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二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

二巡目を目前に

2013-09-03 08:11:11 | 遍路

あと二週間で、二巡目を目指し四国にいく。その報告に、師匠のN氏から頂いたメッセージ:
多次元から成る遍路空間、あなたの空間を創ってください。その時歩いてるんですか、歩いてゆくんですか?

昼のお星は眼に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ。

誰にも言わずにおきましょう。朝のお庭のすみっこで、花がほろりと泣いたこと。(金子みすず?)  (引用終わり)

まったくゾクゾクして来る。なにを考え、どう理解し、どう伝える…か。

そして、今回もまた、ビジョン・クエストでもあり、試練でもあり…。いかに自分の時間を取り戻し、いかに自分を成就させるために行動するか。たかが歩くなどとは言えぬ。やることは沢山、沢山ある。





今日の一枚:齢27の月、火星、木星。そしてシリウス、オリオンが空に戻ってきた。4時半頃、切り通しに向かう道すがら。
 
 
 
今回の荷物の全容。前回と違うのは、ポンチョがツェルトになったくらい。当日身に付ける物も含め、重さ約11キロ。


お四国参り - 高野山

2013-03-20 15:37:23 | 遍路

高野山でのお参りも終わりました。帰りの便を待ちながら空港からです。

清々しいとかではないんですね。達成感とも違う。八十八番や一番に戻った時とも違う。なんというか、ケジメをつけられたような気がします。宿坊に入り、納経帳を改めて見返していて、そんな気になりました。

月曜日、雨と強風で九度山駅からの登山は止めて、お参りに終始しました。根本大塔と金堂、金剛峯寺、奥の院と御朱印をいただきました。夜、宿坊にお世話になり、写経を体験しました。写経を始める前の講話が刺激的でした。

「無」とは青空のようなものだそうです。頭の上にありますが、その存在を証明できない。証明できないからと言って、ないわけでなく明らかに頭の上にある。写経の時お世話下さった学僧が師匠から教わったことだそうです。なるほどと思います。が、証明できる、できない、がキーになっています。証明できる・できないの主体は人間だなと。人間がいなければ「無」は存在しないことなんでしょうか…。質問するのを忘れました。

火曜日、九度山駅から大門を目指しました。この日もY女史にお付き合いいただきながらです。健脚で4時間、普通6時間程だそうです。我々は5時間40分程かかりました。九度山駅で南海電鉄が作った案内のパンフレットを手に入れました。案内板があったり町石が立っているので、迷うことはありません。ですが、このパンフレットがあると参考になり助かります。一つ発見がありました。町石道の出発点、慈尊院で、四国遍路の御朱印をいただけます。ちなみに、遍路道を導いてくれたシールもところどころで見うけられます。

火曜日は天気も気持ちよく、楽しい歩きになりました。で、夜にはN師も合流し、ミーティング。楽しい時間には歯止めがなかなか効かず、店が終わるまでに。何を共有してたかって? 明確には分かりませんでした。おそらく、それぞれの「自分の時間」がシンクロしあったんではないかと。次は通してからでしょう。いつのことやら…。





今日の一枚:午後2時。帰りの飛行機と背景にりんくうタウン。21番ゲート前にて。


高野の朝

2013-03-19 18:41:46 | 遍路

もうちょっと早く散歩に出れば良かった。泊めていただいた宿坊の庭で四十雀が鳴く。金堂、御影堂では数しれず。昨日の名残の雲が流れ、青の時間。奥の院まで行けば良かった。

《囀りに 高野の万物 目を開く》





今日の一枚:廊下に飾ってある書。この無という文字、また個性的。今朝、6時20分頃。


御礼参り、宿坊桜池院にて

2013-03-18 21:05:34 | 遍路

天気予報通り、午後から雨。夜になり、それこそ嵐のようになった。その雨だれの音が人の会話に聞こえてくる。

あの道すがらどれだけの方たちと会話しただろう。どれだけ生き物たちと話しただろう。どれだけの道と…。スタンプラリーの最後の物を貰って、ケジメではないが、やっと終わったかのように感じる。

杖に、笠に、同行二人とある。しかし、結局一人? 同行二人と安心し鼓舞し一歩一歩進んで来たが、結局一人なんじゃないだろか。雨だれの音が人の会話に聞こえてくるんだから。

《宿坊に 一人佇み 春荒らし》





今日の一枚:宿坊の木立。5時半頃。
(17時半のこと。空が心なしか、赤みを帯びていた。)


