大相撲秋場所11日目、新入幕逸ノ城が初の大関戦で稀勢の里を立ち合いの変化からはたき込みで勝ち、
稀勢の里は4敗目となった。立会いが合わず、どちらかと言うと、稀勢の里が立会いを嫌い3度目で立った。
立会いが合わない時の稀勢の里は確率から言えば負けることが多い。対戦相手を相当気にしている証拠で、
稀勢の里の場合は、その時点で気負い負けしているように見える。
「msn産経ニュース」
2度も立会いを合わせえなかった稀勢の里、立会い後に全く足がでていないことが敗因で、弱い稀勢の里の一面がでてしまった。
新聞報道によると、新入幕力士が大関に勝ったのは、2000年夏場所で栃乃花が千代大海と貴ノ浪の2大関を破って以来らしい。
その後、栃乃花はその場所で12勝3敗の成績を残し、敢闘賞と技能賞を受賞したとあった。
しかし、この逸ノ城は別世界の強さを感じる。むしろ脅威さら感じるほどの強さがある。
新聞では逸ノ城の立会い変化からのはたき込みを残念とする記事もあったが、なにも、新入幕だから大関とまともに勝負することもないし、
はたき込みは立派な相撲技だし、頻繁に使う横綱だっているのだから、期待はずれとするコメントを決してそうだとは思わない。
勝つための最良の方法だったと思えるし、新入幕逸ノ城を高く評価したい。
それでも、かえすがえす残念なのは大関稀勢の里の土俵。昨年以来の綱取りに対する期待感が高まるも、
2度のチャンスをモノに出来ない間に鶴竜が昇進してしまった。実力は一級品なのに、どの場所も平幕に
簡単に負けてしまう悪癖は直っていない。それはいざという時のメンタルの弱さだとネット記事には解説されている。
日本人トップの力士としての重圧が重いんだろうか。 もたもたしているうちに、鶴竜は先に横綱に昇進し、
3人のモンゴル横綱を3人の日本人大関が支える形となってしまった。モンゴル力士との日本人力士と大きな差は、
テレビ桟敷で見ている範囲だが、勝負に対するどん欲さが根本的に異なっているように見える。
最強の横綱と称されている白鵬をみると、勝つためには勝負を避ける立会の変化で場内ブーイングが起ころうが、
「カチあげ」で相手力士を脳しんとうを起こさせようが、これが「横綱相撲」かとどんなに酷評を書かれようが、
勝ちさえすれば時が解決してくれるとばかりに、そして結果的に最高の横綱と称される。
そのどん欲さが稀勢の里からは伝わってこない。『稀勢の里に必要なのは、良くも悪くも狡さだと思う。
しかし、狡さを身に付けた時、稀勢の里は愛すべき稀勢の里ではなくなる』と、ある記事にあったが、しかし
我々ファンは、勝って憎たらしい程に強い稀勢の里の登場を願望しているのが正直な気持ち。
今年の5月、ふがいない稀勢の里の相撲を見て、当ブログに、こう書いた。
『こんなのを見ていると、一本勝ちに拘る日本柔道が世界柔道界で劣勢に立たされている状況にも似て、
勝ちを最優先するのであれば勝ちに拘る方法もまた考えねばなるまい。また表現が的を得てないかもしれぬが、
中韓の日本攻撃に対し、大人の対応とか毅然として対応するとかを言うばかりでなにもしない日本と良く似ている。
昨日発生した、「中国軍戦闘機による自衛隊機への異常接近について、防衛相は「常軌を逸した行動だ」と批判した」
と新聞にあった。相撲取りもそうだが、いざとなったらどんな手段でも勝つんだと教えてやらねば、
敵に舐められるだけだろう。謀略に明け暮れた中国やその影響を受け続けた周辺国、彼らと日本の歴史の歩みは決して同一ではない。
さて、どう対処する。』 あれから半年後、稀勢の里の相撲は少しも進歩せずむしろ退化してようにも見えてしまう。
稀勢の里のファンの一人として、もっと荒々しい相撲を期待して、毎場所、こう思ってテレビを見ている。
今場所は、特に精気がない稀勢の里を見てしまった。
それにしても、あれよあれよ言う間に、大砂嵐や遠藤が土俵をにぎわし、加えてモンゴルの照ノ富士や逸ノ城が迫ってきた。
新時代の幕開けは直ぐそこに迫りつつある。 28歳の日本人稀勢の里、もう若くはない。牙をむけ、稀勢の里!
