週末なので、こんな話も。
シカゴ学派の巨頭ミルトン・フリードマンの理論は、市場主義経済を支えるバックボーンです。
フリードマンは、ケインズを真正面から批判する。
そのケインズの出発点は、1929年恐慌にありました。恐慌のすさまじさに資本主義の存立の危機をみたケインズは、恐慌・不況対策に財政や金融政策を総動員し、社会福祉にも力をいれる経済政策を提唱し、ほとんどの資本主義国は、その政策にケインズの考え方をとりいれてきました。
フリードマンとしては、この29年恐慌をどう考えるのか、理論を対置する必要があります。あの破滅的な恐慌は、あれほど破滅的になったのはその後の政策がまちがっていたと主張するのもひとつの方法です。
いずれにしても、ケインズを批判するには、29年恐慌の影響を小さくしてしまうことが必要です。
フリードマンは、こう主張します。29年恐慌は、資本主義の仕組みからくるものではない、政策をまちがったので引き起こされたのだと。暗にいいたいのは、今度は、政策を間違えなければ引き起こされないということです。ところで、なぜ政策をまちがったのか、今後間違わないという保障があるのか、まったく不明です。あるいは、今度また政策をまちがって大恐慌が来た場合どうするのか一切語りません。
リバタリアン(自由至上主義者)フリードマンの政策は、ほとんど金融政策にしぼられます。
実際には、一国の金融政策などでは、複雑に影響しあう国際的な経済状況に十分に対応するのは不可能です。為替にかんするフリードマンの理論も、一国の国内通貨であるドルが国際通貨の役割をはたさざるをえなくなっている原因とその結果ドルの運用でおちいっている矛盾をまったく見ていません。まるで、円やポンドや元と同じようにドルをとらえています。
ケインズを擁護するわけではありませんが、フリードマンの理論は、貨幣論など正しい部分もありますが、全体としては脆弱です。
市場主義経済は、まえにも書きましたが、思ったより短命でしょう。ケインズほどの大きな影響を歴史にのこすことはないとみられます。
ところで、主張の内容は別にして、理論家や経済学者としては、ケインズよりフリードマンのほうが個人的には好きです。
シカゴ学派の巨頭ミルトン・フリードマンの理論は、市場主義経済を支えるバックボーンです。
フリードマンは、ケインズを真正面から批判する。
そのケインズの出発点は、1929年恐慌にありました。恐慌のすさまじさに資本主義の存立の危機をみたケインズは、恐慌・不況対策に財政や金融政策を総動員し、社会福祉にも力をいれる経済政策を提唱し、ほとんどの資本主義国は、その政策にケインズの考え方をとりいれてきました。
フリードマンとしては、この29年恐慌をどう考えるのか、理論を対置する必要があります。あの破滅的な恐慌は、あれほど破滅的になったのはその後の政策がまちがっていたと主張するのもひとつの方法です。
いずれにしても、ケインズを批判するには、29年恐慌の影響を小さくしてしまうことが必要です。
フリードマンは、こう主張します。29年恐慌は、資本主義の仕組みからくるものではない、政策をまちがったので引き起こされたのだと。暗にいいたいのは、今度は、政策を間違えなければ引き起こされないということです。ところで、なぜ政策をまちがったのか、今後間違わないという保障があるのか、まったく不明です。あるいは、今度また政策をまちがって大恐慌が来た場合どうするのか一切語りません。
リバタリアン(自由至上主義者)フリードマンの政策は、ほとんど金融政策にしぼられます。
実際には、一国の金融政策などでは、複雑に影響しあう国際的な経済状況に十分に対応するのは不可能です。為替にかんするフリードマンの理論も、一国の国内通貨であるドルが国際通貨の役割をはたさざるをえなくなっている原因とその結果ドルの運用でおちいっている矛盾をまったく見ていません。まるで、円やポンドや元と同じようにドルをとらえています。
ケインズを擁護するわけではありませんが、フリードマンの理論は、貨幣論など正しい部分もありますが、全体としては脆弱です。
市場主義経済は、まえにも書きましたが、思ったより短命でしょう。ケインズほどの大きな影響を歴史にのこすことはないとみられます。
ところで、主張の内容は別にして、理論家や経済学者としては、ケインズよりフリードマンのほうが個人的には好きです。
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