お四国参り - 旅行代理店

2013-03-11 19:44:31 | 遍路

先日、来週の旅行を手配してくれた旅行代理店から電話があった。チケット等が届いたかという確認と宿坊で写経・写仏が体験できるが前もって予約がいるとの情報を伝えてくれた。旅行代理店からしてみれば当たり前のことなのかどうか、使って手配など頼んだためしがないから判らない。が、この気遣いにとても嬉しくなってしまった。

そもそも、手配を頼んだ後、担当してくれた方となかなかタイミングが合わなかった。約束の時間を過ぎても連絡は来ないし、電話をしても接客中とかで話せない。電話があっても明らかに残業の時間帯、こちらは電車の中。なかなか確定したのか確認出来なかった。出張のチケットやホテル、保養所を手配するところだから、もっとスムーズに終わるかと想像してた分、いい印象がなかった。

写経や写仏。担当者のその言葉にふと思った…。般若心経、四国で176回以上唱えてきた。出掛ける前も、瀬戸内寂静や水上勉の書いたものを読んでもみた。しかし、般若心経の中身、何も分からないまま字面だけを唱えてきた。一度位きちんと話しを伺ってもいいんじゃないだろか、と。

真意はなんであれ、こんな気遣いをしてもらえると、やってみるかという気持ちにもなれたし、ネガティブな印象なぞどこかへいってしまった。どこかもう気持ちよく旅に出かけているような気持ち。「お気をつけて。いってらっしゃいませ」との別れの挨拶に素直に「ありがとう」と答えていた。





今日の一枚:5時15分頃、神社の店舗から。


お四国参り-高野山を目指して

2013-03-04 19:55:37 | 遍路

今月、高野山へ結願を達成した報告にいってくる。

高野山か京都の東寺を出発し、四国に渡り八十八ヶ所を周り、高野山へ。一番から八十八番を周り、一番から十番のいずれかでお礼参りする。高野山にいく人もいかない人も。いろんなお作法があるらしい。宗教的な動機をもったり、弘法大師ファンだったり、スタンプ・ラリーだったり、お遍路の目的はさまざま。だからお作法もさまざま。

で、自分を振り返れば、病気が寛解したことのお礼と寛解するにあたりお世話になった方々への感謝、心配を掛けた方々への謝罪、マザー・ランド(庵主にとっての母なる土地)探し。宗教心なんてないし、高野山も弘法大師も興味があるわけではなかった。が、八十八ヶ所、いやそれ以上数知れず「南無大師遍照金剛」と繰り返してきたので、まるで洗脳よろしく、総本山に報告とお礼に行かねばならない気持ちになってしまった。

それに「通し」という新たな目標もできた。その前にきちんと区切りをつけておきたい。

加えて、もう一つ。N師、Y女史、Y君と再会する機会がつくれないかという希望。今までN師、Y女史とは個々に会う機会はあったが、一同に会するチャンスは巡ってこなかった。一同に会し確かめたい事がある。それはこの不思議な繋がり。一体何だろう。連帯感とも違う、なんと言うか、何か結び付けるものが存在する…。知ったところでなにがどう変わるってわけじゃない、ただ単純に知りたい、確かめたい。

で、今月は祝日を使えばゆっくり日程を組める。幸い皆さんの都合もあわせて頂けそう。花の季節にはちょっと早いが、ここを外すといつ行けるか、皆目見当がつかない。てなことで、出かけることにした次第。



…まずい、実にまずい。こうやって高野山に出掛ける計画の話しをしているのに、すでにその先のことを頭の中で想っている。「通し」を目指し、あの道、この道を歩きだしている。あれだけ歩いてきたのに、飽きもしないし、苦にもならない。一方で、「実現出来きなかったらどうしょう…」と不安すら感じている。思えば思いは通ず。実現させるぞ、必ずや、必ずや。

また、報告します。





今日の一枚:全く高野山とは関係ないが、何かの目覚め、繋がりということで。夜明け、昨日の5時半過ぎ。神社の展望台から。


第三次 お四国参り - 総括 装備編

2013-01-12 16:10:09 | 遍路

関空に向かう時、ザックを見た印象が小さいと書いた。どれだけのものを用意したか、以下の通り。総重量11.1キロ。ここから着用するものを引くと、9.6キロ。結局、行動食やお茶などが入ったりして結局10キロ弱を背負って歩いていた。

装備:

