 11:56:37 | 徒然に想う

遠目にもう木々が春の準備を始めているように映る。朝の遊水池の木道からから見る木の枝々の先端に気が満ち始めているというのか、どこかボーっとオーラのようなものを出しているように感じるからだ。これからまだまだ寒くなる。本番はこれからだろう。だから、春恋しくてそんなことを思ってしまうのかもしれない。

 

≪枝の先 力ひそませ 冬木立≫

 

 

 

 今日の一枚:1月6日に撮った一枚。遊水池にて、7時50分頃。


お接待のこと

2013-01-10 21:59:50 | 遍路

76番だったか、そのお寺に向かっていたときのこと。小父さんがよってこられ、親指大のお地蔵さんをくれた。自分で焼いたもの、家まで持ち帰ってください、「どうぞ、お気をつけて」と。

「お兄ちゃん、これ持って行け」とミカンを二つ。海岸沿いの国道、小さな集落。おばあちゃんが車庫から出てこられ差し出してくれた。その日は寒く喉が渇いても水分を取る気がしない。しかも、乾燥した風に吹きさらされてるのか、よけい喉が渇く。だから、そのミカンは助かった。しかも、歩いている時の食事は生野菜や果物が注意してても不足勝ち。よけい嬉しかった。

あるビジネス旅館に泊まる、そこの女将さんと話し込み…。そこは素泊まり。食事のおすすめ、お惣菜の買える店、コンビニの場所を伺って、夕飯に出ようとすると「おばちゃんの分、美味しいもん買うてきて」。お接待というと受ける、頂く側ばかり。申し訳ない気になる。しかし、この女将さんの一言は、それまでのお接待とは反対。こちらができるお接待もある。

「お気をつけて」「おはよう」「行ってらっしゃい」 いろいろな言葉を頂いては歩いた。「雨ばかりでゴメンなぁ」なんてのも。結局のところ、気持ちの交流がお接待なんだなと。そう、だから気持ちの交流を断ってはならない。この交流さえしていれば、差し出されたものを断っても失礼に値しない、ってことなんだ。一回位歩いたからって何知ったかのようなこというか! その通り。でも、やっと二週間、落ち着きもどせてきた。





今日の一枚:ハマチの腹あたり、スミマセンです。夕ご飯で大将の処で頂きました。ものすごくうまかった。


片鱗か…

2013-01-08 22:16:13 | 徒然に想う
ノアのことを考えてたら、「その時」に備えるのは「自身」だけでなく、「周囲」も始めるのではと思えてきた。もちろん、老犬ノアの事を考えてのことだから、どこまで広げられるか、一概に言えない。が、人間が例外ということもあるまい。すると、第三次の総括の中で登場していただいた三人の小母さんたちの話が別な角度から見えてきた。

彼女たちの「寂しい」は「周囲」が始めた「準備」を感じ取ったからではあるまいか。「自身」、そんな事するんじゃないよ、と言いたい。でも、「周囲」は決して意図的に行動にしてるわけじゃないから具体的になにもない。「自身」は言いたい、が、根拠…。尚更、何かを感じる。

暖かいだろうと毛布を小屋にかけるが、動かない姿は見たくない。もし動かない姿を見つけてしまったら…。近くにいたいが、目をそらす。そんな「周囲」の行動は、意図されたものじゃない。でも、それは連綿と遺伝子で受け継がれてて、知らずに「自身」が自然と「周囲」から伝わってしまう。

「このこと」は、老犬ノアだろうと、庵主だろうと小母さんたちだろうと誰にでも平等にくる。ただ、偉大な違いが一つある。ノアはその事を含めあらゆることを素直に受け入れてる。一方、我々はどうしてか受け入れてない、長い長い「準備」を要する。…あぁ、庵主は果たしてどれくらいあがき続ける必要があろか。





今日の一枚:やっと今日が終わった。22時頃、家の近く。シャッターを切った時、携帯を落とした。

ノアの思い、庵主の思い

2013-01-07 19:52:37 | 徒然に想う
昨日は足を延ばし、10キロほど歩いてみた。足は問題なかったが、靴のへたり具合がやはり酷く快適とはいかなかった。その距離になると、老犬ノアのところも回れる。

