今更で恐縮ですが、前回と今回の記事は、ワタシがかつて公開していたウェブサイト「東京ラスベガス(など)ランド」での記事の焼き直しです。
「東京ラスベガス(など)ランド」は、ニフティサーブが提供するホームページサービス上で作成していたものですが、2016年にサービスを終了したことに伴い削除され、現在は見ることができません。
しかし、このサービスは容量が少なかったため、一部のコンテンツについては他社のホームページサービス上で作成し、ニフティのページからそこにリンクを張るという形を採っていたので、そのようなコンテンツは帰属すべきトップページを失ったまま今もウェブ上に残っています。
焼き直しの元となった記事は3編あります。
一つ目は、2002年に公開した「ニッポンのスロットマシン」です。
ここで、ジェミニとバーリー製品との類似性についての疑問を提示に留まり、その謎については解明できませんでした。前回の記事は、これが下敷きとなっています。
二つ目は、2006年8月に公開した「続・日本のスロットマシン」です。
この中で、「PACHISLOT2001」を出典として、ジェミニとバーリーの関係について述べました。
最後は、2006年10月に公開した「続・ニッポンのスロットマシン補遺」です。
「続・ニッポンのスロットマシン」を閲覧された「S川」さま(仮名)という方から、記事の誤りのご指摘と画像資料のご提供を受けたので、修正情報を掲載したのがこの記事です。
これら過去に上げたウェブページは、現在のワタシの認識とは異なるところが一部あることと、また、どこからもリンクを張られずにいる野良ページのままでは情報の拡散に寄与する機会も少なかろうという事で、今回リメイクしている次第です。
★★★★★ 以下、今回の本編
「PACHISLOT2001」の記事「伝説のパチスロ第1号 『ジェミニ』誕生秘話」は、はじめに戦後日本にスロットマシンが持ち込まれてからオリンピアを経てジェミニ開発に至るまでの、日本におけるスロットマシンの歴史的経緯を簡単に紹介してから、ジェミニ開発者である角野博光氏へのインタビューという形で進められています。
本題であるインタビューは、いきなりジェミニとバーリー製品との類似性から始まります。
―「ジェミニ」の写真を見るとバリーのスロットマシンにそっくりですが?
角野 もうみんなそうですよ。実は「ジェミニ」はバリーの「マネー・ハニー」をベースにして「クイックドロウ」の部品を使って製造したものなんです」 (原文ママ・引用は以下同様)
と答えています。なんと、ジェミニはバーリーの部品を流用して作られていたのですから、「似ている」ではなく「そのもの」ということでした。これで、最低限の謎は解けました。
ただ、この角野氏の答えには、いくらかの違和感を感じます。バーリーは、1964年にエレクトロニクス技術とコインホッパーを導入した画期的な基本構造を発明しました(関連記事:米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2))。
以降、バーリーはこれを自社のリールマシン共通のプラットフォームとして、次世代機「シリーズE」を開発する1980年までの間に百数十種のタイトル(一部の特定地域向けのタイトルは除く)を製造しています。そして「マネー・ハニー」は、その第1号機「Model 742A」の10種類のバリエーションのうちのひとつであったにすぎません。
もう一つ、「クイックドロウ」という機種名も挙がっていますが、これは「マネー・ハニー」発売の2年後の1966年に発売された機種で、当然プラットフォームは「マネー・ハニー」と同じです。しかし「クイックドロウ」には、任意のリールを固定(ホールド)してゲームをすることができる「ホールド&ドロウ」というフィーチャーがあり、フロントドアにはホールドするリールを選択するボタンが取り付けられていました。「ジェミニ」はストップボタンの設置が必須だったので、ボタンを取り付ける穴が予め開いているフロントドアの存在は渡りに船だったことでしょう。