  1. 半袖Tシャツ(ヒートテックx2)
  2. 下着(山用x2)
  3. 靴下(山用x2)
  4. 手袋(雨時用1、防寒1)
  5. ネック・ウォーマー(帽子、目だし帽にもなる三徳)
  6. 行動時のシャツ(ユニクロの長袖x2)
  7. ズボン(ひざ丈で半ズボンにできるようになっていて、ポケットが多いパンツX1)
  8. 雨具(ポンチョとセパレート・タイプの下)
  9. ライト・ダウン
  10. 山ジャケ
  11. ジャージ(下)
  12. タオル(水泳用x1、普通のものx2)
  13. スポーツタイツ(CW-X)
  14. ヘッドライト(単4x3、山用)/ 自転車で使うテープ状の反射板
  15. 水筒
  16. 携帯の充電器
  17. カメラの電池の充電器
  18. GPS用の電池の充電器
  19. 予備電池(単3x2、単4x3、カメラ用x1、GPS用x2)
  20. 洗濯バサミx3
  21. 歯ブラシ、歯磨き粉
  22. 洗剤x4
  23. エマージェンシー・シート
  24. 細引き(1.5メートル)
  25. マキロン
  26. バンテリン
  27. 胃薬 / ビタミンC
  28. 液体バンソウコ
  29. 爪切り
  30. デジカメ
  31. ガーミン(GPS)
  32. コンパス
  33. メモ帳
  34. ボールペン
  35. マジック
  36. 「わら一本の革命」(B5判180ページ)
  37. 防水地図カバー
  38. 財布、家の鍵、スイカ、小銭入れ
  39. ザップ
  40. ナップ・バック(さんや袋の代わりに)

お参り用品(白衣と金剛杖以外):

  1. 納経帳
  2. 納め札
  3. 般若心教
  4. 地図(遍路みち保存協会編)
  5. お線香
  6. ろうそく
  7. ライター(x2)
  8. お賽銭
  9. 菅笠

 

無駄を省いたつもりだったが、あまり使わなかったもの・さらに省けたのではないかと思える物があった。まず、8のポンチョ。緊急時のツェルト代わりもあるが、防寒具としても考えていた。これはホント季節による。12月、これは全く防寒にならない。第二次の時は重宝したが、今回使ったのは松山に着いたその日だけ。防寒として、それ以降、10の山用のジャケットばかりを使う。こちらは十分耐水性もあるし風も通さない。暖かいとはいえないが、ヒートテックのTシャツとユニクロの長袖にそのジャケットで十分だった。もちろん寒波のタイミングもあったが、防寒として備えていた5と9は行動中使わずに済んだ。これらは宿に入ってから使った程度。4の手袋、防寒用のものは毎日使った。雨用に用意したものは結局使わずに終わった。31のGPS。記録をと思ってのことでもあったが、もちろん迷った時の対策。スイッチのオンオフが上手くいかなくなってしまい、結局三日分くらいしか使っていない。ただ、伊予和気からは横峰寺や雲辺寺のような山をいくことはあっても、大概が人里や街中。何かあれば地元の方たちにうかがえたろうから必要だったか。第二次の時は金剛福寺以降、メインではない山中のコースを選んでいて重宝した。どこを歩くかによるってことかもしれぬ。ただ、地図とコンパスがあれば十分。15の水筒。最近出ている山用のハイドロシステム対応のジップロックのような袋状のもの、ザックのサイドに着けられる。これは今回使わなかったが、第二次の時になくてはならないものだった。いつなんどきでも忘れちゃならないだろう。

重宝したものとして、防水が効いてるデジカメ。記録だけでなく地図として大いに役立った。次の日の行程の分を撮っておく。すると翌日雨の時でも地図を濡らすことなく、位置を確認できた。しかもポケットに仕舞える。雨の中濡れないところを探しザックを降ろし開けて、なんてことをしなくて済んだ。これにGPSが付いていたら…。意外だったのは、雨具の下。防寒にもなったし、ズボンの汚れを防止するのもの役立った。二つ持っていたライター。寒さで一つがつきづらくなった時があって、交互に使って難を逃れた時がある。

最後に靴のことを記録しておこう。クッション性もあり通気性も良く使い勝手がいい。普段の散歩のときに愛用してる。が、どうもこれ、二週間ほどしか使えないのではと思える。次の写真のように底はそれなりに減る。それはしかたない。問題は、横になっている物のつま先あたりを見ると裂けてきているのが判る。ここだ。拡大したのが二枚目。歩き遍路はそれだけ過酷な状況になっている、とうことだろう。第二次の時も同じモデルの色違いを使っていたが、おなじ様なところが裂けていたことを覚えている。これを通し打ちで使っていたら、と不安になる。通すのなら、違うものを探さねばならない。

 

さてさて、後は高野山へのお礼参り。コースは九度山駅から町石道を歩くつもり。もう少し調べなければならないが、もうこれほどの装備はいらないだろう。三月か四月にと思っている。楽しみである。

 

 

