「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

ふり返りふり返りして滝桜 上遠野三惠 「滝」6月号<滝集>

2015-06-15 04:31:56 | 日記
 上五中七は人生をかえりみたという解釈もできなくもない
が弱い。推定樹齢千年といわれている三春の滝桜。その姿を
たっぷりと楽しんだ帰り際に振り返ったというのが正解だろ
う。何度も何度もそうしたのは、その場所が神域だったから
に違いない。手植えされた染井吉野と違って、滝桜は山の神
と密接に結び付いている。春になると山の神が里に降りて田
の神となり、秋の収穫を終えると山に帰るという信仰がある。
これは、山には農耕に欠かせない水の源があることと結び付
く。山の神が里に下りるとき、山と里との中間領域で休息す
る。その場所を、「サ(サ神)」の「クラ(鞍)」、「サクラ」と
呼び、それはちょうど桜が色づいている頃の場所を示す。滝
桜のある場所もそうだ。里人たちは田植えの時期になると神
に山から下りてもらい、さまざまな供物をそなえ豊作を祈願
してきた。サクラの「クラ」は古語で、神霊が依り鎮まる座
を意味する。このことから桜は、山の神の依る木となり、花
を愛でて酒を飲む花見も本来、山の神にサケ(酒)やサカナ
(サケ菜・肴・魚)を捧げ、お下がりを頂くという意味だ。
滝桜は神の住む場所と里との中間領域つまり境界に当たり、
里人の祈りの場所なのだ。この句の作者は何度も何度も振り
返っている。きっと神の領域にいる間中、神の依る御姿を見
続けたのだろう。(石母田星人)