オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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Sea Rescue (Midway, 1971)のフライヤーで思ったこと

2022年08月21日 20時10分52秒 | ピンボール・メカ

まだビデオゲームなんてものが無いか、またはそれほど普及していなかった1970年代前半のアーケード機は、当然ながら今でいうエレメカ機が基本でした。今回はそんな時代の1971年、Ballyに買収されて間もない米国Midway社が発売した「シー・レスキュー(Sea Rescue)」のフライヤーのご紹介です(BallyがMidwayを買収したのは1969年)。

シー・レスキューのフライヤーの表。

ヘリコプターが、船乗りと思われる白人男性と、BQBな南洋の美人がいる南の島と思しきところにゲーム機を下ろしていますが、筐体の外観は小さく、よく見えないので拡大してみます。

フライヤー表面の筐体部分。側面にはヘリコプターが救命ボートに縄梯子を下ろしているようなアートワークが見えるが、操作系がどうなっているのかはよくわからない。

一体どんなゲームなのかと裏面を見ると、そこにはどうもゲームのプレイフィールドと思しき画像の周囲に、このゲームの特徴が書かれています。

フライヤーの裏面。

図の右下に見える「+SAR」とは、「遭難した航空機・船舶などの救難信号をとらえ救助活動を行う国際的システム」である「Search And Rescue(捜索救難システム)」の略で、どうやら筐体のアートワークにあるように、ヘリコプターを操って遭難者を救出するゲームであるらしいことは見当が付きました。しかし、実際のゲーム画面が全然イメージできません。ゲームの特徴として書かれている10個の短文も、こけおどしのハッタリとオペレーターが取れるオプションばかりで、ゲーム内容を端的に説明するものはありません。

これはたぶん現在でもそうですが、オペレーターはゲームの良し悪しまでは判断できないので、新製品が出れば半ば自動的に導入せざるを得ず、その余裕がないオペレーターはいち早く導入したロケでの稼働の様子を見て導入を決めているのが実情だと思います。そうであれば、メーカーが打つ宣伝では、ゲーム内容などよりオペレーターにとってのメリットの方がむしろ重要だったのだと思います。

ワタシはこのゲーム機を実際に見たことがあるかどうか、定かな記憶がありません。セガが1972年に頒布した価格表にはこのゲームの名前が記載されており、輸入はされているようです。

セガが1972年の5月頃に頒布した価格表より、シー・レスキューが記載されている部分。結構高い部類の機械だったようだ。

ヘリコプターを操るゲームとしては、68年にセガが「ヘリコプター」を発売しており、これは遊んだ記憶がありますが、それに類するゲームにしてはプレイフィールドを覗くウィンドウ部分がずいぶん小さいように思えます。

セガの「Helicopter」(1968)のフライヤー。2本のレバーでヘリコプターを操作して、点灯する目的地に着陸させるゲーム。実は米国のAmusement Engineering社も同年に「Helicopter Trainer」という同コンセプトの機械を作っているが、どちらが先なのかはわからない。

そこでネット上をググってみたところ、1件だけ動画がヒットしました。これを見ると、やはりヘリコプターを指定の位置に着陸させるゲームでしたが、この時代はブラックライトで対象物を照らす技法を使ったゲームが多く、記憶が混乱して、やはり確かに見たことがあると言えるほどの確信には至りませんでした。

ところで、フライヤーの表面には、機械の到着を喜んでいるらしい船乗りと、「私を退屈から救出するのはミッドウェイにお任せ (Leave it to Midway to save me from boredom.)」との一文が見えます。一方で、悲しそうな表情の半裸のBQB南洋美人も描かれており、つまりこの船乗りはそれまでさんざん世話になっていたであろうBQB南洋美人に飽き飽きしているというストーリーが察せられ、どんなゲームなのかもよくわからない内容であることと併せてドイヒーなフライヤーであると思わざるを得ません。

悲しそうな顔の南洋美人(BQB)。