今日の一枚:12月4日に行く前の写真がある。それと比べても、苦労かけたなぁ、と。杖や笠と同じで戦友のよう、捨てるに捨てられぬ。

 

 


お接待のこと

2013-01-10 21:59:50 | 遍路

76番だったか、そのお寺に向かっていたときのこと。小父さんがよってこられ、親指大のお地蔵さんをくれた。自分で焼いたもの、家まで持ち帰ってください、「どうぞ、お気をつけて」と。

「お兄ちゃん、これ持って行け」とミカンを二つ。海岸沿いの国道、小さな集落。おばあちゃんが車庫から出てこられ差し出してくれた。その日は寒く喉が渇いても水分を取る気がしない。しかも、乾燥した風に吹きさらされてるのか、よけい喉が渇く。だから、そのミカンは助かった。しかも、歩いている時の食事は生野菜や果物が注意してても不足勝ち。よけい嬉しかった。

あるビジネス旅館に泊まる、そこの女将さんと話し込み…。そこは素泊まり。食事のおすすめ、お惣菜の買える店、コンビニの場所を伺って、夕飯に出ようとすると「おばちゃんの分、美味しいもん買うてきて」。お接待というと受ける、頂く側ばかり。申し訳ない気になる。しかし、この女将さんの一言は、それまでのお接待とは反対。こちらができるお接待もある。

「お気をつけて」「おはよう」「行ってらっしゃい」 いろいろな言葉を頂いては歩いた。「雨ばかりでゴメンなぁ」なんてのも。結局のところ、気持ちの交流がお接待なんだなと。そう、だから気持ちの交流を断ってはならない。この交流さえしていれば、差し出されたものを断っても失礼に値しない、ってことなんだ。一回位歩いたからって何知ったかのようなこというか! その通り。でも、やっと二週間、落ち着きもどせてきた。





今日の一枚:ハマチの腹あたり、スミマセンです。夕ご飯で大将の処で頂きました。ものすごくうまかった。


第三次 お四国参り - もう一つの総括

2013-01-05 17:00:01 | 遍路

もう一つの総括、というのもおかしな話ですが…。今回とにかく毎日歩き続けたのは、既にご報告した通りです。それが今になって実に悔しい。雨勝ちでなかなか地元の方たちと話せなかったのは幸い、うつむきながら下を見みてひたすら歩いてた。これが、今回の拭いようのない私の姿です。なにをしてきたのだろと思います。

香りの記憶や風景。お接待や頂いた言葉。もちろん沢山のことがあって、そんな悔しさを凌駕します。結願したという満足感もあります。ただ、朝の散歩の時にその悔しさがフツフツと湧いてくる。どうしようもありません。

坂出に泊まった時ですから、第八日のことです。七年越しで結願されようとされている歩きの方とお会いしました。それから、その日以降同じようなリズム。九日目は屋島寺まで打ち、十日目には大窪寺まで打って同じ宿。十一日目は、切幡寺まで並んで歩きました。その方、働いており、日程が厳しいなか結願を目指してらした。十日目の夜伺ったところ、私同様八日目の最後宿近くの白峰寺は打ち切れず翌日に、屋島寺、大窪寺はなんとか納教の受け付け時間の締切に間に合わせる。そんな様子になっておられた。

サラリーマンの区切り打ちの宿命なんでしょうか。今回はあそこまで打ち切ると決める(目標を設定する)。休みはいついつまで。それまでに戻る(期日の設定)。そして、性として成し遂げることを第一義に置き、余裕のない日程になっても、無理をしても、達成を目指してしまう。お遍路の場合、そんなことにとらわれる必要はない。自然に対し目を開き、先達や地元の方々に耳を傾け、自由にすればいい。そうしたら、もっと結願をかみしめ味わえたと思う。歩く、話すをもっと楽しめたと思う。だから、そんな自分の意識の低さに悔しさを感じてしまうのでしょう。その方と別れ際、名乗り合うことすらしませんでしたが、またいずれ四国のどこかでお会いしましょう、と互いに挨拶しあいました。思いは同じだったと想像します。この悔しさ、いつ実現するか判りませんが、次回のため、総括として明記しておこうと思います。




今日の一枚:6時頃、神社の展望台にて、南東方向の空。


第三次 お四国参り - 総括

2012-12-31 08:20:15 | 遍路

四国から帰って、五日目。今朝になってやっと散歩を再開しました。休みのときは10キロ歩くことにしているのですが、コンディションを考えて5キロからの再開です。驚きました。空気の香りが違うんですね。これまで意識しませんでしたが、こちらでは林や畑の中を歩くせいか、はたまた関東ローム層の香りなのか、甘い土を感じる香りがします。ところが、今回のコース、松山の円明寺から香川県の大窪寺まで、そういった印象がありません。特にかもしれませんが、香川県に入るとミカンの木を多く目にするせいか、柑橘系のさわやかな香りが圧倒しています。海沿いを歩いている時にさえ、潮の香りをも凌駕していたほどです。ところ変われば、なんですね。

