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『史上最悪のインフルエンザ』

2009-04-28 06:51:49 | 読書/新聞/映画など
アルフレッド・クロスビー著『史上最悪のインフルエンザ』みすず書房、2004年1月16日、4400円+税

「忘れられたパンデミック」という副題がついています。帯には、「本書は、パンデミックを語る際の基本図書でありつづけるだろう」と書かれている。

人類は、1918年に一度パンデミックを経験しています。この本によれば、「亡くなったひとの数は、・・・たぶん5,000万人かそれ以上であった」という。インドでは、最大の1700万人が亡くなり、日本では、25万人以上が命を落とした。

この5,000万人という亡くなった人の数は、当時の世界人口とくらべて、現在なら数億人に匹敵する。しかも、当時は、現在のように航空機で旅行者が頻繁に各国を移動するという状況にはなかった。

それでも、1918年3月にアメリカで最初の患者が発見されてから、おどろくべき速さで世界へひろがった。

スペイン風邪とよばれたこのときのインフルエンザは、きわめて致死性がたかい肺炎をひきおこしやすい特徴で前例がなかった。

1918年3月、フォード自動車の労働者1,000以上が、インフルエンザで会社を休んだ。

この時期、インフルエンザは、届け出義務がある疾患ではなかったので、詳しいデータに欠ける。しかし、のこされた4月のケンタッキーのデータでは、それまでのインフルエンザとちがって、高齢者や幼児のほか、20歳代の若者の死亡率が際立ってたかい特徴がみられた。今回のメキシコの豚インフルエンザでも同じ傾向がみられている。

5月までに、インフルエンザは、2つの大陸にひろがった。7月には、ロンドンではインフルエンザで700人、肺炎で475人が亡くなっている。

このスペイン風邪は、当時の交通状況のなかで、たった4か月で世界を一周してアメリカにもどってきた。「そのときには、流行はパンデミックと呼ぶべきものになっていた}

そして、ヒトからヒトへ感染しながら、悪性をましていった。合衆国陸軍医療部の記録には、「ヒトからヒトへと急速に伝播していくことで、これほど悪性度を増すことは予想していなかった」とある。

「1918年8月後半、スパニッシュ・インフルエンザは変異し、前代未聞の強い病原性を持つインフルエンザの爆発的な流行が始まった」のだ。

変異は、同じ週に、おたがいに数千キロはなれた3つの港町で突然出現した。なぜ同時に3か所なのかその理由はいまもわかっていない。

変異しながら大流行することがパンデミックの特徴だ。致死性が弱いと安心していることはできない。

流行は、第二波、第三波とつづいた。

この本は、パンデミック研究の貴重な本です。



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