他社のことはよくわからないが、少なくとも、わがグループ各社の日常的なビジネス活動において、さまざまな部署のさまざまな担当者がたえず正しい判断ができているかというと、問い直しが必要に思われます。
ビジネス上のアクションについて、なぜそうしたのかを尋ねると、たいてい、このことはいつもこうしてきましたという返事に出会うことが多い。そうしてきたからではなく、なぜそうするのかと聞くと、明確な回答がないことが多い。
ずっとそうしてきたことの大半は、本来やり方を変えるべきものではないだろうか。昔の限られたビジネス環境のなかでやむをえずにやってきたり、びほう策をつみかさねて、とんでもないやり方になっていたりもします。
やりかたをかえるにしても、与えられた条件、現状のなかでしか考えていないこともよくあります。
判断基準を現在においてはいけない。現在与えられている条件で考えてはいけない。判断は、いつでも、本来あるべき姿から導き出すものです。本来あるべき姿は、未来の姿であり、本質的な姿です。
現在を出発点にして判断するならば、迷走を繰り返します。
話は、少し違いますが、たとえば「五目並べ」などのゲームを考えるとわかりやすい。たいていの人は、どこに三四や四四をつくるかという仮説をたてて、そこに向かって手順を考えます。到達するものから逆にたどって、道筋を現在につなげる。そうすれば、きわめて効率的に思考できます。ビジネスもそうでしょう。逆に、現在何ができるのかを延長していくと、道筋は無限に拡散します。結局、なにもできません。
真っ白なキャンバスにビジネスモデルを描いていく起業家にとっては、このことはきわめて重要です。真っ白なので、何をえがくこともできます。しかし、それを現在の経営資源をベースに描くのが一般的ですが、われわれは、そうはしない。何を実現したいのかが、すべての出発点です。そこを出発にして、現在にいたる道筋を描く。現在につながって、現実的なものとなります。
われわれの判断基準は、あるべきすがた、つまり、本質からくる未来の姿にどのように到達していくのかの一点にあります。現状は、たえず問い直されなければならない。
現状を延長してはいけない。
ビジネス上のアクションについて、なぜそうしたのかを尋ねると、たいてい、このことはいつもこうしてきましたという返事に出会うことが多い。そうしてきたからではなく、なぜそうするのかと聞くと、明確な回答がないことが多い。
ずっとそうしてきたことの大半は、本来やり方を変えるべきものではないだろうか。昔の限られたビジネス環境のなかでやむをえずにやってきたり、びほう策をつみかさねて、とんでもないやり方になっていたりもします。
やりかたをかえるにしても、与えられた条件、現状のなかでしか考えていないこともよくあります。
判断基準を現在においてはいけない。現在与えられている条件で考えてはいけない。判断は、いつでも、本来あるべき姿から導き出すものです。本来あるべき姿は、未来の姿であり、本質的な姿です。
現在を出発点にして判断するならば、迷走を繰り返します。
話は、少し違いますが、たとえば「五目並べ」などのゲームを考えるとわかりやすい。たいていの人は、どこに三四や四四をつくるかという仮説をたてて、そこに向かって手順を考えます。到達するものから逆にたどって、道筋を現在につなげる。そうすれば、きわめて効率的に思考できます。ビジネスもそうでしょう。逆に、現在何ができるのかを延長していくと、道筋は無限に拡散します。結局、なにもできません。
真っ白なキャンバスにビジネスモデルを描いていく起業家にとっては、このことはきわめて重要です。真っ白なので、何をえがくこともできます。しかし、それを現在の経営資源をベースに描くのが一般的ですが、われわれは、そうはしない。何を実現したいのかが、すべての出発点です。そこを出発にして、現在にいたる道筋を描く。現在につながって、現実的なものとなります。
われわれの判断基準は、あるべきすがた、つまり、本質からくる未来の姿にどのように到達していくのかの一点にあります。現状は、たえず問い直されなければならない。
現状を延長してはいけない。
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