akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

教養学部無教養学科

2006-05-12 | 映画・芸術・エンターテインメント
卒業です、と昔からよく苦笑いをしておりました。私、いつも、大学時代にもっとちゃんと勉学に勤しんでおくんだった、と反省します。もちろん、人間、いくつになっても学べるわけですが、記憶力や知識の吸収力は、若い頃の脳の方がはるかに優秀です。
小さい頃は、自分は神童かと思うくらい記憶力や暗記力に優れていても、大人になると並み以下の記憶力になり、しかも固有名詞が思い出せないなどの情けない症状が多発するようになってくる…。私も数多いそうした人間の一人です。

私はけっこう大学が好きでした。自由な学部も、気に入っていました。
教養学部には教養学科しかなく、2年になると15コースの中から選択して分かれていきます。文学、歴史、哲学、社会学、語学、文化人類学、さまざまな分野が集まっていますが、一応コースに分かれた後も、必須科目が少なくどの講義をとっても単位になる。在学中はとにかく興味にまかせてたくさんの講義を受けました。
出席率がよかったかどうかや熱心だったかどうかは別、合わない講義は淘汰されていきましたが、文学の講義はイギリス、アメリカ、フランス、ドイツとあれもこれもでした。もちろん日本の文学は、一応国語の先生の免許を持っているので、一通り受けています。そして哲学、美学、歴史学。

しかし、なんといっても楽しかったのは、それぞれのコースの打ち上げや教授の飲み会。文学系のほとんどのコースの研究室に出入りし、教授達と本当によく飲んでいました。いまだに、先生たちはへんなところを覚えていて、私自身が目を丸くするエピソードがよく飛び出します。というよりも、どの先生も会えば私に関しては授業以外の飲み会の記憶の方が鮮明で、自分でも呆れます。

なぜか私は教育学部の絵画の授業まで選択していました。きっかけは確かデッサンのモデルになったことからだったのですが、それから先生とも15年来のつき合いが続いています。
先日その先生と、ファーブル昆虫記などでも著名な仏文学の恩師奥本大三郎先生の話になり、
「僕が教養学部で面識があるのは仏文学の二人くらいだなあ。パリ留学の前に、奥本先生の大学院の講義を僕もモグリで受けたんですよ」
普通教育学部と教養学部の教授たちはほとんど面識がありません。
「へえ、そうなんですか!先生、なんでまたお知り合いになったんですか?」
「君、何言ってんの、君が紹介したんじゃないか! 仏文コースの飲み会に行きませんか、先生を紹介します、って僕を連れていって」
「…」
よくまあ自分のコースでもないのにそんなことをしたもんだと思いつつ、振り返ると、やはりあちらこちらの課外授業で聞いた話のほうが今も私の中に残っていたりするのです。

そして、私は大学時代にしっかり学びきらず、それぞれの分野の断片だけをかじったがゆえに、興味と劣等感が薄れず、引き続き、延長線上にある今の仕事をしているのかもなあと不思議な縁を感じます。活弁一つとっても、日本映画、アメリカ映画、ドイツ映画、フランス映画、イタリア映画と各国の作品を手掛けますので、教授の顔と言葉を時々思い浮かべながら、毎回劣等感との闘い?です。

ちなみに私、一応イギリスコースで、19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリス文学の中から、恐れ多くもアイルランドのジェイムズ・ジョイスなどを卒論に取り上げたのでした。
ただ、語学だけは頭がもう少し柔らかいうちに身につけておくんだった、と後悔することしばしばです。
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