いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

スポーツと文化の融合新時代。 new era of fusion of sports and culture

2019-03-23 20:06:42 | 日記
 (1)子どもの頃は遊びといえば、まず野球だった。内野ゴロを転がしてもフライを打ち上げても、とにかく一生懸命に1塁に走った。ゴロでもフライでもまともに捕って投げることなどできるものはそうはいない野球だから、セーフを信じてとにかく一生懸命に走った。

 野球の原点、醍醐味といえるもので、もっとまともな高校野球、プロ野球でもこれを怠って批判を受けるものだ。

 (2)現役引退を表明したイチロー選手が米大リーグによみがえらせたスリリングベースボールである。スポーツはルールはそう変わらないが、時代によって変化、変遷、傾向をくり返してきた。

 米大リーグでも安打数の世界記録、打率の世界記録からホームランの世界記録全盛時代を迎えて、その米大リーグに小柄な細身のイチロー選手が登場して内野ゴロにも俊足を飛ばして間一髪セーフにするスリリングベースボールで10年連続の年間200本以上安打の記録をつくりあげた。

 (3)スポーツの原型は変わらずに、しかしそれをプレーするのはあたらしい時代の人々、スポーツ人間なのだから変化、進化があって当然のことだ。競技施設、道具、トレーニング方法も時代に合わせた工夫、進化するので記録は各段に伸びて新時代を築いていく。

 (4)五輪競技も2020年東京五輪ではスポーツクライミング、空手、スケートボード、サーフィンが新種目として実施される。クライミング、スケートボード、サーフィンというと娯楽、レジャーの印象が強いカテゴリー(category)で、スポーツと文化の境が限りなく融合(fusion of sports and culture)してきている(本質はそういうものかもしれないが)。

 (5)東京の後の2024年パリ五輪ではブレークダンスが新種目として採用されて、従来のスポーツのイメージを一新しそうだ。曲調に合わせてマッチングした踊りを表現するスキルの高さ、ダンス技術の高さを競うものだそうだが、スポーツも文化の一翼を担うものというカテゴリーからすれば理解もできる。
 近年の体操競技も複雑な回転技、ひねり技の連続でブレークダンス風ではある。

 (6)さらにTVゲームのeスポーツも国際大会でスポーツとして登場する。ここまでくるとTV画面の前に座って操作する頭脳競技がスポーツといわれても従来のカテゴリーからは想像、理解がむずかしい。

 競うことができるものはすべてスポーツというカテゴリーからすれば理解できなくもないが、碁盤を挟んで座って対戦する将棋、囲碁もスポーツなのかといわれると知的スポーツというのがあるとすればスポーツか。

 (7)五輪もより速く、より高く、より遠くという人間の身体運動能力を駆使した高度な表現方法としてのスポーツであったが、そもそも直線100メートルをただ走るだけとか、400メートルトラックを何周もただ走るだけのところをみれば実にマニアックな不思議な光景ではある。

 五輪競技種目もどこまで行くのか、これまでの概念をどんどん打ち破る新時代を迎えている。

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名桜(王)散る。 celebrated `sakura' of king is gone

2019-03-22 20:23:58 | 日記
 (1)米大リーグ19年、45才のイチロー選手が桜の季節の前に散った。昨年途中で選手登録から外れて球団付きになり、今年再び選手登録されてマリナーズの一員として日本(東京)で開催の公式オープニング2試合に帯同して先発出場を果たしていた。

 昨年から今年の日本での公式オープニング戦にあわせて引退レールが敷かれたかのような行動にみえる。

 (2)日本での公式2試合は5打数ノーヒットだった。仮にこの2試合でイチロー選手がヒットを量産していたら結果はどうなったのかと考えるが、結果は同じ引退だったのではないのか。
 米大リーグは契約社会で「選手として使う」と契約すれば悪くても試合に使うというのが普通だ。

