14日の「中尾省吾さんのブログ」に、懐かしいと言うか、今もって健在なる編集長の写真が投稿してあった。
森岡進さんと内田稔さんの御二人だ。
もう約25年以上前から全日本モトクロス選手権やオフ車のインプレ時には、大変お世話になった。
カワサキオフ車が絶好調の時代でもあったので、カワサキを贔屓にして頂いたように記憶している。
「モトクロス会場で、ネンちやんがモリちやんに気を使っておられる写真」

向かって右は、「ガルル」とゆ~名前を思いついて、
「ガルル」とゆ~オフロードバイクのマガジンを立ち上げた森岡ススムさん。
向かって左は、そのGARRRを世界的な人気マガジンに育て上げた二代目編集長の打田ネンさん。
二人の出逢いはおよそ30年前に芸文社から発行されていた
二代目の「プレイライダー」マガジンにサカノボリますからね、
もしかしたら30年の師弟関係つーことになるわけで、
しかもお二人とも未だにオフロードバイクのマガジンでガッポガッポ稼いでおられるんですから羨ましい限り。
お二人ともオフロードライディングがお上手で、
撮影と作文のセンスがピカピカ光ってるからだと思いますけどもね、
お二人の活躍のお陰で、私はまだまだ若手とかヒヨッコと言われるからありがたいざんす~。
・・「中尾省吾さんのブログ」より
お二人以外の雑誌記者でも、当時のサイクルサウンド誌の浦島信太郎さん、松元龍治さん、ライダーズクラブ誌のオフ担当だった森久志さん、
ライディングスポーツ誌の編集者、そして多くの写真家や中尾省吾さん等の雑誌屋さんには大変お世話になった。
全日本選手権でも色々話しをさせていただいたし、色んな情報を教えてもらったモトクロス仲間だと今でも思っており、感謝している。
最近、雑誌を殆ど見る事は無くなってしまったので、夫々の編集者がどの雑誌社のどの雑誌を担当されているのか知る由もないが、
少なくと中尾省吾さんのブログ記事は毎日拝見しているので、20数年前の文筆と何ら変わらず面白い。
浦島編集長の「dirtcool」誌も如何にも浦島さんらしいが、20数年前の「サイクサウンズ」の記事の方がより核心をついた記事だったように思う。
人の性格などはそんなに変わることもないので、編集長の考えを示す記事文体は基本的に変わり得ないと思うのだが。
多くの関係企業の技術者や担当者と面談を重ね、しかも日本や海外の関係するライダーやマネージャとも話す機会を多く持ったはずなので、
面談相手の考えている事ぐらい簡単に見透かされてしまうのだろうが、それを承知で面白い会話を楽しんできた。
良い時期を一緒に過ごさせてもらった。
ところで、「サイクルサウンズ」の主編集担当は山海堂の社員であった松元龍治さんだったと思う。
サイクルサウンズ誌の発行元が山海堂であることを知ったのは、山海堂が発行した「内燃機関」誌の名物編集長だった八木国夫さんからで、
それまでは、サイクルサウンズ誌の発行社が山海堂だとは知らなかった。
平成1年頃だったと思うが、「内燃機関」誌が「川崎重工の小型エンジンの技術変遷と研究開発特集」を二ヶ月にわたって取上げてくれた。
内燃機関誌が特定企業の開発状況を二ヶ月に渡って取上げてくれるのは異例のことだった。
内燃機関誌の八木国夫編集長が事前打合せに明石工場に来明されたので、酒豪で知られた八木編集長の相手をするようにと当時の藤川技術総括部長より指示された。
その懇親場所だったカワサキの二松荘で、八木編集長からサイクルサウンズの松元編集員を知っているかと聞かれ、始めて同誌の発行元を知ってビックリした。
山海堂と言えば、内燃機関を取上げている日本を代表する雑誌で、内外の著名な内燃機関技術者が編集委員を務め、川田東大教授と長尾京大教授が編集主幹、
AVL社のハンス・リスト教授が編集顧問を担当されて、米国のSAEジャーナル誌や独のMTZに比べられる存在だった。
我々技術者が常に傍において参考にした雑誌だ。その山海堂がモトクロス雑誌を発行しているとは知らなかった。
当時のカワサキ技術者は内燃機関誌やSAEジャーナル誌に研究成果論文を投稿する機会も多くあった。
だから、エンジン技術者にとっての山海堂は特別な思いを持った雑誌社だった。
「内燃機関」誌はサイクルサウンズ別冊「ENGINE TECHNOLOGY」という雑誌で復活し、松元龍治さんは山海堂の社長となった。
話がだいぶ逸脱してしまったが、当時一緒の場面にいた雑誌編集者達が今だ第一線で活躍しているのを見て、当時を少しだけ思い出した。