稀勢の里は4敗目となった。立会いが合わず、どちらかと言うと、稀勢の里が立会いを嫌い3度目で立った。
立会いが合わない時の稀勢の里は確率から言えば負けることが多い。対戦相手を相当気にしている証拠で、
稀勢の里の場合は、その時点で気負い負けしているように見える。
「msn産経ニュース」
2度も立会いを合わせえなかった稀勢の里、立会い後に全く足がでていないことが敗因で、弱い稀勢の里の一面がでてしまった。
新聞報道によると、新入幕力士が大関に勝ったのは、2000年夏場所で栃乃花が千代大海と貴ノ浪の2大関を破って以来らしい。
その後、栃乃花はその場所で12勝3敗の成績を残し、敢闘賞と技能賞を受賞したとあった。
しかし、この逸ノ城は別世界の強さを感じる。むしろ脅威さら感じるほどの強さがある。
新聞では逸ノ城の立会い変化からのはたき込みを残念とする記事もあったが、なにも、新入幕だから大関とまともに勝負することもないし、
はたき込みは立派な相撲技だし、頻繁に使う横綱だっているのだから、期待はずれとするコメントを決してそうだとは思わない。
勝つための最良の方法だったと思えるし、新入幕逸ノ城を高く評価したい。
それでも、かえすがえす残念なのは大関稀勢の里の土俵。昨年以来の綱取りに対する期待感が高まるも、
2度のチャンスをモノに出来ない間に鶴竜が昇進してしまった。実力は一級品なのに、どの場所も平幕に
簡単に負けてしまう悪癖は直っていない。それはいざという時のメンタルの弱さだとネット記事には解説されている。
日本人トップの力士としての重圧が重いんだろうか。 もたもたしているうちに、鶴竜は先に横綱に昇進し、
3人のモンゴル横綱を3人の日本人大関が支える形となってしまった。モンゴル力士との日本人力士と大きな差は、
テレビ桟敷で見ている範囲だが、勝負に対するどん欲さが根本的に異なっているように見える。
最強の横綱と称されている白鵬をみると、勝つためには勝負を避ける立会の変化で場内ブーイングが起ころうが、
「カチあげ」で相手力士を脳しんとうを起こさせようが、これが「横綱相撲」かとどんなに酷評を書かれようが、
勝ちさえすれば時が解決してくれるとばかりに、そして結果的に最高の横綱と称される。
そのどん欲さが稀勢の里からは伝わってこない。『稀勢の里に必要なのは、良くも悪くも狡さだと思う。
しかし、狡さを身に付けた時、稀勢の里は愛すべき稀勢の里ではなくなる』と、ある記事にあったが、しかし
我々ファンは、勝って憎たらしい程に強い稀勢の里の登場を願望しているのが正直な気持ち。
今年の5月、ふがいない稀勢の里の相撲を見て、当ブログに、こう書いた。
『こんなのを見ていると、一本勝ちに拘る日本柔道が世界柔道界で劣勢に立たされている状況にも似て、
勝ちを最優先するのであれば勝ちに拘る方法もまた考えねばなるまい。また表現が的を得てないかもしれぬが、
中韓の日本攻撃に対し、大人の対応とか毅然として対応するとかを言うばかりでなにもしない日本と良く似ている。
昨日発生した、「中国軍戦闘機による自衛隊機への異常接近について、防衛相は「常軌を逸した行動だ」と批判した」
と新聞にあった。相撲取りもそうだが、いざとなったらどんな手段でも勝つんだと教えてやらねば、
敵に舐められるだけだろう。謀略に明け暮れた中国やその影響を受け続けた周辺国、彼らと日本の歴史の歩みは決して同一ではない。
さて、どう対処する。』 あれから半年後、稀勢の里の相撲は少しも進歩せずむしろ退化してようにも見えてしまう。
稀勢の里のファンの一人として、もっと荒々しい相撲を期待して、毎場所、こう思ってテレビを見ている。
今場所は、特に精気がない稀勢の里を見てしまった。
それにしても、あれよあれよ言う間に、大砂嵐や遠藤が土俵をにぎわし、加えてモンゴルの照ノ富士や逸ノ城が迫ってきた。
新時代の幕開けは直ぐそこに迫りつつある。 28歳の日本人稀勢の里、もう若くはない。牙をむけ、稀勢の里!