セガのロゴと聞けば、たいていの方はこの形を想起されるものと思います。
セガのロゴを象った「セガロゴ焼き」。2018年の夏に今は無き池袋GIGOで販売(厳密には、ゲーセンに併設されたたい焼き店「セガのたい焼き」での販売)され、昨年にはセガ秋葉原5号店(同上)でも販売された。
しかしセガは、以前にはこのようなロゴを使用していました。
現在のセガロゴになる以前の旧ロゴ。
ロゴの変更が行われた詳細な時期はよくわからないのですが、業界誌「アミューズメント産業」の1976年3月号では旧ロゴ、同年7月号では新ロゴの広告が掲載されていることなどから、1976年の初春から初夏頃に絞れそうです。
上が業界誌「アミューズメント産業」1976年3月号、下が同7月号に掲載されたセガの広告(部分)。4月号と6月号にはセガの広告無し、5月号は手元にないため確認できず。
例によって前置きが長くなりましたが、これからが今回の本題です。ちょうどセガがロゴを変更するかどうかと言う時期に、セガは「ロードレース」というビデオゲーム機を発売しており、業界紙「ゲームマシン」がその1976年4月1日号で報じています。
セガ「ロードレース」の発売を報じるゲームマシン紙1976年4月1日号の記事。
ワタシはこのゲームを見たことはありますが、遊んだことはありません。ハンドルの角度を変えられる「チルトハンドル」機能がなければ、記憶にも残っていなかったかもしれません。ワタシ的な評価としてはその程度のゲームです。それを今回敢えて取り上げるのは、このゲームのフライヤーに、新旧2種類のカンパニーロゴが併載されているという、他のフライヤーには見られない特殊な特徴があったからです。
「ロードレース」のフライヤーの表(上)と裏(下)。旧ロゴ(赤円内)と新ロゴ(青円内)の両方が見られる。
上図に見られるように、このフライヤーには旧ロゴと新ロゴの両方が記載されています。セガは、他との競合を避ける意味で、製品のネーミングでは必ず頭に「セガ」を付けていました。ワタシは商標には詳しくありませんが、もしセガロゴを含んだ上で商標登録されているのだとすると、後々面倒なことにはならないものだったのでしょうか。
ともあれ、1976年の3月くらいから6月くらいのどこかで生じたロゴ変更は、1976年の4月頃に発売された「ロードレース」にこのような混乱を起こしたという、実に些末なトリビアが今回の収穫でした。
さて、今回はこれまでなのですが、ずいぶんあっさり終わったので、最後に余談を少々付け加えようと思います。セガは1950年代に「サービス・ゲームズ」という社名で始まったことは拙ブログをご高覧くださる方々の殆どはご存じのことと思います(関連記事:セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(1) まずは過去記事から概説)。
この時のロゴは、当時のサービス・ゲームズ社が扱っていた米国ミルズ社製のスロットマシンのサービスマニュアルで見ることができます。
ミルズ社製のスロットマシンのサービスマニュアルより、当時のサービス・ゲームズ社のロゴ。
それがいつのころからか商品名に「SEGA」を名乗るようになり、やがては社名にまでなって、「サービス・ゲームズ」は無くなったはずでした。しかし、1970年代の中ごろの時点で、この「サービス・ゲームズ」を名乗る会社がありました。
業界誌「アミューズメント産業」1974年10月号に掲載された、サービス・ゲーム社の広告。
本家のロゴと見比べると微妙に異なるものの、基本的には踏襲されているように見えます。また、社名だけでなく、ミルズのトレードマークであった「ミミズク」まで模倣しているようです。この70年代のサービス・ゲームズの素性はよくわかりません。どうも、セガのOBが設立した会社であるらしい話は見聞した覚えがあるのですが、どなたか詳細をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。
ワタシもROADRACEは体験した記憶がありません(コレの単車版なら遊んだ事はあります)
この頃のモニタTVは緑黒(いわゆるグリーンモニタ)が主流でしたね。PONがリリースされたあたりからか白黒モニタが搭載機が増えたかと思います。時代を感じますね。
あと、神戸のサービス・ゲームス社のカタログより一応"・"で区切ってはあるものの、「カジノゲーム経営及び修理」と読み取れる記載が大変素敵です。
「ロードレース」の単車版とは、ひょっとして「MAN T.T,」のことでしょうか。これも1976年製ですが、「ロードレース」よりも幾分後に出ているようですね。フライヤーの文言を読むと、どちらも遠近感を表現した「パースペクティブ走行」を謳い、クラッシュすると画面が反転フラッシュする、ゲームは時間制で一定条件でゲーム時間延長など、類似点が多いです。