日々、思うことをサラサラと。

日頃、イイな、とかおかしいゾ、とかキレイだなと思うことをサラサラと書き出してみたい。

ひたすら焼き続ける偉人

2014年05月11日 | 喜怒☆楽
この焼き鳥は逸品です、と知人が太鼓判を押すお店があります(盛岡市内丸)。

50代後半の店主の言うところによると、若いときは焼き具合を「感」が鋭く働き、
表面を見て即座に中身の火の通り加減が分かったという。
他の作業をしながらでもその丁度よい焼き加減を逃すことなく仕上げることができたそうだ。
今、年を重ね、少し感が鈍ったと残念そうに語るが、充分に(充分過ぎるほど)美味しい。
賢く働き者の奥さんの助けもあり、”焼く”ことに集中できたことで仕上げた鳥正の味。
夫唱婦随で築き挙げたお店の味である。

地道であること、正直であること、仕事に誠実であることの尊さをこの人を見ていると感じる。




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葬列の風景

2014年05月09日 | 喜怒☆楽
兄、亡くなる(4月30日)
3年のがん闘病、頑張って、頑張ったけど癌は執拗でしたね。
本当にお疲れ様でした。
兄らしく最後まで剽軽な言動にコートされていたけど、キツかったよね。
話を聞くだけで何も役立たずな私でした。すみません。

死を悟った人は、逝く数日前からは自分の世界に入って行くのだろうか。
兄の場合、こちら側の日常をそっと閉じて、薄れゆく呼吸の息苦しさと闘い
ながら自身の体と折り合いを付け”じゃ、この辺で。。。”と去っていったような
気がするのです。
その数日間は恐ろしく孤独な行程で、独身を貫き通した兄独特の悟りだったのでは
なかったか。結局は死にゆく者の独りの闘いだ、と淡々と覚悟したのでは。。。

やんわりと側にいることを遠ざけられたとき、私は自分の無力を恥じた。
息を引き取る1時間前に携帯から「・・・・。・・・・。きょうで終わりだ・・」と
伝えてきた兄。「・・・・」の聞き取れなかった部分が哀しい。ごめん。

5月のそよ風が瑞々しい緑の薫りを含み、路端の草花が優しく見送る中、兄を乗せた
霊柩車は兄弟に見守られて馴染んだ路を静かに去って行きました。
お寺の山門から伺う風景は枝垂れ桜が今を見事に咲き誇り、外が見えない病室から
「外が見たい」と話していた兄の希望を綺麗に叶えてくれていました。

あの葬列の美しい風景を忘れません。5月の薫風、のどかな田畑、道端の黄色・白・紫の草花、
揺らめく木々、しだれ桜の優しい色。”おつかれさまでした”と労ってくれているようでした。

広三、いろいろ話し合った後始末は意のままにはならなかったけど、でも”結果”広三にとって
良き着地点だったと思っているのですが・・・回答は聞けないですね。
広三が恐らくお守りとして入れていたであろう父さんと母さんの財布の中の写真を見つけたときには
虚を突かれその心情を切なく感じましたが、今、懐かしい人たちと一緒ですね・・と、自身を安心
させています。
ゆっくり、ゆっくり休んで下さい。合掌。






















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