四国で何を感じたか。2日に一緒にまわっていた方たちにお礼を送っている。それに書いた。名前の以外原文のままで。
引用:
Nさん、Y女史、Yさん、
(長文、失礼します)
大変ありがとうございました。お会いでき、一緒に歩かせていただけたことに感謝申し上げます。
昔からの表現でしょうが、これまでの生き方を顧みるような日々でした。
歩き出した数日、周りの方達に合わせよう遅れを取るまいと、抜かれたら抜き返すと必死でした。在りもしない競争に負けじと歩いていました。
恐らく、Nさんに再びお会いし、皆さんに鶴林寺の麓で一緒になれた頃だと思います。自分の時間を失っているのではと思い始めました。
その日、井戸寺から眉山を越え、ほぼ一日一人で歩きました。何度も道に迷い、何度も遠回りし、何度も人に尋ね…。先に徳島市内まで歩かれた方達にはちっとも追いつけない。なんで眉山越えにこだわり、前日楽をしたのか、自分のプランを後悔したものです。
ところが立江寺から金子屋さんを目指す雨のなか、思いました。迷ってもそれは自分の、遅くてもそれは自分の時間。遍路に出る前からずっと今まで、実は周りに翻弄されていたに過ぎないのではないだろうか。(だから)日々イライラし、自己嫌悪にも陥いる。いったい自分の時間はどこにいったんだ、と。
それ以降自分の時間を取り戻すよう、時には一緒に、時には一人で歩かせていただきながら、自分の時間を見るよう、それに従うようにしました。
例えば、Y女史、覚えていらっしゃいますか。メニューを縦に読んで、訳の判らない食べ物を真剣に考え、横に読むことに気付かされた時、ホントに腹から笑っていました。あんなに笑ったのは何年かぶりです。Y女史は一緒に歩かれていて、怪訝な顔をされたのではないですか。それは自分の時間で歩いていたから、出来たことでした。
禅師峰寺から下ったとき、Yさんは早いですねと言われましたね。高校の山岳部時代のことを話し、ついて来る必要なんかないですよと言ったと思います。あれは、それが私の時間だから。YさんはYさんの時間を使えばとの思いでした。
結果、短い間でしたが、自分の時間を取り返せたと思います。そして、皆さんの時間と私のが同調したところで、あの様な素晴らしい時間となった。
そんな時間を一緒させていただきました。どう感謝したものでしょう。来年は清滝寺から打ち始めます。皆様から教わった時間の使い方を生かし、結願させたいと思います。これからも、どうぞよろしくお願い致します。
庵主
引用おわり:
仕事に戻って、来年3月再開するぞと。
今日の一枚:今朝雲ひとつない、放射冷却でよく冷える。初霜に、初氷。切り通しに向かう畑道で、6時15分。
≪暖あるか 伊予路の遍路よ 初氷≫
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