二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

春と夏

2010-05-05 18:04:18 | 徒然に想う
6月下旬7月上旬などという言葉が天気予報を飾る。今日は立夏。暦の上で夏が始まる。暦便覧には「夏の立つがゆへなり」と記されている。春分と夏至の中間に当たり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立秋の前日までが夏となるんだそうだ。

夏、身近でも感じられる様になってきた。例えば、ツバメたちを皮切りに散歩道が日に日に賑やかになっていく。虫たち、昨日は川岸では鳴いていなかったが、今朝は鳴き始めた。ウシガエルも盛んに鳴き出した。

川岸で雑草を見ていたら、ジェラルディンの雨の話を思い出した。同じ『雨』でも人によって慈にも害にもなる。雑草も、人によって役立ったり立たなかったり。つまるとこ、雨も雑草もその物本質は変わらぬのに、いったん、人と言うフィルターを通すと相反するもの・違うものになる。

昨日が春で今日から夏。こんな区分けも、雑草や雨と似たり寄ったり。人の都合だ。一体そんな区分けにどんな秘密や意味が隠されているんだろう。区分けをするため、本質を見落としていないんだろうか。





今日の一枚:神社下の公園のツツジの上で。アジサイにコイツで梅雨、春じゃない。

久しぶり

2010-05-04 20:11:58 | 徒然に想う
籾振りに出かけた。O町のマッチャンのところ。

就農準備校で一緒だった仲間にも会えた。その後の動向も聞けた。楽しい。

でも、焦りを感じる。

桜の花のごとく生きる。



今日の一枚:神社の境内、モミジの若葉。

モチベーション

2010-05-03 18:55:50 | 徒然に想う
日の出は今、四時五十分頃。出遅れると、こんな風景は見られない。見逃さぬように起き、散歩開始。

職務上、GW中でも二日間位は会社に出る必要がある。今日はその一日。いつもの半分働いて、そうそうに帰り道。一刻でも早く。

早く行動を起こすのは同じだが、モチベーションが全く違う。








今日の一枚:川沿いの土手からしゃがんで、対岸見る。

足元から、気配

2010-05-02 08:33:30 | 徒然に想う
神社からスピードを上げて歩く。ヒンヤリトした空気のなか、背中が汗ばんでくる。小五郎は気持ちいのか道路に腹をつけ寝ている。邪魔しないよう、静かににまたスピードをあげた。


風邪、ほとんど無風。5メーター先くらいの虚空を見ながら、足音だけ。


信号、赤。耳を澄ますと、草むらからジージーと虫の鳴く声。5月だから春ではなかった、夏の気配がし始めてた。




今日の一枚:遊水池にて。


草たちのエネルギー

2010-05-01 08:23:33 | 徒然に想う
川に出ると、いきなり圧倒された。バリバリ音を立てて草たちが伸びている。一昨日の朝なんかよりも数センチ伸びている。エネルギーというか、勢いというか。手をかざしたら突き破られそうだ。

遊水地までいって、座り込んで、よしと手をかざしてみた。もちろん、生身の手では何も起きない。そのまま朝陽に輝く草たちを見ながら、こんどは頭のなかで手を伸ばした。一瞬手の甲から光が飛び散り、その後ビリビリと勢いが襲ってきた!



遊水地にはカワセミが来て、それを狙ってカメラを持っている人が多い。庵主のように草むらに座り込んだりしてはいない。そんなのが不思議なのか、何をとっているのか聞かれることがある。草や葉っぱ、水滴だというと大概怪訝な顔をされる。今朝あった小母さんは、うれしそうに「いい写真沢山あるんじゃない? 今度見せて」。

自分は何もしてない。その時を切り抜くという作業を自己満足のためにやっているに過ぎない。人様に見てもらえるようなものなんか撮れるはずがない。おそらく、草たちの、若葉の輝きのエネルギーが、目を同じところに引き付け、感覚を共鳴させあったくれたんだろう。人は彼らに敵わぬ。




今日の一枚:葉を朝陽を向こうに下から覗いてみた。なんという色なんだろう。人工物にはない不思議な色合い。土手にて。振り返れば霞の向こうに薄っすらと富士山。