富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「静かにささやく主の声」 列王記上19章1~18節

2014-06-22 21:57:06 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                                 TEL:022-358-1380      FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

 

聖霊降臨節第三主日    2014年6月22日(日)     5時~5時50分 

礼   拝 

              司会 星野  宗台師

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 214(わが魂(たま)のひかり)

交読詩編   27(主はわたしの光、わたしの救い) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  列王記上19章1~18節

説 教 「静かにささやく主の声辺見宗邦牧師

賛美歌(21)464(ほめたたえよう)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 本日の聖書 列王記上19章1~18節

 1アハブは、エリヤの行ったすべての事、預言者を剣で皆殺しにした次第をすべてイゼベルに告げた。2イゼベルは、エリヤに使者を送ってこう言わせた。「わたしが明日のこの時刻までに、あなたの命をあの預言者たちの一人の命のようにしていなければ、神々が幾重にもわたしを罰してくださるように。」

 3それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し、4彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」5彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」6見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。7主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。8エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。9エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」10エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」11主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を/裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。12地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。13それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」     14エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」15主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。16ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。17ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。18しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」

本日の説教

 ソロモン王の後、イスラエル統一王国は二つに分裂しました。ソロモンの息子レハブアムは、南ユダ王国の王位につきました。ソロモンの家臣であったヤロブアムは北イスラエル王国を樹立し、王位につきました。

         

  北王国のヤロブアムは、南王国の首都エルサレムに対抗し、シケムを首都とし、ベテルとダン(ヘルモン山の麓)とに神殿を設け、二つの金の子牛を造ってそれを拝ませました。以来、北王国には、よい政治を行う王は一人も起こらず、殺害の相次ぐ暗黒な歴史を繰り返し、王国の滅亡を早めました。その中でも、最悪の王は七番目の王、アハブでした。アハブは、「彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った」(列王上16:30)とあります。このアハブの治世(在位・紀元前871~852年)に、預言者エリヤが現れました。

  「ギレアドの住民である、ティシュベ人エリヤ」(列王17:1)と、エリヤは紹介されています。ギレアドはヨルダン川の東側の山岳地帯を指し、イスラエルがカナンに入植する際、ガド族に分割された地です。エリヤは、ティシュベというヤボク川の北16キロにある山あいの小さな村の出身者です。エリヤは、「毛衣を着て、腰には革帯を締めていた」(列王下1:8)、と野性的な外観が記されています。

 エリヤ(「主こそ神」の意)が登場した舞台は、北イスラエル王国の中でも最も最悪な王として非難されているオムリ王朝の二代目の王アハズの治世中です(BC864頃)。アハブの父オムリ王は海沿いの国フェニキアとの同盟を強化し、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを息子アハブの妻に迎えたことで一層同盟を強固としました。アハブ王の時代は、サマリアでもバアル礼拝が公然と行われるようになりました。アハブは妻イゼべルの言うがままとなり、アシュラ像を造り、主の怒りを招くことを行いました。

 バアルは、土地に豊かな実りをもたらす農業の男性神であり、アシュラはその配偶者の女性神で、農産物はこの両者の性的交渉によって豊かに実ると考えられました。そのため、バアル礼拝には不道徳な儀式が伴い、礼拝には、人間の姿をした偶像が用いられました。

  このようなイスラエルの神でない神々が祭られていた時代、アハズのもとに突如として現れたのが預言者エリヤです。エリヤは、「わたしの仕えるイスラエルの神、主は生きておられる」と宣言し、エリヤが告げるまで、神の罰として、数年間干ばつが続くと予言したのです。

 預言者の大切な使命は、士師時代の先見者サムエルのように、将来を見通す特別な存在ではなく、「神のことば」をそのまま人々に語り伝え、イスラエルが本来の信仰に立ち帰ることを叫び続けることにありました。

 エリヤ活動は、列王上17~19章、21章、列王下1~2章にわたって記されています。この6章に及ぶエリヤ伝の内容を、かいつまんで述べると、次のようになります。

 エリヤはアハブ王に、神の裁きとしての干ばつを予言しました。話は前後しますが、列王上21章に記されているナポトのぶどう畑を、アハブとイゼベルが偽証と殺人という不当な手段によって奪い取ったことに対する神の罰として、干ばつを予言したものと推定されています。エリヤがアハブと対決したのは、イズレエル平野の中心部にあるイズレエルの町でした(王上21:18)。エリヤは神に命じられ、王の迫害を避けるため、郷里ティシュベに近い、ヨルダン川の東にあるケリト川のほとりに身を隠し、川の水が涸れるまでそこにいました。神がからすに命じて、朝に、夕に食事を運ばせて、エリヤを養いました。

  川の水が涸れた後、神に命じられて、遠くのイゼベルの出身地シドンに近い、地中海に面するフェニキアのサレプタに行って住みました。そこに住む貧しいやもめがエリヤを養いました。このやもめは、一握りの小麦粉とわずかの油が残っているだけで、それでパンを焼いて食べた後は、死ぬことを覚悟していました。「再び雨の降るときまで、壷の粉は尽きず、瓶(かめ)の油はなくならない」とイスラエルの神は言われると、エリヤは女に預言しました。そしてそのとおりになりました。

