上五中七は人生をかえりみたという解釈もできなくもない
が弱い。推定樹齢千年といわれている三春の滝桜。その姿を
たっぷりと楽しんだ帰り際に振り返ったというのが正解だろ
う。何度も何度もそうしたのは、その場所が神域だったから
に違いない。手植えされた染井吉野と違って、滝桜は山の神
と密接に結び付いている。春になると山の神が里に降りて田
の神となり、秋の収穫を終えると山に帰るという信仰がある。
これは、山には農耕に欠かせない水の源があることと結び付
く。山の神が里に下りるとき、山と里との中間領域で休息す
る。その場所を、「サ(サ神)」の「クラ(鞍)」、「サクラ」と
呼び、それはちょうど桜が色づいている頃の場所を示す。滝
桜のある場所もそうだ。里人たちは田植えの時期になると神
に山から下りてもらい、さまざまな供物をそなえ豊作を祈願
してきた。サクラの「クラ」は古語で、神霊が依り鎮まる座
を意味する。このことから桜は、山の神の依る木となり、花
を愛でて酒を飲む花見も本来、山の神にサケ(酒)やサカナ
(サケ菜・肴・魚)を捧げ、お下がりを頂くという意味だ。
滝桜は神の住む場所と里との中間領域つまり境界に当たり、
里人の祈りの場所なのだ。この句の作者は何度も何度も振り
返っている。きっと神の領域にいる間中、神の依る御姿を見
続けたのだろう。(石母田星人)
が弱い。推定樹齢千年といわれている三春の滝桜。その姿を
たっぷりと楽しんだ帰り際に振り返ったというのが正解だろ
う。何度も何度もそうしたのは、その場所が神域だったから
に違いない。手植えされた染井吉野と違って、滝桜は山の神
と密接に結び付いている。春になると山の神が里に降りて田
の神となり、秋の収穫を終えると山に帰るという信仰がある。
これは、山には農耕に欠かせない水の源があることと結び付
く。山の神が里に下りるとき、山と里との中間領域で休息す
る。その場所を、「サ(サ神)」の「クラ(鞍)」、「サクラ」と
呼び、それはちょうど桜が色づいている頃の場所を示す。滝
桜のある場所もそうだ。里人たちは田植えの時期になると神
に山から下りてもらい、さまざまな供物をそなえ豊作を祈願
してきた。サクラの「クラ」は古語で、神霊が依り鎮まる座
を意味する。このことから桜は、山の神の依る木となり、花
を愛でて酒を飲む花見も本来、山の神にサケ(酒)やサカナ
(サケ菜・肴・魚)を捧げ、お下がりを頂くという意味だ。
滝桜は神の住む場所と里との中間領域つまり境界に当たり、
里人の祈りの場所なのだ。この句の作者は何度も何度も振り
返っている。きっと神の領域にいる間中、神の依る御姿を見
続けたのだろう。(石母田星人)