日々、思うことをサラサラと。

日頃、イイな、とかおかしいゾ、とかキレイだなと思うことをサラサラと書き出してみたい。

夢売るふたり・・・のふたり

2012年09月23日 | 映画
「夢売るふたり」 西川美和監督・脚本(「ゆれる」他)


松たかこ・阿部サダヲと、大好きな二人の共演とあれば見ないわけにいかない。
かなり愉しみにしていた。
仲の良い夫婦(松・阿部)が切り盛りしている居酒屋は活況に満ち、夫婦は活き活きと仕事している。が、突然の火災に見舞われ店を失ってしまう。
落ち込んで鬱々と過ごす夫に対し、健気に凹むことなく乗り越えようとする聡い妻。
ある日、夫の行きがかり上の浮気がバレて、これがきっかけで妻は再建の為の妙案を
思いつく。ここに辿り着くストーリー展開がいい。そして、この場面の松たか子の
したたかな動作にニヤリとしてしまう。殊に熱くなってきた湯船に水を入れようと
する夫に、蛇口を緩慢な足先の運びで遮る動作に嫉妬の凄さが表れる。
女を騙し大金を借りること。それが妻が考えた資金作りだった。
阿部サダオなんてこれ以上ないくらいに嵌まり役だ。人が良く、ちょっと卑屈で
正義感もそこそこあるが軽薄。もて顔ではないけど、嫌われ顔でもない。
女の自尊心をけして損なわず、嫌味なく同調してみせる。計算のできない男だから
憎めない。こんな男が弱っているときに現われたら傾いてしまう女を笑えない。
もう少しというところで夫は本気で恋をしてしまう。
聡い妻はすぐに気付くが口を閉ざす。その女のところに向かうであろう夫が乗った
自転車の後ろを哀しい目で追う妻。迷いつつ後ろ髪を引かれつつのらりくらりと
自転車を漕ぐ阿部サダヲと、実質去っていくであろう夫を見送る松たか子の場面の
表現が印象的だ。
惨めな感じがしないのは松たか子の良さだ。脚本上の役柄もあるがこの人が
演じてこその泥臭さのない賢さの勝った妻であった。
泣いてすがったり、喚きたてたり、可愛いフリをできない女。これが出来ていたら
或いは阿部夫は振り返り戻ったりもしたかも知れないが、だからこその松妻なのだ。
爽快なほどのしたたかさで計算した人生設計だったけれど、男の感情までは
どんな賢い妻でもコントロールできなかった。
結末はふたりの性格が象徴的に表現されている。


余談だが、「夢売るふたり」を見るつもりで出かけたら、映っていたのは
「最強のふたり」だったネットで予約を入れたときに間違えてしまった。
「最強のふたり」というタイトルを捕まえたときに何の違和感もなく購入して
しまったのだけど、こちらのタイトルでもピタリと当て嵌まる、よね。
因みに「最強のふたり」もいい作品だった


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そこはかとなく面白い俳優たち

2012年09月17日 | 映画
ちょっとコケて「面白いっ!」と感じる俳優がいる。
こういう、そこはかとなく面白い人は天性のものだから
上手い演技をして得られるものではない。

まず、断トツで挙げたいのが中井貴一

この人の、人の良さと品がうまく溶け込みそこはかとなく面白い。
独特の風貌はキリっと締めればシリアスにも、「え?」と惚ければ
途端に人のいい長閑なオッサンとなる。
トークも抜群のセンスで、軽い一言でに~んまり笑ってしまう。
ドキュメンタリー番組の語り手としての中井さんも良い。
声質に温かい中に清潔な響きがあり、およそどの傾向のドキュメンタリー
にも合ってしまう。

次にオダギリジョー
意外かもしれないが、この人も静かにコケるとほのぼのとした可笑しみがある。
個性の強い役柄が多いが、フツーの人を穏やかに演じている彼が
観たい(短髪にしてくれー)