しかし、「ホールド&ドロー」フィーチャーを持つ機種は、「クイックドロウ」以降1975年までに約10機種が開発されており、ボタン穴の開いたフロントドアはそれらの殆どに使用された共通部品でした。


「ホールド&ドロウ」フィーチャーを持つクイックドロウ(左・1966)とサーカス(右・1972)のフライヤー。フロントドアには、それぞれのリールに対応するホールドボタンが取り付けられており、このボタンが取り付けられている穴に、「ジェミニ」のストップボタンが取り付けられたのであろうことから、インタビューにある「クイックドロウの部品を使った」の「部品」とは、これらのフロントドアを指すものと思われる。なお、最も左にあるボタンはキャンセルボタンで、ホールドを取りやめる場合に使用するものだが、「ジェミニ」ではこの部分に「メクラ蓋」と呼ばれる覆いが施されていた。
記事は、実際は余談も含むそれなりに長い話を、簡潔に、しかしなるべく多くの情報を含ませようとしてこのような文章となったものと察しますが、モデルとなった機種を特定してしまうことは情報を歪ませる恐れを感じます。より正確を期すならば、「当時のバリーのスロットマシンの機構をベースに、バリーの筐体を使って製造したものなんです」とすべきであると考えます。
念の為に申し上げます。ワタシは故人の記事にケチをつけるつもりはさらさらなく、渡邊氏の、初期パチスロとバーリーの関係を明らかにされた功績はたいへんにリスペクトしております。ここは単に、正確を期する以外の目的はないものとご理解いただければありがたく存じます。
さてそれでは、角野氏はいかにしてバーリーの部品を流用するに至ったのでしょうか。今回はこの辺についても述べておこうと思っていたのですが、本日中に記事をアップするためにはそろそろ時間が足りなくなってしまいましたので、今回はここまでといたします。見通しが甘くてすみません。
(つづく)
「東京ラスベガス(など)ランド」は、ニフティサーブが提供するホームページサービス上で作成していたものですが、2016年にサービスを終了したことに伴い削除され、現在は見ることができません。
しかし、このサービスは容量が少なかったため、一部のコンテンツについては他社のホームページサービス上で作成し、ニフティのページからそこにリンクを張るという形を採っていたので、そのようなコンテンツは帰属すべきトップページを失ったまま今もウェブ上に残っています。
焼き直しの元となった記事は3編あります。
一つ目は、2002年に公開した「ニッポンのスロットマシン」です。
ここで、ジェミニとバーリー製品との類似性についての疑問を提示に留まり、その謎については解明できませんでした。前回の記事は、これが下敷きとなっています。
二つ目は、2006年8月に公開した「続・日本のスロットマシン」です。
この中で、「PACHISLOT2001」を出典として、ジェミニとバーリーの関係について述べました。
最後は、2006年10月に公開した「続・ニッポンのスロットマシン補遺」です。
「続・ニッポンのスロットマシン」を閲覧された「S川」さま(仮名)という方から、記事の誤りのご指摘と画像資料のご提供を受けたので、修正情報を掲載したのがこの記事です。
これら過去に上げたウェブページは、現在のワタシの認識とは異なるところが一部あることと、また、どこからもリンクを張られずにいる野良ページのままでは情報の拡散に寄与する機会も少なかろうという事で、今回リメイクしている次第です。
★★★★★ 以下、今回の本編
「PACHISLOT2001」の記事「伝説のパチスロ第1号 『ジェミニ』誕生秘話」は、はじめに戦後日本にスロットマシンが持ち込まれてからオリンピアを経てジェミニ開発に至るまでの、日本におけるスロットマシンの歴史的経緯を簡単に紹介してから、ジェミニ開発者である角野博光氏へのインタビューという形で進められています。
本題であるインタビューは、いきなりジェミニとバーリー製品との類似性から始まります。
―「ジェミニ」の写真を見るとバリーのスロットマシンにそっくりですが?
