〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本キリスト教 富 谷 教 会
週 報 聖霊降臨節第二十主日 2013年10月6日(日) 5時~5時50分
礼 拝 順 序
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 404(あまつましみず)
交読詩編 72(神よ、あなたによる裁きを)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 創世記24章1 -27節
説 教 「イサクの嫁選び」 辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 464(ほめたたえよう)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 2013年10月13日(日)午後5時~5時50分
聖書 創世記15章1-7節
説教 「アブラハムの信仰、アーメンについて」
交読詩編 86 讃美歌 464 227 27
本日の聖書 創世記24章9-27節
1アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。
2アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。「手をわたしの腿の間に入れ、 3天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、 4わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」
5僕は尋ねた。「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。」
6アブラハムは答えた。「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。 7天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。 8もし女がお前に従ってこちらへ
来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」
9そこで、僕は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。 10僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、アラム・ナハライムのナホルの町に向かって出発した。
11女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、 12祈った。「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。 13わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、 14その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」
15僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、 16際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、 17僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた。「水がめの水を少し飲ませてください。」
18すると彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませた。 19彼が飲み終わると、彼女は、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、 20すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。こうして、彼女はすべてのらくだに水をくんでやった。 21その間、僕は主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていた。
22らくだが水を飲み終わると、彼は重さ一ベカの金の鼻輪一つと十シェケルの金の腕輪二つを取り出しながら、 23「あなたは、どなたの娘さんですか。教えてください。お父さまの家にはわたしどもが泊めていただける場所があるでしょうか」と尋ねた。 24すると彼女は、「わたしは、ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です」と答え、 25更に続けて、「わたしどもの所にはわらも餌もたくさんあります。お泊まりになる場所もございます」と言った。
26彼はひざまずいて主を伏し拝み、 27「主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家にたどりつかせてくださいました」と祈った。
本日の説教
創世記24章は、アブラハムの僕によるイサクの嫁探しの物語です。アブラハムは妻サラを失ってから三年後のことです。アブラハムはさらに年老いましたが、主なる神は何事においてもアブラハムを祝福していました。しかし、彼の心にかかっていたことは、息子のイサクのことでした。イサクがまだ結婚していないし、孫がまだありませんでした。アブラハムにとってこのことは重要なことでした。何故なら神は、あなたの子孫を天の星のように数えきれない程にするという約束をいただいていたからです。