(好きな短髪画像↑)
新作「船を編む」で、脇役ではあるけれど少々変わり者の編集者役西岡正志を
演じるという。 ”かすかな笑い””静かな笑い”を求められる役どころと
本人は述べているが、この私のツボにンぴしゃのコメントを見て是非観たいと思った
まだ、これほどブレークしてくる前、さんまのトーク番組(さんま御殿!)で
オダギリジョーが訥々と話す内容は、惚けぶりも自然でとても面白かった。
今、思えばあの自然体の力の抜けた惚けぶりもオダギリの演技だったのかな。


そして岡田将生。

きれいな俳優は数多くあれど、これほどの美形はそうそうない。
加えて透きとおるような色白、プロポーションもよしとパーフェクト。
なにかの(?)CMでこの人がちょっとコケた時、「あ、いける」と思った。
やはりそこはかとない可笑しみを持っている。
いい作品にさえ出会えれば、どんどん上手くなる人だと思う。

他に・・・瑛太もそんなものを持っている。
ただ、ファンでもある浅野忠信にないのが残念だ。
小栗旬なし、藤原竜也なし、妻夫木聡なし・・・・

力量で押して面白いのは、西田敏行、役所広司、阿部サダヲ、岸部一徳、笹野高史
などなど・・・・。
彼等は皆演技派で、自然体と思われるような演技でクスリと笑わせてくれるのだけど、
そこに演技する技量を感じてしまう。
素で持っている”のほほ~ん”がない。



今、咄嗟に思いついただけの俳優をあげてみたけれど、思い出したら
追々追記しようと思っている。

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猫の散歩

2012年09月15日 | 春坊の、その後
我が家の猫(春坊5才)が旅に出た。
と、言っても5階のベランダを周遊(3方向がベランダ)してきただけの些細な旅ではあるが。

常日頃、鳥を追ってのジャンプが心配で、猫がベランダに出ることは
厳禁だった。これまで隙を突かれての逃避行はたまにあったが、そんな
時は血相変えて取り押さえに走っていた。
しかし、完全家猫で戸外に出たことのない猫が気の毒でしょうがなかった。
苦肉の策が、早朝と夕刻に監視付きでベランダのほんの一区間だけを散歩
コースとして解放することにしていた。
その時間の猫の嬉しそうなこと
お腹を見せてひっくり返ったり、しっぽフリフリ柵から顔を覗かせたり、嬉しさが
体全体から伝わってくる。猫が時間を間違えてまだ未明に起こされたりすることも
ある「早く、早く」とせがまれているようだ。

猫にとってこんな愉しい時間が監視なし無制限で突然訪れた。
ベランダの網戸を閉め忘れた窓からフラリと出てしまっていたようだ。
恐らくこんな感じではなく、腰を低くしてこの僥倖を疑いながら
出た、と予想されるのだが。

どれほどの時間を散歩していたのか定かでない?
本を読んでいて目の端にチラと白いモノ(白猫)があらぬ方向から入って来た。
ん。ん?まるで”どこでもドア”から戻ってきたような雰囲気を醸している猫。
満足感いっぱいの面相で悠々と証拠の汚れた足をさらしている。
信じ難い思いでレースのカーテン裏の網戸を見ると・・開いていた
高速で記憶を戻してみると、そう確かにあのとき開けたという場面が思い出される。
瞬時にこの失態を連日の暑さのせいにして、猫の無事な生還に心底安堵する。
(その気になれば遠くへ家出もできたはずだ)

それにしても、猫の満足感いっぱいの涼やかな面相を目にすると、
「良かったねぇ、愉しい思いできて」と思う。
私にはけっして与えられない愉しい経験をしたようだ。
ベランダでのドキドキワクワクの猫の時間を想像するとゾっとすると同時に嬉しくも
あり、複雑だ。

あれから猫はいつものコースではなく、”どこでもドア”から行く道を探している。

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キム・ギドク監督祝・・・・ベネチア映画祭

2012年09月09日 | 映画
 
 キム・ギドク監督
  2012ベネチア映画祭 「ピエタ」金獅子賞獲得
    おめでとうございます

キム・ギドク監督作品に嵌りこんでいた時期がある。
「サマリア」2004
「うつせみ」2004
「春夏秋冬そして春」2008
・・・と、殊にお気に入りの作品をあげてみたが
他にも強烈に印象に残る作品が多々ある。

