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日本キリスト教 富 谷 教 会
聖霊降臨節第十八主日 2013年9月22日(日)
讃美歌(21) 433(あるがままわれを)
交読詩編 16(神よ、守ってください)
聖 書 創世記23章1-20節
説 教 「愛する者の死と埋葬」 辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 382(力に満ちたる)
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
本日の聖書 創世記23章1-20節
1サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。 2サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。 3アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。 4「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」 5ヘトの人々はアブラハムに答えた。「どうか、 6御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません。」 7アブラハムは改めて国の民であるヘトの人々に挨拶をし、 8頼んだ。「もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、ぜひ、わたしの願いを聞いてください。ツォハルの子、エフロンにお願いして、 9あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください。」 10エフロンはそのとき、ヘトの人々の間に座っていた。ヘトの人エフロンは、町の門の広場に集まって来たすべてのヘトの人々が聞いているところで、アブラハムに答えた。 11「どうか、御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。わたしの一族が立ち会っているところで、あなたに差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください。」 12アブラハムは国の民の前で挨拶をし、 13国の民の聞いているところで、エフロンに頼んだ。「わたしの願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます。」 14エフロンはアブラハムに答えた。「どうか、 15御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください。」 16アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。 17こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、 18町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。 19その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。 20その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。
本日の説教
創世記23章には、アブラハムが亡くなった妻サラを埋葬するための土地をヘト人エフロンから購入する物語が書かれています。紀元前13世紀頃の話しです。1節にサラが127歳で亡くなったとあります。この時、アブラハムは137歳です。アブラハムは長年苦楽を共にした妻に先立たれたのです。アブラハムとサラは異母兄弟(創世記20:12)だったので、サラは生まれてからずっとアブラハムと一緒でした。二人の年の差は十歳でした(創世記17:17)。二人は、カルデヤ地方のウルに住んでいたころに結婚し、父テラ一族の移住に伴い、故国を離れてハランの地に住みました。しばらくしてから、アブラハムは七十五歳のとき、神の召命に応えて、二人は父と別れ、カナン地方に移住しました。シケム、ベテル、エジプト、ヘブロン、ゲラル、ベエル・シェバ、再びヘブロンと寄留の旅を続けました。
「サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ」とあります。<キルヤト・アルバ>とは、ヘブロンの別名です。<アルバ>は四を表すことから、「四つの町」を意味し、ヘブロンに隣接するアネル、エシコル、マムレの町々を含めて「四つの町」と呼んだのだと思われています。サラが死んだ場所は、ヘブロンの北4.5キロにある、アブラハムが住んでいたマムレの樫の木の天幕だと思われます。
アブラハムは、サラの死を悼み、<サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ>とあります。自分の胸を打ちたたくというのは、ユダヤにおける極限の悲しみを表す行為です。心の中に広がる悲しみを和らげるために、外側から叩いて外に移す行為です。サラの死を嘆き悲しんだアブラハムの心中を察するには余りあります。神に示された地へ、行く先を知らずして、共に旅立った信仰の伴侶でした。カナンの地で、多くの困難と試練を乗り越え、波乱に富んだ生涯を共にした妻でした。
サラは完全無欠な女性ではなかったが、「神に望みを託した聖なる婦人」であり、「アブラハムを主人と呼んで、彼に服従した(Iペテロ3:6)」、柔和でしとやかな気立ての婦人だったと讃えられています。サラの死を、深く嘆き悲しんだアブラハムに共感を覚えざるをえません。しかし、アブラハムはいつまでも悲嘆にくれてはいませんでした。亡くなった妻をねんごろに葬るために、墓地を得ようと、遺体の傍らから立ち上がったのです。アブラハムは先住民のヘトの人々に行って頼みました。 アブラハムは、「わたしはあなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが」と言って、墓地を譲ってくださいと頼んだのです。アブラハムは土地を所有していないのです。だからこそサラを埋葬する土地を手にいれたいのです。