 今年のオープン戦で打率1割に満たない選手(イチロー)を公式オープニング戦で先発させることなど日本の野球では考えられないことだ。

 (3)報道によるとイチロー選手は「ここ(東京)にいるというのはありえない。日本人でいることですでに勝ち組なんだなと思う」とマリナーズ監督を大笑いにさせたといわれ、これが最後のゲームセレモニーという既定路線が感じられる。

 それほどマリナーズではイチロー選手へ尊厳、揺るがしようのない記録、存在が際立っていることの証しでもある。

 (4)イチロー選手は米大リーグデビューから10年連続で年間200本以上の安打を打つという米大リーグ新記録を達成して、ビーム返球の外野守備、内野ゴロでも安打にする走塁でも卓越した技術、能力を示してきた。

 ホームランバッターでもない小柄なイチロー選手が走攻守三拍子そろった大リーガーとして大リーグが忘れていたスリリングベースボールの本質をよみがえらせたとも表現されたことがあった。

 (5)同時期に活躍したヤンキースでワールドシリーズ制覇貢献でMVPに輝いた松井秀喜さんがいるが、松井選手の「ような」日本人大リーガーはひょっとしたらこれからも出てくることは考えられても「イチロー」選手のようなプレーヤーは多分今後出てくることはないと思わせる卓越した野球スタイル、存在感がある。

 (6)45才になったとはいえ10年間連続で年間200本以上の安打を打ち続けた未曽有の大リーガー「イチロー」選手が、今回の東京での公式2試合で無安打だったこと、そして引退を表明したことが、これもイチロー選手らしい結果としてけじめの引き際だったといえる。

 そしてそういうイチロー選手を開幕2試合で使い続けても、最後は交代でベンチ選手総出で迎えるというマリナーズの中での「イチロー」選手の記録、存在感の大きさだ。

 (7)巨人、ヤンキースの人気球団でサービス精神旺盛な松井秀喜さんと違って、自分の信念を貫く孤高の道を歩むイチロー選手は取材にもまったく応じなくて、まさしくベースボール、プレーでのみ真価、進化を発揮してきたイチロー選手は今後について「監督は無理。人望がない」(報道)と述べている。

 日本の名桜(王)が散った(celebrated `sakura' of king is gone)。

 

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五輪のテロ対策。 counterplot against terror in olympics

2019-03-21 20:28:16 | 日記
 (1)世界でも有数の安全な国とされてきたニュージーランド・クライストチャーチで起きたモスク銃襲撃テロ事件は、テロ事件が世界のどこでも起きても不思議でない現実社会の不安を知らしめた。

 祈りを捧げるモスクの無防備の人々を銃乱射で襲うという極悪非道の悪事は、狂信的なテロリストへの安全対策のむずかしさを思い知らされた。

 (2)オーストラリア、ニュージーランドは南半球の風光明美な自然豊かな国で、ずいぶん以前から東南アジアからの移住、移民の多い国だ。数十年前にオーストラリアを旅した時には、電車、バス、レストランで働く東南アジア系の人々が目につき、同留学生の人気も高く、見ず知らずの現地人も日本語で挨拶してくれる気さくな国だった。

 その後、日本企業の土地買収、進出などで対日感情にも変化がみられて、治安もかってほど安全でない情報も伝わってきていた。

 (3)今回のNZモスク銃撃テロも、犯行声明では海外からの移民増加に対する憎悪感情が綴られて(報道)、移民政策に対する一部社会的不満が背景にあるともみられる。
 世界でも安全な国とみられていたニュージーランドで起きた銃撃テロ事件を受けて、世界のどこにでもテロ事件は身近なものとして起きる可能性が考えられるところから、2020年7月開催の東京五輪でのテロ対策は現実の問題として考えなければならない緊要な課題となった。

 (4)五輪は世界からの観光客、五輪観戦客を集める、迎える一大イベントであり、かねてから五輪開催は国際テロの話題、名を売る攻撃対象になっており、国際社会が協力しての安全、治安対策が必要となっている。