幅広い層に浸透しにくいかな?という危惧があっただけに
この監督の受賞はとても嬉しい。
「サマリア」

は思春期の少女の哀しみ・痛み・不安諸々の
感情を繊細に描いている。父親の寡黙な情景もナイフで切られた
ような痛みを伴って思い出される。
ラストの静かな別れの情景が秀逸だ。


「春夏秋冬そして春」は映像美が際立っている。
(かつてmyブログで最高評の”5”を付けた記憶がある)
 
ストーリー展開と季節毎のロケが見事に調和し、ただ、ただ息を飲む美しさだった。
”秋”の部分、俗世間で人間の業の深さ虚しさを知り戻ってきた元小僧は警察に
追われる身となりその捕らえられる直前、老僧は床一面に描いた書を全て彫り
なさいと命じる。彫りながら気を鎮めなさいと。そして彫った書に警官が自発的に
色を染めていく。

暫し、この場面に釘付けとなり心捕らえられてしまう。この
あたりが韓国映画が好きな根拠となっている。


韓国映画は秀逸な作品と上手い俳優陣が多い(ソン・ガンホのファン)
今回、ベネチアでは初の受賞と聞き「え、これまで獲ってなかった?」と
驚いている。
勢いのある国(韓国・中国・インド・ブラジル)や
上手く治まっている国(北欧・ドイツ・イギリス・フランスなど)はいい映画を作る。
ここ数年来、アメリカ・日本は深く沁み込んでくるような作品に乏しいような
気がするのだが・・。予定調和的な手当てをしてしまう結末が多いのが残念だ。




     
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新聞販売所の怪

2012年09月04日 | 喜怒☆楽
先日、朝日新聞の購読を止めた。
長年の継続購読だったが、記事が拙くなり不快な思いを
することが度々だった。意味不明の文章さえ多々あり
こちらの理解力が衰えた?と危惧することもあったほどだ。

まるで週刊誌のような媚がちらつく記事。TV欄のコメントなど
個人の偏見を堂々と載せていた。
極め付きは8/30の一面の大見出しだった。
”最悪32万人死亡”と太字の大見出しが飛び込んできた。
ウソだろう・・・と思った。こんな大手の新聞社が、大衆の不安を煽るような
大見出しを想定で載せるのか?
まるで、すでに死者が32万も出たようなトリックを使って人を驚かすような
この見出しは許せなかった。

東電批判も強かった。幾たび、この批判に耐えねばならなかったか。


そして、読売新聞に9月より変更した。
前日、朝日の販売所に打ち切りの電話を入れたとたん、
翌日から朝日への勧誘員が3人来た。ナゼ?止めた朝日から
来るんだ?止めたばかりの新聞をすぐ再開するはずないじゃないか。
しかも、どの人も人生の辛酸を舐めきった達人のような輩ばかり。
この情報の裏の人脈が少々怖い。

販売所では継続購読を促すために数ヶ月ごとの契約を勧めてくる。
ほぼ、それが当たり前のごとくの手順でやってくる。
こちらは、止めたいときに止めたいのでそれが無性に不快だ。
なので、更新を前提になるべく短い期間で契約をしたいのである。
これが、どうやら販売所の方では更新のたびに「品」が提供されるので
それが目的のように捉えられている感がある。
狭い我が家にモノはいらないし、入手しても使えない。家のお荷物となってしまう。
粗悪なトイレットペパー、肌にキツい潜在等など・・。
販売所はこの悪習を絶つべし。

長い付き合いだった朝日よ、”天声人語”と”夕刊”が名残惜しい。
殊に夕刊は各曜日の企画が面白かった。美術展の案内や”銀の街から”
の沢木耕太郎さんのコメント、他多数の刺激を受け取った。

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