いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

異質な追悼式。 heterogeneous memorial ceremony

2019-03-12 20:21:13 | 日記
 (1)東日本大震災が発生して政府の復興構想会議が周期的に東京で開催された。現地で震災復旧に追われる首長がそのたびに東京会議に呼ばれて多忙を極めていた。
 現地はインフラも交通網も破壊されて混乱していたが、そんなところで復興構想会議もないものともいえるが、そこを切り開くのが政府の未曽有の大震災の復興構想会議の役割だったのではないのか。

 (2)復興構想会議が提起したものは大震災にあってはとにかく高台に避難することが主眼で、その後の被災地の復旧、復興の基本方針、指針とはならずに被災住民と自治体の意思疎通がはかれずに、まとまらずに復旧が遅れる混乱の原因となった。

 政府の主体となる復興機関を被災地現地に設置して生活、街づくりの現実感の中で復旧、復興を支援、推進すべきであった。

 (3)東日本大震災から8年を経過した昨日の3.11は各地で追悼が行われたが、東京で開催された政府の8周年追悼式はやはり異質に(heterogeneous)感じた。
 メディア調査で岩手、宮城の首長は復興した、ほぼ復興したと回答したが、福島では復興したはなく、ほぼ復興した4割にとどまる中で、東京に被災者、遺族、関係者を招いての政府の追悼式開催は冒頭例の復興構想会議を東京で開催して被災自治体の首長が呼ばれた異質性を思い起こされるものだ。

 (4)復興半ばの被災地で政府追悼式を開く経費、準備、負担の大きさ、問題はあるが、やはり追悼式は復興被災地で政府ともども出向いて実施するものではなかったか。
 そうしてできるなら安倍首相、政府始め閣僚、機関関係者が被災住民、遺族に向き合って話を聞き、悩みを聞きその体験から被災地、住民が望む、必要とする支援、協力、補償を考える、対応する機会にすべきことであった。

 (5)政府としては出席規模、経費負担を考えて効率的な既存施設を利用する追悼式の東京開催を考えたのだろうが(たとえば全国民が犠牲となった大戦の慰霊式を東京で開くのとは訳が違う)、千年に一度といわれる未曽有の東日本大震災の発生から8年を迎えていまだに5万人以上が避難生活を強いられて、仮設住宅生活も続き復興半ばの政府追悼式となれば被災地に出向いて追悼すべきだ。

 (6)安倍首相が来年の東京五輪開催を復興五輪として世界の人に見てもらうと強調しても、被災住民からは復興五輪とはならずに東京五輪でしかないと批判する意見もあり、政府と被災地住民との意識のギャップもみえてくる。

 せめて政府が東日本大震災追悼式を被災地で開催して、政府あげて、閣僚あげて被災地住民に直接意見、望みを聞く姿勢、意味を示すことが必要だ。

 (7)東京で開く東日本大震災8周年追悼式に異質なものを感じて、被災地、住民、遺族の願い、希望、未来が届くとも思えない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする