二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

分かっている…

2008-03-30 18:17:51 | 徒然に想う
だけど、怒りを感じてしまう。ここは、散歩道のスタートしてから3分の1位の位置にある神社の裏手、雑木林の中。どうして、伐採するんだろう。何年もかかってここまで大きくなったんだ。それをなんの都合か知らないが…、腹立たしい。

自然林ではないから、人間が手を入れ続けなければならない。それは分かっている。だからといって、無駄に切ることはない。周りに送電線や電線があって倒れて切断の恐れもない。パイルに組み上げているんだから、薪にして使うのだろうか。

そう、結局「なんで」が見えないのだ。使いもしないで、単に、人間の仕事を作り出すためのように見えてしまうのだ。あるいは破壊・人間のエゴのように見える。だから、「手入れ」の為かも知れぬが、意味が分からなくて。庵主に説明する必要はない。でも、子供達の子供、そのまた子供たちの子供から借りてきている自然ではないのだろうか。彼らにどう説明するんだろう。