「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

霄壌に母の蝶形骨拾ふ 石母田星人 「滝」6月号<渓流集>

2012-06-08 05:47:47 | 日記
 「霄」は空、「壌」は大地のことである。「霄壌」のあわい
に作者のうなだれた姿が痛々しい像となって私の心に描かれ
る。蝶形骨は人の頭蓋にあり、名の通り蝶が翅を広げた形を
しており、蝶嫌いの私が目を背けたくなるほど蝶にそっくり
である。その「蝶形骨を拾ふ」というリアル。「天に召される」
という幻想の空に母をのぼらしめる行為として、作者は手を
動かしているのではないだろうか。そうすることで、新しい
「生」を受け、蝶形骨は現世を離れる真っ白な蝶となってそ
の翅をふわりと動かすのだ。私は無季の句に無理やり蝶を飛
ばそうとしたのではない。「春」はむしろ蝶形骨が頭蓋と言う
よりは顔の部分にあることから、「母」という存在にあるよう
に思えた。合掌。 (H)