昨日、今日と2日にわたって、八丈島で、中西進先生の万葉集のご講演を聴いた。第58回目の島民大学です。七島信用組合の会場に70名以上が参加する盛況でした。
きょうのお昼の先生との昼食懇談会にも参加させていただきました。
万葉集4516首のなかから、先生が40首をえらばれ、またそのなかの4首の特選がありました。愛の歌、自然の歌、旅の歌・・・・。
締めくくりの先生のお話は、万葉集を知ることは、いのちにふれること、万葉集のこころは、いのち輝くものの尊重であり、万葉集の特徴は、いのちの輝きにむかうことだとお話されました。
そして、「生命」と書いて「いのち」とかなをふってはいけないのだと。いのちは、生命とちがう。死んでもいのちは続き、生命があってもいのちがないこともあると。
大和ことばの万葉集には、愛をひとつとっても、西洋文化とまったくちがう概念と深みがある。自然と人間の生き方は、「のように」ではなく、まさにおなじものになっている。
宮本常一は、闘病生活のなかで、万葉集の半分は覚えてしまったと言っています。また、旅する巨人といわれた民俗学者のかれも、民衆の生活にふかくわけいる、いのちの輝きをもとめる旅をしたと語っています。
きょうのお昼の先生との昼食懇談会にも参加させていただきました。
万葉集4516首のなかから、先生が40首をえらばれ、またそのなかの4首の特選がありました。愛の歌、自然の歌、旅の歌・・・・。
締めくくりの先生のお話は、万葉集を知ることは、いのちにふれること、万葉集のこころは、いのち輝くものの尊重であり、万葉集の特徴は、いのちの輝きにむかうことだとお話されました。
そして、「生命」と書いて「いのち」とかなをふってはいけないのだと。いのちは、生命とちがう。死んでもいのちは続き、生命があってもいのちがないこともあると。
大和ことばの万葉集には、愛をひとつとっても、西洋文化とまったくちがう概念と深みがある。自然と人間の生き方は、「のように」ではなく、まさにおなじものになっている。
宮本常一は、闘病生活のなかで、万葉集の半分は覚えてしまったと言っています。また、旅する巨人といわれた民俗学者のかれも、民衆の生活にふかくわけいる、いのちの輝きをもとめる旅をしたと語っています。
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