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「三共」についての備忘録(5) 三共精機と三共のAM機

2023年03月19日 18時50分20秒 | メーカー・関連企業

つい数日前に、三共ベンダーからここに至るまでの沿革についてより詳しいことがわかりました。出典は「遊戯機械総合年鑑」の79年版及び80年版です。

1959 4月 三共ベンダー設立
1966 6月 三共遊園設備に改称
1971 ?月 三共精機が分離独立
1976 11月 三共遊園設備と三共精機を合併して三共に社名変更

出典には、三共精機が分離独立した時期については1971年としか書かれていません。合併が76年11月ということなので、1976年にリリースされたものは三共精機または三共遊園設備から受け継いだものと判断してもよさそうではあります。

【1】アメリカンフットボール(1976)

アメリカンフットボールのフライヤー。三共精機名義。

この「アメリカンフットボール」は、ポップバンパーを備えた国産のフリッパーマシンです。フライヤーでは「ユニークなデジタル得点表示と電子音、IC使用」と謳っています。それまでは比較的単純な構造のEM機(中には電気を殆ど使わないものもあった)を作っていた三共精機(と、三共遊園設備)ですが、今後はテクノロジーの変化に適応していく必要があると認識していたのでしょう。

ところで、ワタシは過去記事「 初期の国産フリッパー・ピンボール機:ターキーボール(関東電気工業、1972)」において、「関東電気工業は、「ターキー」の後にもフリッパーピンボールを少なくとももう一つ作っていたはずと思う(確かアメリカンフットボールテーマ)」と述べていますが、それはこの機械のことだったようです。

三共と関東電気工業には不思議な一致点があります。まず、「アメリカンフットボール」と「ターキーボール」のポップバンパーはどちらも同じ機構(すなわちセガと同じ?)のようです。そして関東電気工業と三共遊園設備ともに、多くの人の記憶に残っているガンゲーム「チューハンター」を記載する広告が残っています。

話はさらにややこしくなりますが、「児童遊園設備」という三共遊園設備とよく似た社名の会社があって、ここも自社の名前で「チューハンター」のフライヤーを頒布しています。この児童遊園設備と関東電気工業はご近所(ともに東京都三鷹市)の間柄で、両社とも「王将」というゲーム機の名前を挙げている広告があります。ひょっとするとこれら三社は、協力会社とか元請けと下請けの関係のようなものがあるのかもしれませんが、謎です。

【2】アドバンテージ(1976~1977?)

アドバンテージのフライヤーを掲載するweb版ゲームマシン2021年5月15日号の一部。

ワタシは「アドバンテージ」のフライヤーは持っていないのですが、日本製のポップバンパー付きピンボール機の存在は貴重なので、フライヤーが掲載されているweb版ゲームマシン2021年5月15日号をご紹介することで言及しておきたいと思います。

「アドバンテージ」は「アメリカンフットボール」に続くSS機です。しかし、この時期に機械のSS化に励んでいたのは米国のピンボール機メーカーも同様で、多くのノウハウが蓄積されている彼らはより複雑で面白いゲーム機を次々と生み出していました。果敢に挑んできた三共でしたが、残念ながらこれらには太刀打ちできなかったようで、これ以降はフリッパー機から手を引いてしまいました。

なお、「アドバンテージ」のフライヤーは「三共」の名義ですが、少なくとも三共を名乗りながらも「旧社名 三共精機(株)」と併記しているアミューズメント産業1976年11月号の広告にも掲載されているところから、アドバンテージは三共精機から受け継いだタイトルではないかと思います。

【3】アーチェリー(1976)

アーチェリーのフライヤー。三共名義。

業界誌の広告を見ると、これも上述の「アドバンテージ」とほぼ同じ時期に掲載が始まっているので、三共精機から受け継いでいると思われます。

フライヤーにはことさら書かれていませんが、得点などの表示に7セグが使われており、ここでも電子化への移行が見られます。とは言え、この頃は例えばレジャックの「ピカデリー」のように、いわゆる「駄菓子屋ゲーム」にもIC化の波が押し寄せてきていました。三共もこの流れに取り残されぬよう奮闘していたことが窺われます。

【4】総合カタログ(1976以降1978以前?)

総合カタログの表紙側(上)と中側(下)。

しかし、ここに掲載されている製品は、1機種を除いてアミューズメント産業誌1976年11月号の広告に掲載されており、三共遊園設備から受け継ぐ遺産ばかりです。

三共は1977年以降もそれなりに新製品を出し続けてはいますが、SCロケ向けの小型のものが殆どです。ワタシは、ビデオゲームが台頭しつつあるAM業界において三共はもう「過去の人」になりつつあるかのように感じていたので、そんな三共が1978年にビデオゲーム「キャッスルテイク」をリリースしたときはいくらかの驚きを得たものでした。三共のビデオゲームについてはいずれ機会を改めて触れようと思います。

【5】ニュースペースクレーンII(1985)

ニュースペースクレーンIIのフライヤー。三共名義。

三共は、1980年まではメーカーとオペレーターの業界団体である全日本遊園協会(JAA)の会員でしたが、JAA解散後は1982年よりオペレーターの業界団体である日本アミューズメント・オペレーター協会(NAO)の会員となっています。

ワタシは、三共はこの時期にメーカーであることをやめたのかと思っていたのですが、「ニュースペースクレーンII」を1985年にリリースしています。

三共は少なくとも1973年の段階で「スペースクレーン」というプライズ機を製造販売していました。そして1977年にはその改良版である「ニュースペースクレーン」をリリースしており、なかなかのロングラン機種となって三共を支えていたようです。

スペースクレーン(左)とニュースペースクレーン(右)。

(次回「三共に関するいくつかのエピソード」(最終回)につづく)


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