何時かの機会に再度取上げたい。
森岡進さんと内田稔さんの御二人だ。
もう約25年以上前から全日本モトクロス選手権やオフ車のインプレ時には、大変お世話になった。
カワサキオフ車が絶好調の時代でもあったので、カワサキを贔屓にして頂いたように記憶している。
「モトクロス会場で、ネンちやんがモリちやんに気を使っておられる写真」

向かって右は、「ガルル」とゆ~名前を思いついて、
「ガルル」とゆ~オフロードバイクのマガジンを立ち上げた森岡ススムさん。
向かって左は、そのGARRRを世界的な人気マガジンに育て上げた二代目編集長の打田ネンさん。
二人の出逢いはおよそ30年前に芸文社から発行されていた
二代目の「プレイライダー」マガジンにサカノボリますからね、
もしかしたら30年の師弟関係つーことになるわけで、
しかもお二人とも未だにオフロードバイクのマガジンでガッポガッポ稼いでおられるんですから羨ましい限り。
お二人ともオフロードライディングがお上手で、
撮影と作文のセンスがピカピカ光ってるからだと思いますけどもね、
お二人の活躍のお陰で、私はまだまだ若手とかヒヨッコと言われるからありがたいざんす~。
・・「中尾省吾さんのブログ」より
お二人以外の雑誌記者でも、当時のサイクルサウンド誌の浦島信太郎さん、松元龍治さん、ライダーズクラブ誌のオフ担当だった森久志さん、
ライディングスポーツ誌の編集者、そして多くの写真家や中尾省吾さん等の雑誌屋さんには大変お世話になった。
全日本選手権でも色々話しをさせていただいたし、色んな情報を教えてもらったモトクロス仲間だと今でも思っており、感謝している。
最近、雑誌を殆ど見る事は無くなってしまったので、夫々の編集者がどの雑誌社のどの雑誌を担当されているのか知る由もないが、
少なくと中尾省吾さんのブログ記事は毎日拝見しているので、20数年前の文筆と何ら変わらず面白い。
浦島編集長の「dirtcool」誌も如何にも浦島さんらしいが、20数年前の「サイクサウンズ」の記事の方がより核心をついた記事だったように思う。
人の性格などはそんなに変わることもないので、編集長の考えを示す記事文体は基本的に変わり得ないと思うのだが。
多くの関係企業の技術者や担当者と面談を重ね、しかも日本や海外の関係するライダーやマネージャとも話す機会を多く持ったはずなので、
面談相手の考えている事ぐらい簡単に見透かされてしまうのだろうが、それを承知で面白い会話を楽しんできた。
良い時期を一緒に過ごさせてもらった。
ところで、「サイクルサウンズ」の主編集担当は山海堂の社員であった松元龍治さんだったと思う。
サイクルサウンズ誌の発行元が山海堂であることを知ったのは、山海堂が発行した「内燃機関」誌の名物編集長だった八木国夫さんからで、
それまでは、サイクルサウンズ誌の発行社が山海堂だとは知らなかった。
平成1年頃だったと思うが、「内燃機関」誌が「川崎重工の小型エンジンの技術変遷と研究開発特集」を二ヶ月にわたって取上げてくれた。
内燃機関誌が特定企業の開発状況を二ヶ月に渡って取上げてくれるのは異例のことだった。
内燃機関誌の八木国夫編集長が事前打合せに明石工場に来明されたので、酒豪で知られた八木編集長の相手をするようにと当時の藤川技術総括部長より指示された。
その懇親場所だったカワサキの二松荘で、八木編集長からサイクルサウンズの松元編集員を知っているかと聞かれ、始めて同誌の発行元を知ってビックリした。
山海堂と言えば、内燃機関を取上げている日本を代表する雑誌で、内外の著名な内燃機関技術者が編集委員を務め、川田東大教授と長尾京大教授が編集主幹、
AVL社のハンス・リスト教授が編集顧問を担当されて、米国のSAEジャーナル誌や独のMTZに比べられる存在だった。
我々技術者が常に傍において参考にした雑誌だ。その山海堂がモトクロス雑誌を発行しているとは知らなかった。
当時のカワサキ技術者は内燃機関誌やSAEジャーナル誌に研究成果論文を投稿する機会も多くあった。
だから、エンジン技術者にとっての山海堂は特別な思いを持った雑誌社だった。
「内燃機関」誌はサイクルサウンズ別冊「ENGINE TECHNOLOGY」という雑誌で復活し、松元龍治さんは山海堂の社長となった。
話がだいぶ逸脱してしまったが、当時一緒の場面にいた雑誌編集者達が今だ第一線で活躍しているのを見て、当時を少しだけ思い出した。
何時かの機会に再度取上げたい。