角野 もうみんなそうですよ。実は「ジェミニ」はバリーの「マネー・ハニー」をベースにして「クイックドロウ」の部品を使って製造したものなんです」 (原文ママ・引用は以下同様)
と答えています。なんと、ジェミニはバーリーの部品を流用して作られていたのですから、「似ている」ではなく「そのもの」ということでした。これで、最低限の謎は解けました。
ただ、この角野氏の答えには、いくらかの違和感を感じます。バーリーは、1964年にエレクトロニクス技術とコインホッパーを導入した画期的な基本構造を発明しました(関連記事:米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2))。
以降、バーリーはこれを自社のリールマシン共通のプラットフォームとして、次世代機「シリーズE」を開発する1980年までの間に百数十種のタイトル(一部の特定地域向けのタイトルは除く)を製造しています。そして「マネー・ハニー」は、その第1号機「Model 742A」の10種類のバリエーションのうちのひとつであったにすぎません。
もう一つ、「クイックドロウ」という機種名も挙がっていますが、これは「マネー・ハニー」発売の2年後の1966年に発売された機種で、当然プラットフォームは「マネー・ハニー」と同じです。しかし「クイックドロウ」には、任意のリールを固定(ホールド)してゲームをすることができる「ホールド&ドロウ」というフィーチャーがあり、フロントドアにはホールドするリールを選択するボタンが取り付けられていました。「ジェミニ」はストップボタンの設置が必須だったので、ボタンを取り付ける穴が予め開いているフロントドアの存在は渡りに船だったことでしょう。
しかし、「ホールド&ドロー」フィーチャーを持つ機種は、「クイックドロウ」以降1975年までに約10機種が開発されており、ボタン穴の開いたフロントドアはそれらの殆どに使用された共通部品でした。


「ホールド&ドロウ」フィーチャーを持つクイックドロウ(左・1966)とサーカス(右・1972)のフライヤー。フロントドアには、それぞれのリールに対応するホールドボタンが取り付けられており、このボタンが取り付けられている穴に、「ジェミニ」のストップボタンが取り付けられたのであろうことから、インタビューにある「クイックドロウの部品を使った」の「部品」とは、これらのフロントドアを指すものと思われる。なお、最も左にあるボタンはキャンセルボタンで、ホールドを取りやめる場合に使用するものだが、「ジェミニ」ではこの部分に「メクラ蓋」と呼ばれる覆いが施されていた。
記事は、実際は余談も含むそれなりに長い話を、簡潔に、しかしなるべく多くの情報を含ませようとしてこのような文章となったものと察しますが、モデルとなった機種を特定してしまうことは情報を歪ませる恐れを感じます。より正確を期すならば、「当時のバリーのスロットマシンの機構をベースに、バリーの筐体を使って製造したものなんです」とすべきであると考えます。
念の為に申し上げます。ワタシは故人の記事にケチをつけるつもりはさらさらなく、渡邊氏の、初期パチスロとバーリーの関係を明らかにされた功績はたいへんにリスペクトしております。ここは単に、正確を期する以外の目的はないものとご理解いただければありがたく存じます。
さてそれでは、角野氏はいかにしてバーリーの部品を流用するに至ったのでしょうか。今回はこの辺についても述べておこうと思っていたのですが、本日中に記事をアップするためにはそろそろ時間が足りなくなってしまいましたので、今回はここまでといたします。見通しが甘くてすみません。
(つづく)
今までの記事から、私が知りうる日本最古のパチスロ機、
「トロピカーナ7S」にたどり着くのか、非常に興味を持って
拝見させていただいています。
ボーナスの前兆である「遅れ」も含め、更新を楽しみにしています。
ところで、「トロピカーナ7S」とは「ジェミニ」から10年後くらいの機種と記憶しますが、「日本最古のパチスロ」とはどういうことでありましょうか。実はワタシは、「ジェミニ」以前の、日本返還前後の沖縄で「スラグマシン」と呼ばれていたスロットマシンについての情報を探しているのですが、ひょっとしてそれにかかわるお話でしょうか。よろしければ「トロピカーナ7S」についてご教示いただけますようお願い申し上げます。
私も実際打った事はありませんが、沖縄で存在していたパチスロ台の1つとして
「トロピカーナS」を挙げさせていただきました。
レバーや台の形状が非常に似ていたもので…混乱させてしまい申し訳ありません。
詳しくは「コザゲームコーナー」で検索して頂ければ幸いです。
私も、こういう古台を求めて旅打ちをしていた人間です。
純粋に日本国産最古のパチスロ台なら、山佐の「パルサー」になりますね。
それ以前の台となると分かりかねます。スラグマシンも然りです。
パチンコは、チューリップとかセンターヤクモノの変遷などゲーム性の変化が外見からわかりやすいですが、パチスロはそういう要素が少ないですからね。
。
コザゲームコーナー、検索してみました。浅草の三松館や大阪天王寺のニュー三共を髣髴とさせる、良さそうな店ですね。ワタシは今でこそパチンコもパチスロも殆どやらなくなってしまっていますが、こういう店を見つけたらやはり入ってみると思います。
また面白いお話がありましたらお寄せ下さい。