富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

 「ハレルヤ・メサイヤ」 (ゼカリヤ書の預言) 

2014-11-02 11:27:37 | 聖書

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

    日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、たしたちは知っている。」(ロマ8:28)

  降誕前第八主日  2014年11月2日(日)  5時~5時50分 

礼   拝    

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   17(聖なる主の美しさと)

交読詩編    95(主に向かって喜び歌おう)

主の祈り    93-5、A

使徒信条    93-4、A

聖 書   ゼカリヤ書9章1~9節

説 教    「メサイア    辺見宗邦牧師

賛美歌(21) 390(主は教会の基となり)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)     24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

            次週礼拝 11月9日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

             説教題   「正しい人と神に逆らう人」

               聖 書   マラキ書3章13~17節

                 本日の聖書 ゼカリヤ書9章1~9節

 1託宣。主の言葉がハドラクの地に臨み、またダマスコにとどまる。人々はイスラエルの全部族と共に主に目を向ける。2それらの地に境を接するハマト、知恵に抜きん出たティルスとシドンもそうだ。 3ティルスは自分の砦を築き、塵のように銀を、野の土くれのように金を集めた。4しかし、見よ、主はその町を陥れ、富を海に投げ込まれる。火は町を焼き尽くす。 5アシュケロンはそれを見て恐れ、ガザは大いにもだえ、エクロンも期待を裏切られてうろたえる。ガザの王は滅び、アシュケロンには人が住まなくなり、6混血の民がアシュドドに住み着く。わたしはペリシテ人の高ぶりを絶つ。7わたしはその口から血を、歯の間から忌まわしいものを取り去る。その残りの者は我らの神に属し、ユダの中の一族のようになり、エクロンはエブス人のようになる。8そのとき、わたしはわが家のために見張りを置いて出入りを取り締まる。もはや、圧迫する者が彼らに向かって進んで来ることはない。今や、わたしがこの目で見守っているからだ。               9娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。

本日の説教

 ゼカリヤ書1章1節は、次のような表題で始まります。

ダレイオスの第二年八月に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。」(1:1)

  預言者ゼカリヤが預言活動を開始したのは、<ダレイオスの第二年八月>とあります。これはバビロニアの太陰暦による表記です。現在の暦では、紀元前520年の10月か、11月にかけてになります。預言者ハガイの活動より二か月後のことです。ダレイオス王とはぺルシヤの初代キュロス大王から数えて4代目のあたるダレイオス1世(B.C.521~486年)ことです。ゼカリヤの活動期間は二年一か月です。

ハガイとゼカリヤは同時代の預言者です。ハガイ書とゼカリヤ書は、バビロン捕囚から解放され、ユダに帰国した民が、バビロンよって破壊されたエルサレム神殿(B.C.586年に破壊)を再建する話が背景になっています。

ハガイもゼカリヤも、イスラエル民族にとって忘れることのできない苦難の時代の最後の時を生きた預言者です。

彼らの祖国、南ユダ王国が圧倒的な軍事力を誇るバビロニヤ帝国の制圧され、エルサレム神殿は破壊され、民の優れた人材は捕囚(推定数は10,832人)として連れ去られ、祖国は滅亡したのです。遠く離れた異国の地で何十年もの間、先の見えない生活を強いられたのです。

47年後のB.C.539年、新興国ぺルシヤが抬頭し、キュロス大王(キュロス2世)によってバビロンは攻略され、ついにバビロニア帝国は滅亡しました。

バビロンを征服したキュロス大王は、これまでのアッシリヤやバビロニヤのような占領政策を廃止しました。これまでの帝国は支配民族の反乱を防ぐため、残忍な殺戮と強制捕囚と人材登用による占領政策でした。ペルシヤは、むしろ、捕囚になっている民族を帰国させ、それぞれの宗教を尊重し、税金と兵士さえ供給すれば諸国の自治を認めるやり方で、支配地の安定を図る政策を採用したのです。

キュロスの勅令により、第一陣として538年にユダの民は帰国し、神殿再建を始めました。祖国は廃墟となっており、先住民の妨害や、建築資材の不足、またペルシアの政変が続いたこともあって、工事は基礎を据えただけで中断してしまいました(エズラ記3、4章)。帰還民の希望は失望に変わり、時を経るうちに、民は神中心の生き方よりも自分勝手な生活を第一にする生き方へと変っていきました。

第二陣がエルサレムに帰還したのは、17年後の521年でした。総督ゼルバベルと祭司ユシュアに率いられて、42360人以上もの人々(エズラ記2:64)がエルサレムのあるユダの地に帰りました。

その翌年、神の託宣(お告げ)を受けて、預言活動を開始したのがハガイであり、ゼカリヤでした。これらの預言者は、神の御言葉によって指導者である総督ゼルバベルや人々を鼓舞激励し、18年も中断状態になっているエルサレム神殿の再建工事を始めるように呼びかけたのです。

ハガイやゼカリヤは、ユダの地で新しい共同体が存続していくためには、神の祝福をいただくための民族の信仰の再建こそが苦難の時代において大切だと考え、神殿を再建を訴えたのです。

  ハガイは、「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。(ハガイ1章8節)」と語りました。神殿とは「神ヤㇵウェがイスラエルに語り、イスラエルの罪を赦し、イスラエルのために現臨する場所」であったのです。