アブラハムは家の中で、全財産を任せている、最も信頼のおける年寄りの僕(しもべ)を呼び、息子イサクの嫁を見つけてくるように命じたのです。この僕とは15章2節に出て来る、アブラハムが家督にしようと思っていたエリエゼルと思われています。
アブラハムとイサクの年齢の比較
甲斐慎一郎著、創世記の聖徒たち、p.95より転写。
アブラハムの家系図
空知太栄光キリスト教会の「牧師の書斎」より転写。
アブラハムは僕に対して二つのことを主なる神にかけて誓わせます。それは、イサクの嫁をカナンの娘の中から選ぶのではなく、アブラハムの一族のいる故郷から連れてくることでした。<一族のいる故郷>は直訳では、「わたしの地へ、わたしの親族へ」であり、親族とはナホルの一族ということになります。10節で僕はナホルの町に向かって出発しています。22章20-24節に「ナホルの子孫」についての記事があります。
僕は、娘がこの地の来たくないと拒絶した場合、イサクをあなたの故郷に連れていっていいのかと尋ねました。それに対して、アブラハムは、イサクを決してあちらに連れて行ってはならない、と言っています。
ハランは赤丸Α記しのところ。(現在名はハッラーン)トルコ南西部
アブラハムがイサクの結婚相手をカナンの地から得ようとしなかった理由は、異教の神を信じる者ではなく、アブラハムと同じ信仰をする者を求めたからです。アブラハムの父テラは、カナン地方いくことを目指してカルデアのウルからハランに移住しました(11:31)。15章7節によると、「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である」と神がアブラハムに語っています。父テラは、この神を信じ、ウルから出立し、カナンに移住したのです。アブラハムの弟ナホルと妻のミルカも、父の後を追って、ハランに移住しました。アブラハム一族は、主なる神を信じる民でした。
イサクを故郷の地へ連れていってはならない、というのは、主なる神様が、アブラハムをその故郷から旅立たせ、そしてこのカナンの地を「あなたの子孫に与える」と約束して下さったからです。この約束を信じて、その実現に希望を置いて歩むことが大切であり、再び故郷へ戻ることがあってはならないからです。そのためには、イサクはこのカナンの地に留まり、そこで家庭を持たなければならないのです。
主なる神が、<わたしの父の家から、親族の地>から連れ出し、この地を与えると約束された方であるから、その方が、お前の行く手に御使いを遣わしてくださるから、うまくいくであろうとアブラハムは語りました。そしてもし、この地へ女が来たくないと拒絶するならば、アブラハムと僕の間の誓いは解かれると語ったのです。
僕は、十頭のらくだを選び、イサクの嫁となる娘と彼女の家族に与えるための高価な贈り物を携え、アラム・ナハライムの町に向かって出発しました。<アラム・ナハライム>は、「二つの川のアラム」という意味です。<アラム>とは、元来、高地と言う意味で、「古代シリア地方の北部」を指しています。<二つの川>とは、ユーフラテスとチグリスを指すともとれますが、ユーフラテス川の上流の一支流バリフ川とハボル川のことです。この二つの川に挟まれた地方に「ハラン」があります。<ナホルの町>は、ハランを意味しています。
ハランは、シャンル・ウルファという町から48キロの所。 現在のトルコとシリアの国境の近くにある。現在は簡素な農村地帯。
アブラハムの住むヘブロンからハランまでは、直線距離で800キロです。らくだが一日歩く距離は平均30キロといわれています。少なくと27日、凡そ一か月の旅です。ナホルの町までたどり着いたナホルは、町外れの井戸の傍らで、女たちが水くみに来る夕方、らくだを休ませて、祈りました。
「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」
彼が神様に祈って求めたしるしは、自分と、10頭のらくだにも水を飲ませてくれる、ということです。それは、旅人とその連れている家畜に対する愛といたわりの行為です。そういう労をいとわずに奉仕する気持ちを持っている人を彼は見いだそうとしたのです。イサクの結婚相手は最終的には神様が選び与えて下さると信じて、そのみ心を求めて祈ったのです。
僕がまだ祈り終わらないうちに、神は祈りに応えてくださいました。リベカが水がめを肩に載せてやって来ました。彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ベトエルの娘で、美しい、心根のやさしい女性でした。「彼女が泉(井戸)に降りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけました。」リベカの動作からすると、井戸は下ったところにあることがわかります。
僕は、「水がめの水を少し飲ませてください」と頼みました。すると、彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下して手に抱え、彼に飲ませました。彼が飲み終わると、彼女は、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行きました。こうして、十頭のらくだに水をくんでやったのです。彼女の水汲みはたいへんな重労働でした。
その間、僕は神がこの旅の目的をかなえてくだるかどうかを知ろうと、リベカの一挙一動に目を凝らしました。
らくだが水を飲み終わると、彼は重さ一ペカ(約5.7グラム)の金の鼻輪一つと十シュケル(114グラム)の金の腕輪二つを取り出しながら、「あなたは、どなたの娘さんですか。教えてください。お父さまの家にわたしども(彼と従者)が泊めていただける場所があるでしょうか」と尋ねました。
