いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

人間の尊厳。 dignity of man and woman

2019-03-08 20:25:28 | 日記
 (1)透析治療が必要な患者に対して同治療を希望するのかしないのかを選択させて、希望しない患者が4年間で20人亡くなった病院報道の日に、2才の女児の麻酔薬を使った虫歯の治療後に容体が急変したのに適切な救命措置を取らずに死亡させたとして歯科院長が業務上過失致死容疑で書類送検された。県警は救命措置をすれば救命できたと判断(報道)した。

 (2)片や患者自身に「死」を選択させて、片や適切な救命措置を取らずに2才女児が亡くなった。人間は完全無欠なものはおらずに(多分)間違いを犯すものではあるが、専門性の高い判断や技術の裁判、医療ではそんな「人間」に自らの「命」を預けるという不条理(unreasonableness)な世界でもある。

 医師は人間の生命を守り、救う使命の任務、責任、期待を負う特別な職業人だが、100年時代、高年令化社会、先端的医学、医療分野の進歩を迎えて終末期の患者の治療に向き合うときに何が患者にとって「幸福」なのか、より良い選択なのかの判断に直面することが考えられる。

 (3)これを医師の判断にまかせるのではなく医学界(学会)として判断基準、水準をを示しているが、冒頭例では透析治療しない基準を学会ガイドラインで「全身状態が極めて不良」、「(治療行為が)患者の生命を著しく損なう危険性が高い」場合に限っているが(報道)、透析治療が必要な患者に病院医師独自の判断で治療する、しないに二択を患者に選ばせて、結果として必要な救命措置を取らずに死亡させていた。

 医師としての倫理、使命、責任、期待に反する医療体制で、終末期患者の対応とはかかわらない医師としての人間(患者)の命を守り、救う業務不履行、不作為行為であり認められるものではない。

 (4)当該病院の医師は「対症療法を医師が問答無用で押しつけることはできない」、「導入時にどうしたいのか(患者に)確認する時代になっている)(報道)と主張しているが、学会には個人医師の判断にまかせるのではない治療行為、判断能力のガイドラインがあり、学会基準を無視した独断的な判断で人間(患者)の生命維持、治療にあたるという医師の倫理、使命、期待に反した重大違反行為だ。

 (5)これでは人間、患者は自らの生命維持、治療行為をそんな医師に委ねることはできない。医学界(学会)としては患者の生命維持、治療基準、水準についてコンプライアンス(compliance)を徹底しなければならない。

 前述したように人間は完全無欠ではありえずに、しかしより専門性の高い判断、技術の医療分野ではそんな人間(医師)に自らの生命、治療を委ねるわけだから、組織として普遍的な正義、倫理、使命に沿った基準、水準で正確性、確率性をより高めていくしかない。

 (6)医療ミスはよほどのことがない限りは医師の業務上の責任は問われずに謝罪、おわびで済ませているが、それはまた使命、責任、期待の重大さ、大きさを示すものであることを自覚しなければならない。

 100年時代、高年令化社会、先端的医学分野の進歩を迎えて、終末医療の「難しさ」はより実感としてあるが、まだ「人間の尊厳」(dignity of man and woman)との共存は解決していない。

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