  ゼカリヤはユダの民に向かい、神はあなたたちの先祖に激しく怒られた。「あなたたちは先祖のようであってはならない。わたしに立ち帰れ、そうすれば、わたしもあなたたちのもとに立ち帰る」と神は言われている、と語りました。<神があなたたちのもとに立ち帰る>とは、神は民の罪を赦し、神殿に臨在し、民と共にいてくださる、ということです。この勧めを聴いた民は、悔い改め、神に立ち帰った、とあります(1:6b)。

ゼカリヤ書は大きく区分すると、第一部(1章~8章)と第二部(9章~14)に分けられます。第二部はゼカリヤの預言ではなく、第二ゼカリヤの預言で、書かれたのはギリシャ時代に入ってからだとされています。用語や表現、背景となる歴史に大きな相違があるからです。神殿はすでに再建されており、ダビデの末裔から現れる王ではなく、まったく別のメシア像が現れるからです。

1章1節から7節までの悔い改めの勧めのあと、1章7節から6章8節までは、翌年の起源前519年に預言者が見た8つの幻をとおして、神がどのようにイスラエルを回復してくださるのかを語っています。天使によってしめされる黙示録的な幻は、メシア(救い主)の到来がさしせまっていることを予告します。

6章9~15節には、人々を導き神殿を再建する指導者として祭司ヨシュアの象徴的な戴冠(たいかん)の様子が描かれます。

7~8章には、再興したエルサレムのあるべき姿がしるされています。人々の献身と従順、内なる霊性、ユダヤ人と異邦人がともに神を礼拝する平和な世界の到来が強調されています。

第二部の9章以下で、第二ゼカリヤが預言したのは、エルサレムが、歴史を支配するヤㇵウェによって新たにされ、罪や咎から清められた「ヤㇵウェの都」となり、全世界が集う礼拝の中心地になることでした。多くの民が互いに呼びかけ合ってエルサレムに群がり、イスラエルと一つになって「ヤㇵウェの民」を形成する預言でした。

今日の聖書の個所9章は、始めに、主による諸国民の裁きが語られます(1~7節)。裁きはパレスチナの北から始まり、西海岸へと南下します。<ハデラク>はアレッポとハマテの間の都市といわれています。<ハドラクとダマスコ、ハマト>はシリア領の主要都市です。<ティルスとシドン>はフェニキヤ、そして<アシュケロン、ガザ、エクロンとアシュドド>はペリシテの町々です。<エブス人>とは、ダビデ王によって破られたエルサレムの原住民が、イスラエルに同化してユダの一族となった民です。ユダを取り巻くこれらの諸勢力が滅ぼされるのは、彼らが非常に賢く、富を蓄えて、高ぶっているからです。

ハガイやゼカリヤに励まされて神殿は再建されても、人々が期待したような平和な状況は訪れませんでした。そうした状況の中で、神がゼカリヤに示されたのは、メシアの到来に伴う裁きと祝福でした。

9章の9~10節は、ゼカリヤ書の中でも最も有名な、終末的なメシア王の到来を描いている個所です。

「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。

 見よ、あなたの王が来る。

 彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る

 雌ろばの子であるろばに乗って。

 わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を断つ。

 戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。

 彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。」(9:9~10)

<娘シオン>の<シオン>はエルサレム地方の歴史的な呼び名であり、<神殿の丘>をも指すことばです。ここではエルサレムを指しています。

<エフライム>は、ヤコブの子ヨセフから出たニ部族の一つで、エフライム族から北イスラエル初代の王ヤロブアム一世が出たことから、北イスラエル全体を指す言葉になりました。<エルサレム>と<エフライム>とで、イスラエル全体を指しているのです。

<ろばに乗ってくる王>とは、力を誇示するために軍馬に乗らずに、<ろばに乗って来る>王です。これは謙虚さの現れであり、同時に、平和の象徴です。謙虚な王はエルサレムで宗教指導者たちの拒絶に会い、受難を受けることになる王です。この王は全イスラエルから戦車と軍馬を絶ち、地上において戦いをやめさせ、義と平和を実現します。この平和は<王>によって諸国民に告げられます。平和をもたらす王の支配はイスラエルにかぎられることなく、全世界に及びます。

 クリスマスに時季に世界で演奏される、「ハレルヤ・コーラス」で有名なヘンデル作曲のオラトリオ(聖譚曲)「メサイア」は、その第1部16曲で、今日の聖書の個所の9章9-10節が用いられています。<メサイヤ>は<メシア>の英語の読み方です。「神から選ばれた支配者、悩める者の解放者」を意味する、「救世主」のことです。  ヘンデルはドイツ人でしたが、英国に帰化しました。 

  ヘンデルは、救い主イエスの誕生と地上の生涯の出来事を福音書から告げるのではなく、福音書よりも約500年も前の旧約聖書のことばから浮き彫りにする、という手法を採ったのです。

 オラトリオ・メサイヤは、エルサレムへのキリストの勝利の入城とキリストによる全宇宙の支配を歌い、イエスの生涯を「預言の成就」という側面から語るのです。「預言の成就」は人の知恵によって準備されたものではなく、人間の力によるものでもありません。主の約束された予言は必ず成就することが言われているのです。

  世界平和は人間の力や努力だけではどうにもできないものであることを知らねばなりません。人間の罪の現実があるからです。このおろかな人間を救うために、王が、平和の君が、来てくださることを喜び、待ちましょう。神の支配は、地の果てにまで及ぶのです

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  アンシャン王朝とアケメネ... | トップ |  「義の太陽は昇る」 (マラ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

聖書」カテゴリの最新記事