 2020年東京五輪のテロ対策はこれまでの机上の想定上の安全対策から、現実の危険性をふくんだ安全対策に格上げされた準備が必要となった。

 (5)国、警察、警備、航空会社、ホテル、五輪会場そこかしこでの必要で周到な人員、能力、配備の高い安全対策シフトが求められる。AIを使った顔認証など空港での出入国管理、人が集まる五輪会場、交通網、高速道路での安全仕様対策の周到な準備が大切だ。

 もちろん五輪競技の興味、関心、実力発揮に最大限応えるための配慮であり警備だけでテロなどの凶悪事件を防げるものでもなく、国民ひとりひとりが安全社会意識、思想を高めて常日頃から求められる社会正義を共有することが肝心だ。

 (6)テロ実行者はどういう国であっても寛容な(generous)社会にも一方的な反感を持つことがニュージーランドテロ事件でもあきらかであり、日本が日本人が世界にどういう感情で見られているのかは参考としなければならないが、それは一端のことであり世界注目の東京五輪となれば日本としても高いレベルの安全対策が必要だ。

 (7)政府はこのために共謀罪制定で国民監視政策を強めているが、警戒する相手は国際テロ、それに共鳴するテロリストであり、ニュージーランドテロ事件を教訓として考えなければならない。

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天皇の役割。 allotment of duties of Tenno

2019-03-20 20:00:43 | 日記
 (1)興味深い世論調査だ。天皇が象徴としての役割を十分果たしていると思うかに、十分果たしている67%、ある程度果たしている19%で86%が象徴としての天皇の役割(allotment of duties of Tenno)を果していると回答している。

 天皇が象徴としての役割を果たしているのか問われたら、回答に窮する。現天皇は海外も含めて戦争慰霊、国内被災地訪問、各大会出席で国民の前に姿をみせる機会が多いので、役割、責務は十分に果たしていることは間違いないが、「象徴」の意味がはっきり理解できないので答えようがない。

 (2)「象徴」を辞書で引くと「理想や高い思想などを、目に見える形にあらわすこと。また、その手段として使われるもの。シンボル。」とある。ますます理解できないロジック(logic)で深みにはまり、辞書の中ではシンボル(symbol)が一番わかりやすい「象徴」だ。

 そうすると憲法、皇室典範による天皇の「存在」そのものが「象徴」ということになり、役割、責務と直接結びつくと理解することがむずかしい。

 (3)天皇が象徴としての役割を十分に果たしていると回答した86%の人は、何を基準にそう判断したのか聞いてみたいところだ。もちろんロジックの範ちゅうの判断ことで、前述のとおり現天皇が役割、責務を十分に果たしていることは間違いのないことだ。

 (4)国民統合の象徴としての天皇制というのは、戦前、戦中の統帥権(軍隊をまとめる権限)により国権の最高権力者であった時代から、戦後平和憲法施行の中で政治にかかわらない天皇として内閣の助言と補佐による国事行為を行う国民統合の「象徴」として存在する天皇制だ。

 天皇が政治行為にかかわらない「象徴」としての存在、天皇ということが一番わかりやすい象徴ロジックだろう。

 (5)そういう意味では最も天皇としての役割、責務を果しており、世論調査86%というのは低い評価であることがわかる。近年は現天皇の退位意向で宮内庁と政府で思惑の違いも伝えられたことがあるが、ほぼ完全に近い「象徴」としての役割を果しているといえる。

 安倍首相は数千年も継承されてきた天皇の万世一系男子の継続に強いこだわりを示す保守思想が強く、女王制には否定的といわれる。

 (6)皇室は男子天皇継承者が少なく、今後、天皇退位特例法でも付帯決議で女性宮家の創設などについて速やかに検討するよう求めており、皇位安定継承が議論となる。直接当事者の天皇、皇室がこれをどう考えるのか表明されることはないが、日本の伝統、歴史、伝説を次世代に残して受け継いでいくことは現世代、国民の責任でもある。

 (7)もうひとつ世論調査では、皇室との間に距離を感じるかには「感じる」が17%、「ある程度感じる」が33%と50%が国民と皇室に距離を感じるとしている。
 国民統合の象徴としての親しみの天皇と数千年の天皇の伝統、歴史、伝説の継承の重みの証しの落差、反作用と受け止められる宿命だ。

