eラーニングの現状と展望

ネットラーニングHD、ネットラーニング、WIWIW、Phoenix Consulting、各代表取締役 岸田徹

「なにを」と「いかに」

2012-03-07 08:41:25 | 読書/新聞/映画など
すべてのアクションの選択には、「なにを」と「いかに」がある。

この「なにを」と「いかに」は、実は深く結びついている。

ということは、一般的な「いかに」論は、「なにを」を隠した議論であるか、本質をうしなった議論であるかのどちらかであろう。

「なにを」をぬきにした「いかに」論は、本質的になりたたない。「なにを」によって、「いかに」は違ってくるのだから。

改革派はもともと「なにを」ではなく「いかに」の発想だが、その改革派が最大の保守派になる時代がある。旧体制をもっともうまく元気に発展させる「いかに」派は、革命期には歴史の阻害要因でしかない。江戸幕府のなかの改革派となるのか、維新の担い手になるのか。

いまのように、根底的な革新が求められている時代には、とりわけ「なにを」にこだわるベンチャーが必要だ。

「なにを」に徹した人のひとりに、スティーブ・ジョブスがいる。一般的な「いかに」からいえば、「なにを」の実現にすべてをかけたジョブスの「いかに」は、まわりの多くの人にとっては大変だったでしょう。一般的な「いかに」から出発すれば、ジョブスの「なにを」の実現はありえない。アップルの社内で、ジョブスの「いかに」に反対する人は、ジョブスの「なにを」に反対しているのと同じだ。

「なにを」と一体の「いかに」の本質をかくして、一般的に「いかに」だけを議論するのであれば、ジョブスの「いかに」よりもおおくの社員にとってくちあたりのいい「いかに」のほうが共感があるのであり、そこがものごとをややこしくする。ジョブスやおおくの天才たちの凄さは、そこを妥協せずにふりきっているところだ。

そういえば、ロシア革命のときのボルシェビキとメンシェビキの争点の核心にあったのも、「いかに」の選択は、じつは本質的な「なにを」の選択に関わるというものであった。



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