  この女の息子が病気になって死んでしまったとき、嘆き悲しむこのやもめのために、エリヤは神に祈って、その息子を生き返らせました。

  三年目、神の言葉がエリヤに臨んで、「行って、アハブの前に姿を現せ。わたしはこの地に雨を降らせる」と告げられました。エリヤはアハブの前に姿を現すために出かけました。サマリアはひどい飢饉に襲われていました。アハブ王と宮廷長オバドヤは、手分けして、水を求めて各地の泉と川を見回りに出ました。そのオバドヤにエリヤは出会って、アハブに会うことを告げました。オバドヤからの報告をうけて、アハブはエリヤに会いにきました。アハブは、エリヤの求めに応じて、カルメル山にバアルの預言四百五十人とアシュラの預言者四百人を集めました。このハ百五十名の大勢の預言者たちに対して、エリヤは一人で対決することにしたのです。カルメル山は、フェニキアとイスラエルの国境の地点にあります。ここに両者の祭壇が置かれました。

  エリヤは集まったすべての民に、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」と言いました。対決の方法について、エリヤは、「それぞれの祭壇に雄牛をささげ、天から火が下されるように、それぞれの神に祈り、火をもって答える神こそ神であるはずだ。」、民に向かって説明しました。民は皆、「それがいい」と答えました。

 エリヤは、先にバアルの預言者たちに実行させました。彼らは朝から昼過ぎまで、バアルの名を呼んで、跳び回り、体に傷をつけて叫んだが、何の兆候もありません。エリヤは、彼らを嘲り、壊されていた主の祭壇を築き、祭壇の周りに水を注ぎ、静かに、しかし激しく祈りました。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、……わたしに答えて下さい。主よ、わたしに答えてください。…」と。ついに、主の火が降り、捧げ物を焼き尽くしました。これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。』(列王上18:39)と言いました。イスラエルの民は、この対決をまのあたりにして、イスラエルの神こそが真実の神であることを知り、本来の信仰に立ち帰ったのです。エリヤは、バアルの預言者ども捕えよ、と民に命じ、キション川に連れて行って殺しました。

  エリヤはアハブに、「上って行って飲み食いしなさい。激しい雨の音が聞こえる」と告げました。そうするうちに、激しい雨になりました。アハブは車に乗ってイズレエルに向かいました。エリヤも雨の中をイズレエルの境まで、アハブの先を走って行きました。

  ここからが、今日の聖書の個所、列王記上19章です。

 アハブ王から、エリヤの行ったすべての事を聞いた妃イゼベルは激怒して、翌日までエリヤを殺害すると予告しました。それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げました。エリヤも、一人の人間としては決して強い人ではありませんでした。エリヤは、ベエル・シェバまで従者と共に来ましたが、そこからはただ一人になり、さらに一日の道のりを歩いて、一本のえにしだの木の下に座りました。彼は、自分に課せられた任務とイスラエルの将来に希望を失い、迫害を恐れ、もうこれまでと、自分の命が絶えるのを願って、主に言いました。 「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」

 彼はその木の下で横になって眠ってしまいました。そこえ天使が現れて、パン菓子と水の入った瓶(かめ)を運んでくれました。彼は力づけられて、ホレブへ向かいました。四十日四十夜歩き続けました。

 エリヤがホレブの洞穴で夜を過ごすと、神が語りかけました。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

 エリヤは答えました。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」

 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい。」と言われました。そのとき、主が通り過ぎて行かれました。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕きました。しかし、風の中には主はおられませんでした。風の後に地震が起こりました。しかし、地震の中にも主はおられませんでした。地震の後に火が起こりました。しかし、火の中にも主はおられませんでした。風も地震も火も神顕現のしるしです。神はそれらをはるかに越えた、超越的な力をおびた方でした。火の後に、静かにささやく声が聞こえました。

  それを聞くと、エリヤは、罪ある者が神を直視すれば死ぬことになるので、外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立ちました。そのとき、主はエリヤにこう告げました。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ、またアベル・メホラのシャファットの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。」と命じました。この三人に悪い者たちを殺してもらうためです。そして主は、「わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」と、語りました。たった一人で主のために戦っていると思い、孤独であったエリヤに、七千人もの味方を残すと主は約束し、エリヤを力づけまました。

 エリヤは、打ちひしがれ、最も意気阻喪した時に、むかし、ホレブの山上で、モーセに自己を現した神は、エリヤにも現れたのです。エリヤは「静かにささやく主の声」を、聖霊によって敏感にされた魂の内奥で聞き取りました。そして、人格の芯まで神に捕えられる体験をしました。エリヤは再び力を得、新しい使命を果たすべく立ち上がることができました。エリヤは、その後の数世紀間に現れた預言者たちの先駆者となりました。ついには、その人物像は超自然的なものにまで高められ、その最後は、伝説によれば、エノクのように(創世記5:24)、自然的な死にかたをせず、後継者エリシャの目の前で、火の馬と火の車に乗って、嵐の中を天に上って行きました(列王下2章11節)。イエスの時代には、エリヤは、イスラエルの人々の心の中に、メシアが現れるとき、エリヤが先駆者として現れる、と思われるようになりました。

 私たちも、聖霊によって心の深みまで新たにされて、主イエスの静かなささやく声を聞き分けうる心を与えられるように祈りましょう。「主よ、さわがしき 世の巷(ちまた)に、われをわすれて いそしむまも、細きみこえを ききわけうる ずけきこころ あたえたまえ。」(讃美歌21、497番3節)と歌いましょう。

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