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辺野古と透析の中止。 stoppage of henoko and dialysis

2019-03-19 20:19:21 | 日記
 (1)直近の世論調査で沖縄県民投票で辺野古埋め立てに反対が70%近くの中で政府が埋め立てを続行することに反対が52%と賛成29%にダブルスコアの大差をつけた。
 安倍首相はかねてから辺野古移設は唯一の解決策として国民にはそのうちわかる、理解してもらえるとの考えを示しており、国民の52%が反対を表明しても見直す考えはない。

 (2)公立福生病院が透析(dialysis)が必要な患者に対して中止するか継続するか選択させて、中止を希望した患者が死亡した問題で同病院は患者に選択をさせたことが「適正な医療」であったと断言(報道)している。

 患者に自らの治療方法を選ばせるのは患者本位で自主的、自律的、自発的な治療方法のようにもみえるが、インフォームド・コンセントがどれだけ十分になされていたのか、事例では末期的な患者でもなく透析治療を続ければ亡くなることはない患者への中止するか継続するかの患者自身の選択を求めるものだった。

 (3)これを「適正な治療」だったとするなら、患者の自主的、自発的、希望にまかせた専門的な見地を度外視した治療中止という医師の患者の生命を守る、救う役割、使命の職務放棄、自殺ほう助の観念に等しいものだ。

 現実に学会のガイドラインの患者終末期に限定する治療中止という基準に反しており、しかし同病院は「透析を受けない権利を患者に認めるべきだ」(報道)と学会ガイドラインを批判している。

 (4)前出の辺野古移設は沖縄県民の意思を最大限に尊重して沖縄県民の生活、権利を保障する立場にある政府、安倍首相であるが、そうはせずにそのうちわかる、理解してもらえると辺野古移設工事を続行する。

 透析中止選択問題は患者の生命を守り、救う医師、病院が患者の選択意思を求めて尊重して、患者の治療中止意思のまま亡くなるという結果となった。こちらは治療すれば生命が守れる患者の意思にかかわらずに治療を続ければ患者の生命は救える可能性が高いものだった。

 (5)日本を取り巻く二つの「選択」意思問題で、県民投票の意思を最大限尊重して生かすことが求められた政府、安倍首相がそうはせずに県民意思に沿わずに辺野古移設埋め立て工事を続行する。

 一方患者の意思にかかわらずに専門的な見地から治療、透析を続ければ患者の生命が維持できた、救えた可能性が大きいものを、医師、病院は患者本人の意思決定に委ねて死亡に至らしめた。

 (6)とるべき専門的な良識的な行動、判断はどうだったのか、適切、適正な行動、判断はどうだったのか、二例はちょうど真逆の専門的判断の入れ違いであり、ともにこのまま放置できない緊急性、問題性、検証性が必要な問題だ。

 辺野古移設では国民の生命、財産、権利を保障する政府の防衛上、国策上の高度な政治判断であり、国民、県民の意思によらずに政治、経済の対米関係の必要性、継続性、重要性を含めて総合的に判断、裁量されることが優先されるという判断だ。

 (7)しかし政府は沖縄県民に駐留米軍基地の70%以上が集中して過重負担を強いる不公平、不公正是正について、国民権利の平等、公平、公正性保障から柔軟な対策、対応が求められている。

 安倍首相のいうあとからわかる、理解してもらえるでは政治責任を果すことにはならない。

 (8)透析中止の患者選択は世界的な安楽死を認めるのかどうかの議論の中で、人間の尊厳に対する考え方の方法論(methodology)ではあるが、医師の患者の生命を守る、救うという役割、使命と患者の自主的、自発的、自律的意思とどう両立させるのか、できるのかの究極の課題であって、医師、病院単位で判断解決できる問題ではなく国、医学界さらに国民全体の理解、協力が求められる、必要なテーゼ(thesis)だ。

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