ヘトの人々の答えは、「どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなった方を葬ってください」と言っています。ヘトの人々は、自分達の墓地の使用権は与えるが、アブラハムが要求した墓地の所有権を与えようとはしていないのです。 そこで、アブラハムは、「ぜひ、わたしの願いを聞いてください」と言って、<ツォハルの子、エフロンの畑の端にあるマクベラの洞穴(ほらあな)>を譲ってくださいと頼みました。十分な銀を支払うので、墓地を所有させて欲しいと願ったのです。<マクベラ>は二重という意味で、洞穴がひょうたんのように中がくびれた二つの部屋になっているので、<マクベラの洞穴>と言われていました。
その場に居合わせていたエフロンは、「あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます」と答えています。これは無償で提供するという意味ではないのです。アブラハムが洞穴を買いたいというので、「よろしいでしょう。畑も一緒にどうぞ。」と言っているのです。このことは、次の会話で明らかになります。
「畑も」と言われたことは、アブラハムにとって意外なことでした。でもすぐ、エフロンが畑も売りたいのだと気付き、「どうか、畑の代金を払わせてください。受け取ってください。」と申し出ました。エフロンは、「あの土地は銀四百シェケルのものです。」と売値の金額を提示しました。<銀四百シェケル>は法外な値段なのです。一シェケルは、11.4グラムです。銀400シェケルは、銀4キログラム以上になるのです。ダビデは麦打ち場と牛を銀50シェケルで買い取っています(サムエル24:24)。エレミヤはアナトテにある畑を銀17シェケルで買い取っています(エレミヤ32:9)。エフロンは、「それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。」と言っています。これは、「あなたとわたしにとって、こんな金など問題ではないでしょう。」と言って薦めているのです。
アブラハムは、相手の言い値で、値引きもせずに土地を購入しました。へたに値引きを求めて、破談になってしまうことを避けたかったのか、あるいはむしろ、エフロンのつけた値段をそのまま受け入れることにより、彼に対してまったく借りのない関係にしようと思ったのでしょう。アブラハムは何としても、この墓地を手に入れたかったのです。
「その後アブラハムは、ヘブロンにあるマムレの前のマクベラの畑の洞穴に妻サラを葬った」とあります。
ヘブロンは、エルサレムの南38キロの地点にあります。ダビデがイスラエル全土を統一するまで、ここを拠点として7年半の間治めた地です。
アブラハムは、アモリ人の族長マムレと同盟を結び、彼の所有する地にある樫の木の傍らに、住んでいました(14:13)。この<マムレ>の地は、アブラハムとサライが天幕を張って長い間住んだ思い出の土地です(13:18)。また、イサクの誕生を告げる三人の神の使いを迎えた地でもあります(18:1)。その<マムレ>のすぐ近くに、墓地を所有することになったのです。
「マムレの樫の木」を守るロシア正教会の修道院。
マムレにある「マムレの樫の木」。日本の楢(なら)の木に近い。
現在ヘブロンには、16万7千人のパレスチナ人[アラブ系人]と、中心部の入植者区域には、およそ500人のユダヤ人と警備にあたる軍隊が駐屯しています。ヘブロンにある<マクベラの洞穴>は、「アブラハム・モスク」と呼ばれていて、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の三つの宗教の重要な聖地になっています。
上の図はヨルダン川西岸パレスチナ自治区。
破線(----)は、イスラエル領とパレスチナ自治区の境界線。ヘブロン(Hebron)はパレスチナ自治区の下の方、A印のところです。
左は、ヘブロンのマクベラの洞穴のあるアブラハム・モスク。
アブラハムの墓 洞窟へ通じる入口
アブラハムが墓地を購入したのは、サラのためでしたが、同時にこれを契機に、アブラハムにカナンを与える言われた神の約束を信じたアブラハムの信仰の証しでした。それゆえ、サラの死を契機に、墓地のための土地を取得することにこだわったのです。彼がカナンの地で得た最初のものは墓地でした。アブラハムは子孫が、神の約束を信じて生きるようにと願って、墓を求めました。その後、この墓に、アブラハムも葬られ、息子のイサクとその妻、イサクの息子ヤコブとその妻リベカ、そして、エジプトで死んだ、ヤコブの息子ヨセフが葬られました。
アブラハムにとって、「受け継ぐ地」はカナン(パレスチナ)の地でしたが、それは神を信頼する者たちに与えられる御国を指し示していました。今や、カナンという地上の限られた地域ではなく、天地万物の相続者であるキリスト(エフェソ1:10)と共同の相続人(ローマ8:17)とされ、天の御国を受け継ぐ者とされたのです。地上の土地をめぐって、その取得のために争う必要はなくなったのです。
信仰者にとって墓は、肉体の死を超えた彼方で、なお神様が恵みの力によって導き、新しい命を与えて下さる、その復活を信じて待ち望む希望の印としての意味を持つのです。「生きるにも死ぬにも、自分たちの身によってキリストが公然とあがめられるように切に願い、希望しています(フィリピ1:20)」とパウロが語ったように、朽ちる体の葬られる墓もまた、神の栄光をあらわす所となるのです。
富谷教会の墓には、「栄光、神に(のみ)あれ」と刻んだ1.8メートルの大理石の横石が置かれています。
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