行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

つぶやきまとめ4

2022年03月11日 | 仏の心
「縁起」という太い幹から「諸行無常」「諸法無我」「諸法実相」という枝が出ているのが仏法という木

自分だけが幸せであれば、周りの人は不幸でもいい。
それは人間の考えることではありません。
第一、周りの人が皆不幸で、自分一人が幸福などということはあり得ないのです。(瀬戸内寂聴)これが縁起ということです。自分という存在は網の目の一つなのです。

【眼横鼻直 花はくれない、柳はみどり】現実を正しく認識し、事実を積み上げていく。簡単なようで簡単ではない。自己を見つめてみれば、現実を自分の都合のいいように歪めてみていることがわかる。陰謀論、カルトに陥らないためにも。

憎しみはない方がいいにはちがいないが、子どもを殺された人に「憎しみを捨てなさい」というのは残酷じゃ。
死の恐怖に怯えている人に「死を恐れてはいけない」などというのは無慈悲というものじゃ。
お釈迦様は相手の状況や立場をみてお話しされたのじゃ。

新聞・テレビの情報を鵜呑みにするなという人は、大概インターネットの誤情報を鵜呑みにしている。新聞・テレビは信用を失えば存在が危うくなるが、インターネットで誤情報を流す人は信用を失って困ることのない人が多い。(新聞・テレビは印象操作はあるかもしれないが、ウソを流せば大変なことになるのだ)

つぶやきまとめ3

2022年03月08日 | 仏の心
「自灯明 法灯明」は、自分勝手に考えることではなく、自分も個人として尊重されると同時に、他人も個人として尊重することが大事で、他人を支配したり自分の思い通りにしようとしてはいけないということだ。

「自分は絶対に騙されるわけがない」と思っている時には騙されていることが多いものだ。なぜなら騙されている人は騙されていることに気がついていないからだ。騙されないためには、まず自分自身を疑ってかかることだ。自分を信じて生きることは自分の思考を疑うことなのだ。

人の能力はいわゆる頭の良し悪しではなく、物事を正しく認識しているかどうかだと思う。そのためには、自分の頭で考えていることと事実を一緒にしないこと。推測や憶測を事実として認識してしまわないこと。したがって、陰謀論者やデマを信じてしまう人はいくら頭が良くても、能力は高くないのだ。

頼まれてもいないのに、他人の投稿にアドバイスしたがる人。上から目線で人生相談に乗りたがる人。そんな迷惑で恥ずかしい人に私がなっていないか、常に点検しておかなければ。そういうアドバイスは役に立たないのだ。

「屁一発でも貸し借り ヤリトリできぬ自己の生命」→「コトバによって通じ合う世界が開かれる」

つぶやきまとめ2

2022年03月04日 | 仏の心
「誰も知らない情報」だと言って得意げに話す人はいるが、「誰も知らない情報」というのはデマや陰謀論であることが多いのだ。

仏像がありがたいんじゃないんじゃ。人間が有り難いんじゃ

「天上天下唯我独尊」や「自灯明」を間違って解釈すると「自分さえよければ」という利己主義に陥ってしまう。宮澤賢治のいう『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』が大事

宮澤賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは」は受け取り方を間違えると「八紘一宇」を連想するものになってしまう。出典の『農民芸術概論綱要』の『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか。新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である』の文脈全体からは「八紘一宇」を言っているのではないことがわかる。

宮澤賢治の『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』は全体の文脈から政治や社会のことではなく、宗教的な意味のことだとわかる。八紘一宇とは関係ない。

つぶやきまとめ1

2022年03月01日 | 仏の心
「生老病死」のうち、「老」の苦しみは歳をとってみないとわからない。

プライドや自尊心が強すぎるのも生きづらさのもと。ほどほどがよい。

「仏道をならふといふは 自己をならふなり」がわかれば、「強く生きる」「明るく生きる」「自分が好きになる」など幻想の自分でしかないことがわかる。

仏教の語る大事なことの一つに「極端、極論に陥らない」がある。保守でもリベラルでも極端な思想は結局は同じところに向かってしまうのだ。そして極端な思想は陰謀論に向かっていく。

私の好きな言葉「適当」「いい加減」「ほどほどに」・・・極論にならず、ちょうどいいのが良い