少し引用します。
「私たちは、研修というとバラバラに集められた個人を全体として捕らえておこなうものと思い込んでいる。学校の授業も同じである。・・・・その方法がそれほど効果的でないにもかかわらず、あたかもそれしかないが如く行われている。」
「人は抱える課題も、動機も、夢も、さらに学び方や学ぶスピードも様々であるから、多様な方法で学べるようにするのがいい。それなのに、これまではあまりにも方法が画一化されすぎていたのだ。・・・・そのことが、学びの質や量をきわめて低いレベルに抑えてきた。」
古田新一郎著「「学び」で組織は成長する」光文社新書2006年1月20日刊
個別学習を実現する方法が、eラーニングです。この本の中では、eラーニングについては、まったく触れられていませんが、集合教育の限界についてするどく指摘されています。
このような集合研修の限界についての認識は、時代的な認識ともいえる。その解決の手段が明確になるにつれて、限界が認識されるようになる。10年前でも、20年前でもなく、いま、その限界が社会的な認識になりつつある。
ただし、まだその認識は先駆者の認識の段階といえるかもしれない。
集合教育の限界について結構認識されてきたように思えます。ただ、書籍などを見ていて気になるのは、その逆です。
昔、ITが魔法のツールと勘違いされていたように、eラーニングも魔法のツールとして誤解されていないか、危惧しております。
eラーニングといっても多種多様でさまざまな形態がありますが、それぞれどのような限界があるのか、知ることがeラーニングが全体に普及するための第一歩でないかと考えております。
eラーニングは、期待と過小評価と混乱の中にある感じですが、そのエネルギーが何かを生み出していきそうです。
期待と混乱、確かにそんな感じにも思えます。今後の動向が非常に気になるところです。
英文日記、読んでいただけて光栄です。英語の練習を兼ねているので、今はまだ日々あったことや感じたことを書いているだけのものですが…。
そろそろ世の中の動向に対する自分なりの見解などそういったことを書いていけたらと考えています。