塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

プーマが発表した画期的なデザイン、それは

2012-08-19 23:06:41 | 日記
 以前にも増して軽量化とデザインの革新が求められるサッカー
ジャージ。

 2002年にその傾向に布石を打つ形で登場したのが、

 「スリーブレス・ジャージ」

 でした。

 これはカメルーン代表をサポートするプーマが手がけた事で、
何故かわかりませんが、プーマはカメルーンを

 「実験台」

 にして、他にも面白い試みをしています。

 それは「ワンピース」、つまり上下が一体になった代物で、
スリーブレス同様大きな注目を集めました。

 2012年の今でもこれらはお蔵入りになっているわけですが、
袖の部分を殺ぎ落とすだけで、軽量化は随分進むと思います。

 同時に暑さからも解放されるのではないでしょうか。

 プーマがカメルーン代表と懇意なのは、エトーが個人契約を結んで
いることと無関係では無いのかもしれません。

 デザインや機能が出尽くした感のある今日、スポーツブランドは
新しい機軸を生むのに頭を抱えているかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メッシとロナウドが輝ける理由

2012-08-19 22:57:20 | 日記
 古くからのNBAファンならば

 西のマジック・ジョンソン(レイカーズ)
 東のラリー・バード(セルティックス)

 が人気低迷で喘いでいたバスケットボールの人気を復活させた
立役者であることをご存知ですね。

 彼らが頂点を争ったNBAファイナルの熱気は凄まじく、その後
現れたマイケル・ジョーダンも交えて、今に繋がる世界規模での
人気を得るようになりました。

 僕はメッシとロナウドも、うまく別れたものだと痛感します。

 そしてバルサとレアルの関係者も、同じ事を考えているはずです。

 僕はもしふたりの所属クラブがあべこべだったなら、両者は自分の
持つ能力を最大限に発揮できていないと感じます。

 メッシはバルセロナ
 ロナウドはレアル・マドリー

 この事実が両者が光り輝く最大の要因だと思います。

 レアルはバルサよりも、ソリッドで縦に速いサッカーを展開しますね。

 そこにはメッシが見せる中央へのカットインや、巧みなドリブルは
不必要です。

 逆にバルサでは、ロナウド最大の魅力である縦への突破、ゴール後の
自己顕示欲のような形でのパフォーマンスは、受け入れられないでしょう。

 メッシとロナウド

 彼らは自分を最大に理解してくれる、クラブとファン、そして指揮官
がいるからこそ、毎日充実した日々を過ごしているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦術に厳格か、否か(2)

2012-08-19 22:49:22 | 日記
 戦術を遂行しすぎると、逆に選手が疲弊していしまい、不振に
陥ることがあります。

 そして頭ごなしに自分の性格を否定されることで、選手の側が
監督に鬱憤を溜め込むことが見受けられます。

 杞憂に終わりましたが、フランク・リベリが

 「俺はファン・ハールとは合わないと思う。」

 と漏らしたことは不思議ではありません。

 僕も自分の意志で動く際は、やはり心のどこかでもやもやした
気持ちが残ります。

 それは

 「また怒られるかな。」

 という気持ちが拭えないからなんですね。

 フェリックス・マガトがバイエルンの指揮官だったとき、ファン・
ボメルから

 「お前には戦術が無い!!」

 とカウンター・パンチを喰らったことがあります。

 気持ちや精神力を最優先する監督には、戦術家に見受けられるような
緻密さは確かになく、選手がどう動いてよいか困ってしまう時がありま
す。

 ジーコが代表監督だった時に日本がそうですね。

 しかし選手は時に

 「ああ、今日彼を見る事ができて嬉しかった。」

 と観客に思ってもらえるプレイを見せなくてはいけません。

 それには時に戦術という殻から飛び出る勇気が必要なのも確かです
し、だからこそバッジョを認める指揮官は少なかったと言えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦術に厳格か、否か

2012-08-19 22:42:34 | 日記
 もし僕がサッカー選手なら、戦術家と呼ばれる指揮官とはウマ
が合わないと思います。

 日本ならばピクシー、欧州ならばモウリーニョやファン・ハール
がその代表格ですね。

 ピクシーは以前

 「戦術の逸脱は許さない」

 と語っていたと記億していますが、僕はその逸脱をしかねないの
で、彼らとの相性は最悪だと思います。

 僕は戦術を蔑ろにすべきではないと思いますし、監督の決断は尊重
されるべきだと考えます。

 その一方で

 「監督は私にこういう指示を出した。
  しかし、こう動いたほうが有意義だと考えたのでこう動いた。」

 と僕は感じると思いますし、実際日々の生活でもそう感じています。

 自分の直感を信じる

 自分の意志で動く。

 でもその都度

 「動く前に指示を仰いで下さい」

 と言われることが多いですね。

 恐らく僕のような人間には、もう一線からは退きましたがマッツオーネ
やジジ・シモーニのような

 「選手は自分の意志を大切のすべき」

 という指揮官と波長が合うのでしょう。

 2004年ボローニャに移籍した中田英寿が瞬時に主役に踊り出た
のは、パルマでがんじがらめにされていたその反動が、大きく影響し
たはずです。

 その時の指揮官はマッツオーネでしたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近年のサッカージャージはデザイン過剰か

2012-08-19 00:49:46 | 日記
 最近のサッカージャージはどこか

 「デザイン過剰」

 のように見えます。

 特にナイキがサポートするインテル、バルセロナ、そしてユナイ
テッドにその傾向が顕著だと思います。

 逆にアンブロが手がけるマンチェスター・シティは、非常にシ
ンプルで好感が持てます。

 これは各ブランドが、シーズン毎にレプリカ・ジャージを発売
せなばならない

 「過密日程」

 も大きいと思います。

 ナイキ、アンブロに限らず大手は莫大な資金をクラブの援助に
費やしていますから、ジャージが売れないと元手が採れません。

 一方デザイナーも、毎シーズン何かしらの新しいデザイン、提案
をファンに示す必要があります。

 だからこそ僕のように、

 「行き過ぎたデザインではなかろうか?」

 と考える人間が出てくるのでしょう。

 例えば2011シーズンのインテルのアウェーモデルには、クラ
ブの象徴である大蛇が描かれ、大きな反響を呼びました。

 これも数年前なら考えられないアイディアであり、ある意味デザ
イナーの

 「企画勝ち」

 と言えますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする