梅棹忠夫さんが、90歳で亡くなられた。
ちょうど、『文明の生態史観』を読んでいる最中だった。
梅棹さんの本は、昔、よく読んだように思う。しかし、いまから50年以上前に書かれた本をあらためて読んでみて、するどい分析に心底おどろかされる。
いくつか、引用してみよう。
彼は、欧州や日本などを第一地域と分類し、封建制がしっかっり存在したところであり、実際はよく似ているという。その他が、第二地域とされる。
「第二地域は、将来四つの巨大なブロックの並立状態にはいる可能性がかなりおおいと思う。中国ブロック、ソ連ブロック、インド・ブロック、イスラーム・ブロックである。」まだ、中ソ論争が表面化する前のころの指摘だ。いま、まさにそうなろうとしている。それは、「昔の帝国の亡霊」でありえないだろうかという。であれば、「巨大なる亡霊のふところにのみこまれた多数の異民族、こういう人たちがどういうふうに取り扱われていくのだろうか。」と懸念する。
四つのブロックが台頭してくることや、チェチェンやチベットの問題などが起きる可能性を、早くも見抜いているのだ。
かれは、こうもいう。「現代文明の構造それ自体が、多分工場に似ている。」おどろくべき洞察です。
そしていう。「庶民はどこへゆくのであろうか。これは、すべての地域を通じての、現代文明の最大の問題である。」と。
そしてまた問う。「教育が普及した場合に、世界にはどういう変化がおこるのだろうか」と。
梅棹は、いつも、世界的、全人類的な視点をもとうとしている。「われわれ自身、その分割された一片の土地に所属している。わたしたちは、その土地からのがれることはできないけれど、その土地をのりこえて、全地球的な課題についてかんがえることはできるはずだ。
われわれ自身の問題も、そのような全地球的な歴史の流れのなかにおいてながめてみて、そのひずみのない姿を見ることができるであろう。」
1956年から57年にかけて執筆されています。
梅棹忠夫『文明の生態史観』(中公文庫、1974年9月10日)
ちょうど、『文明の生態史観』を読んでいる最中だった。
梅棹さんの本は、昔、よく読んだように思う。しかし、いまから50年以上前に書かれた本をあらためて読んでみて、するどい分析に心底おどろかされる。
いくつか、引用してみよう。
彼は、欧州や日本などを第一地域と分類し、封建制がしっかっり存在したところであり、実際はよく似ているという。その他が、第二地域とされる。
「第二地域は、将来四つの巨大なブロックの並立状態にはいる可能性がかなりおおいと思う。中国ブロック、ソ連ブロック、インド・ブロック、イスラーム・ブロックである。」まだ、中ソ論争が表面化する前のころの指摘だ。いま、まさにそうなろうとしている。それは、「昔の帝国の亡霊」でありえないだろうかという。であれば、「巨大なる亡霊のふところにのみこまれた多数の異民族、こういう人たちがどういうふうに取り扱われていくのだろうか。」と懸念する。
四つのブロックが台頭してくることや、チェチェンやチベットの問題などが起きる可能性を、早くも見抜いているのだ。
かれは、こうもいう。「現代文明の構造それ自体が、多分工場に似ている。」おどろくべき洞察です。
そしていう。「庶民はどこへゆくのであろうか。これは、すべての地域を通じての、現代文明の最大の問題である。」と。
そしてまた問う。「教育が普及した場合に、世界にはどういう変化がおこるのだろうか」と。
梅棹は、いつも、世界的、全人類的な視点をもとうとしている。「われわれ自身、その分割された一片の土地に所属している。わたしたちは、その土地からのがれることはできないけれど、その土地をのりこえて、全地球的な課題についてかんがえることはできるはずだ。
われわれ自身の問題も、そのような全地球的な歴史の流れのなかにおいてながめてみて、そのひずみのない姿を見ることができるであろう。」
1956年から57年にかけて執筆されています。
梅棹忠夫『文明の生態史観』(中公文庫、1974年9月10日)
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