さて、今回のテーマですが、第一次の時から4本ほどあるのですが、それはずっと変わってません。そのはずだったのですが、実際蓋を開けてみますと、メイン・テーマが結願すること、になってしまってました。それは日程に如実に表れてます。前回は30キロ越えが続かないように工夫しました。ところが今回ときたら30キロ越えが続きます。しかも一日の終わりに、200mの標高差を登るなど、ひたすら大窪寺を目指し歩く、そんな日々でした。結構きつかったと思います。帰って五日目にして普段の散歩を再開したのも、そんな背景です。悪いことに、このことは私一人の問題だけでなく、第一次でめぐり合えた先達たちに大いに心配をおかけするという失態まで引き起こしてしまいました。無事、結願できたからいいものの、もし、途中で区切らなければならなくなったら…。穴があれば飛び込みたいくらいです。情けないです。

それでも、救いだったのは、新たな発見といいますか、一つのキーワードを見つけることができたことです。「家族」という言葉です。それは、今回11ヶ所の宿にお世話になりました。で、実にその内3ヶ所の宿で、夕飯を食べながら話をしていたときに、そこの小母さんから飛び出してきたのです。それも、お三方とも「家族がいないのが寂しい」とおっしゃる。もちろん孫もいて、中にはひ孫までいる方もいらっしゃいます。それでも、口をそろえて同じようなことを話される。「家族がいない」訳じゃないんです。そう、「家族が近くにいない」んです。ただ、どうもその「近く」の意味がよくわからない。お一方は同じ市内にお孫さんが住まわれているようです。だから、物理的な距離を言っているのではありません。こちらから大人数で夕飯の食卓を囲んで、なんて話をすると、懐かしそうに同意され、昔を思い出しながら話しを続けられます。最初、地震以来、精神的な距離やつながりを「絆」として目にします。その「絆が私には希薄で」と嘆かれているのかと思いました。ところが、違うと思うんです。このお三方とも皆さん高齢です。大変失礼かもしれませんが、「旅立つ」準備をされてることからきているのではないか。出かける前、装備の話をしたとき、必要なものだけに絞るといいました。電車の中で自分の荷物を見たとき小さいなとの感想も書きました。最後に旅立つとき、そんな「もの」すらいらないわけです。それまで自分が持っていたいろいろな絆を一つ一つ整理していきます。最後に近付くにつれ残るのが「家族」。しかし、それでも「最後の旅たち」に際しては、それすら捨てる。自分ひとりになるしかありません。その一人になっていく寂しさのことをお話しされているんじゃないか、そう思うわけです。

遍路に関することを調べていると「遍路は人生である」「人生は遍路のようなものである」のような言い方を目にします。先達がたのお言葉ですから、若輩者には否定しようがありません。かといって単純に受け入れるわけにも参りません。ただ、装備に関することやあのお三方の話を考えているとおぼろげながらなんとなく「そうなんだなぁ」と感じられるような気がします。これはこれまでの区切りとは違う新しいことです。発見です。寒い季節、地元の方たちもあまり外にいらっしゃらず話す機会が前回と比べてずっと少なかったと思います。だから、黙々と日程を消化するなかで、そんな思いを助長させたのかもしれません。

そう考えると、じゃ「家族」は? 最初子として属する場所、そしてその場所を離れ新たな夫婦として作る「家庭」から広がっていったものでしょう。もちろん、そうでしょう。ただ、それだけではない。自分にとって、何だろう。最後になって残ってくるのは何だろう。新しい課題となりました。新しい課題ができた以上、仮に高野山までお礼参りに行っても終わりになるか…。大窪寺近くの宿の小母さんがいってらっしゃいました。「一度来たら、三度来るのが礼儀だからね」と。自分の病気の寛解のお礼参りは来春高野山で終わりにさせたいと思います。しかし、まだ片付いていないこともあります。今回の新しい点もあります。二度め、いつになるか想像できません。が、確実にありそうな予感がします。そんな結果の「結願の旅」になりました。

 

今日の一枚:大窪寺から徳島県の10番切幡寺へと向かう道すがら、幽かな甘い香り。道端に咲いていた蝋梅のものでした。歩き続けた日々に見つけた褒美のようなものでした。