相変わらず腰が痛いのか、引けてしまい上手く歩けてない。もしかしたら目もよく見えてないかもしれぬ。鼻先に手を近づけてみると、匂いを嗅ぐ(それとて、ハッキリしてなさそう)。で、さっと手を引くとビクッと全身を震わす。もう、体が意にそって動いてるようではない。排泄のために小屋から出るが、戻るに戻れない。困惑気な顔してた。

タスマニアのジェラルディンは、動物を飼うには愛玩だろうがそうでなかろうが、人間がその自由を奪っているのだから世話をするのは当たり前だと言う。朝の搾乳の時に納屋の中をきれいにしてあげるのは、当前。だから、牛たちも喜んで乳を分けてくれ、世界一美味い“カウ”プチーノを堪能できる。

年老いた犬、飼われている方とも話した事があるが、には愛情が薄れてしまうのだろうか。元気なころよりずっと小屋の周りが汚れてる。小屋には毛布がかけられ暖かそうなんだが…。ちょっと可哀想になってしまった。ジェラルディンとある方の話しを思い出しながら、来週も来るよ、とそっと話しかけてみた。聞こえたろかなぁ。





今日の一枚:昨日の7時半頃、黄金に輝く土手の道を遊水池に隣接する公園に向って進む。右手側が、カワセミの川。

すごい発見をした

2013-01-06 09:27:40 | 徒然に想う

何だろう、春眠暁を覚えずには早すぎる。寒くて布団から抜け出せないのも事実だが、気が付くと6時だった。ゆっくり支度をして散歩へ。

しっかり霜が降り、公園の池が凍りついている。カワセミの川の流れの緩やかなところ、薄氷。遊水池に出れば、凍っていないものの、水蒸気が沸き逆巻いている。木々が白く、樹氷のようにも見える。

朝陽が当たるとぬくぬくとしてくる。立ち止まると足下から冷るが、太陽が当っていると温まる。この力は、ほんとに、すごい。

遊水池の中、手の届くところにいろいろな木が植わっている。なんとか柳の枝を手によく見てみた…。あぁ、そう、なんだ。

 

≪凍てついた 枝と小枝に 春宿る≫

 

 

今日の一枚:7時45分ころ、遊水池にて。


第三次 お四国参り - もう一つの総括

2013-01-05 17:00:01 | 遍路

もう一つの総括、というのもおかしな話ですが…。今回とにかく毎日歩き続けたのは、既にご報告した通りです。それが今になって実に悔しい。雨勝ちでなかなか地元の方たちと話せなかったのは幸い、うつむきながら下を見みてひたすら歩いてた。これが、今回の拭いようのない私の姿です。なにをしてきたのだろと思います。

香りの記憶や風景。お接待や頂いた言葉。もちろん沢山のことがあって、そんな悔しさを凌駕します。結願したという満足感もあります。ただ、朝の散歩の時にその悔しさがフツフツと湧いてくる。どうしようもありません。

坂出に泊まった時ですから、第八日のことです。七年越しで結願されようとされている歩きの方とお会いしました。それから、その日以降同じようなリズム。九日目は屋島寺まで打ち、十日目には大窪寺まで打って同じ宿。十一日目は、切幡寺まで並んで歩きました。その方、働いており、日程が厳しいなか結願を目指してらした。十日目の夜伺ったところ、私同様八日目の最後宿近くの白峰寺は打ち切れず翌日に、屋島寺、大窪寺はなんとか納教の受け付け時間の締切に間に合わせる。そんな様子になっておられた。

サラリーマンの区切り打ちの宿命なんでしょうか。今回はあそこまで打ち切ると決める(目標を設定する)。休みはいついつまで。それまでに戻る(期日の設定)。そして、性として成し遂げることを第一義に置き、余裕のない日程になっても、無理をしても、達成を目指してしまう。お遍路の場合、そんなことにとらわれる必要はない。自然に対し目を開き、先達や地元の方々に耳を傾け、自由にすればいい。そうしたら、もっと結願をかみしめ味わえたと思う。歩く、話すをもっと楽しめたと思う。だから、そんな自分の意識の低さに悔しさを感じてしまうのでしょう。その方と別れ際、名乗り合うことすらしませんでしたが、またいずれ四国のどこかでお会いしましょう、と互いに挨拶しあいました。思いは同じだったと想像します。この悔しさ、いつ実現するか判りませんが、次回のため、総括として明記しておこうと思います。




今日の一枚:6時頃、神社の展望台にて、南東方向の空。