リベカは、ナホルとミルカの子ペトエルの娘であることを告げました。アブラハムの兄弟の孫だったのです。まさに、アブラハムが願っていた通りの人でした。更に続けて、「お泊りになる場所もございます」と答えました。
僕はリベカの素性を知り驚きました。僕はリベカの鼻に鼻輪を、腕に腕輪を着けました。
鼻輪と腕輪二つの金の重さは、合わせると、233.7グラムです。金の価格は現在1グラムが4500円です。233.7グラムの金の価格は、1051650円です。百万円以上になります。
彼はひざまずいて主を伏し拝み、 「主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、<わたしの主人の兄弟の家>にたどりつかせてくださいました」と感謝の祈りをささげました。
リベカは走って行き、母の家の者に出来事を告げました。兄のラバンは、妹の話していることを聞き、その僕のところへ走って行き、僕と従者を迎え入れました。僕は出された食事に手をつける前に、自分がやって来た理由を語っていきます。
主なる神様が恵みによって彼をリベカのところに導いて下さったのです。しかしこの結婚は、リベカとその家族の了解なしには実現しません。彼が一人で、「この人こそイサクの嫁となるべき人だ」と思っているだけでは仕方がないのです。そこで彼はこう言います。「あなたがたが、今、わたしの主人に慈しみとまことを示してくださるおつもりならば、そうおっしゃってください。そうでなければ、そうとおっしゃってください。それによって、わたしは進退を決めたいと存じます」。リベカをイサクの嫁に下さるつもりがあるのかないのか、その返事を求めたのです。そして返事次第で、自分の進退を決めたいと申しで出たのです。
兄ラバンと父ベトエルは、「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。リベカはここにおります。どうぞお連れください。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください」と答えました。ラバンとベトエルは、リベカをイサクに嫁がせることを承諾したのです。僕の話を聞いて彼らは、このことが主なる神様の導きによることであり、主がリベカをイサクと結婚させようとしておられることを確信したのです。
アブラハムの僕はこの言葉を聞くと、地に伏して主を拝しました。僕と従者たちは酒宴のもてなしを受け、そこに泊まりました。次の日の朝、アブラハムの僕は、すぐに「主人のところへ帰らせてください」と言いました。リベカの母と兄は、十日程リベカを手元に置きたいと言います。娘を遠くに嫁にやる家としては当然のことです。しかし、僕はなお「わたしを帰らせて下さい」と頼みました。そこで彼らはリベカを呼んで、その口から返事をさせます。「お前はこの人と一緒に行きますか」という問いに、リベカは「はい、参ります」と答えました。彼女は勿論イサクのことを知りません。リベカは、自分の結婚を、主なる神がお決めになったこと、主のみ心として受け止め、それに従う信仰の決断をしたのです。
彼らはリベカとその乳母をアブラハム一行と一緒に出立させました。リベカとイサクの出会いの場面が,62節以下に書かれています。僕は、自分が成し遂げたことをすべてイサクに報告しました。イサクもこの結婚が神によって整えられたことを受け入れて、リベカを妻に迎えました。
その信仰の決断の結果として起ったことが、最後の67節に語られています。「イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た」とあります。イサクがリベカを<母サラの天幕>に案内したのは、これはリベカが族長の母の地位についたことを意味しています。この短い文書には、イサクがリベカを愛し、リベカもイサクを愛し、お互いがお互いにとって慰めとなり支えとなるよい夫婦関係が、祝福された家庭が築かれていったことが伺えます。
この創世記24章の「イサクの嫁選び」から、私たちが学ぶことは何でしょうか。これは、紀元前1950年頃の出来事です。今から四千年も前の話しです。現代に住む私たちにとって、血族結婚は避けるべきであり、また、親が決めた結婚も、時代遅れの感がいたします。しかし、学ぶべき点があります。
彼らの結婚は、彼らの子孫として生まれてくださった主イエス・キリストにまで及ぶ、神様の恵みの出来事でした。アブラハムから始められた主なる神様の救いが実現するために必要な結婚でした。
アブラハムも、僕も、リベカの家族も、リベカも、イサクも、皆、神の導き、神の御意志に従おうとしています。この姿勢こそ、学ぶべき姿です。
リベカとイサクの場合、主のみ心に従う信仰の決断による結婚が先にあり、その結果として、互いに愛し合う祝福された関係が与えられたのです。恋愛だろうと見合いだろうと、出会いのきっかけは何であろうと、結婚は神のみ旨によって成立したものであり、夫婦は神が合わせてくださったことを信じ、神様に従う信仰の決断とすることが大切だということです。たとえ相手が信仰者でなくても、その結婚を、主なる神様に従う信仰の決断において受け止めることが大切なのです。そうすればそこにも、神様に祝福された幸せな家庭が築かれていくことになるのです。
アブラハムの僕は、神の導きと備えを信じ、絶えず祈りながら、ゆだねられた任務を果たしています。願いがかなうと神に感謝し、神をほめたたえています。これは結婚に限らず、すべての事をなすうえで、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリピ4:6)とあるように、私たちのとるべき生き方です。
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