「国債が暴落すれば、国家が破綻する。一銀行の経営を心配しても意味がない」大手銀行役員のことばとして、8日の朝日新聞がつたえています。無責任な東電の発想とおなじですね。
どうせ暴落するのだから、打つ手はない・・・・。
原発は安全なのだから、事故がおきたときのことなど考える必要がない・・・・。
本当は、国債が暴落するような困難な局面に銀行はいかにそなえるべきかが問われているのです。国家が破綻すれば、運命をともにするのですか?
国債暴落は、地震のようにいつくるのかわからないものではありません。ほとんどさけられないものであり、5年以内にかならず起きるものです。もしさけられたとしても、増税と財政縮小、経済停滞、失業の増加と社会不安の拡大は避けられません。実際には、国債暴落とおなじような経済局面にはいっていきます。
「銀行の経営を心配しても意味がない」見事な思想です。あきらめですね。闘いを放棄している。責任を放棄している。これは、もしかすると、日本人の多くが共有する考え方なのかもしれません。
しかし、見方によっては、廃墟のなかから新生をはかる革命思想なのかもしれません。破綻に抵抗するよりは、廃墟のなかから新しい価値観で再生する。破綻した国家などにたよらない。
どうせ暴落するのだから、打つ手はない・・・・。
原発は安全なのだから、事故がおきたときのことなど考える必要がない・・・・。
本当は、国債が暴落するような困難な局面に銀行はいかにそなえるべきかが問われているのです。国家が破綻すれば、運命をともにするのですか?
国債暴落は、地震のようにいつくるのかわからないものではありません。ほとんどさけられないものであり、5年以内にかならず起きるものです。もしさけられたとしても、増税と財政縮小、経済停滞、失業の増加と社会不安の拡大は避けられません。実際には、国債暴落とおなじような経済局面にはいっていきます。
「銀行の経営を心配しても意味がない」見事な思想です。あきらめですね。闘いを放棄している。責任を放棄している。これは、もしかすると、日本人の多くが共有する考え方なのかもしれません。
しかし、見方によっては、廃墟のなかから新生をはかる革命思想なのかもしれません。破綻に抵抗するよりは、廃墟のなかから新しい価値観で再生する。破綻した国家などにたよらない。
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