「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

夏の日をがばと呑みこむ鯉の修羅 酒井恍山 「滝」6月号<瀬音集>

2015-06-08 04:36:09 | 日記
 上五の「夏の日」は、夏の陽射しや夏の光とかではなく、
まるで太陽まるごとひとつのように読めてしまう。「がばと
呑みこむ」の措辞の勢いがそうさせるのだろう。さらに句座
「鯉の修羅」が大きく「北冥に魚あり、其の名を鯤(こん)
と爲す。鯤の大いなること、其の幾千里なるを知らざるなり。
化して鳥と爲る。其の名を鵬(ほう)と爲す」という『荘子』
逍遙游篇の一節を思い出した。金子兜太に「谷に鯉もみ合う
夜の歓喜かな」があるが、掲句では鯉の激しく揉み合うエロ
スがエロスを超越して、舞台を夜から昼へと変えたこともあ
ってさらなる生命讃歌へと飛翔している。呑み込まれる太陽
もひとつの星。ビッグ・バンから生まれたすべてのうちの欠
片にすぎない。すべては争い揉み合う鯉の中に包摂されてい
るのかも知れない。(石母田星人)