10月30日、JSB1000クラスレースの最終戦が鈴鹿で開催された。
東北大震災の影響で、レース開催日程は大幅に変更され、当初計画8戦は6戦に短縮された中で、
チャンピオンはホンダの秋吉選手が獲得し、カワサキの柳川選手の総合順位は3位となった。
カワサキは2011年、前評判の高かった新型ZX10Rを投入するも、
世界スーパーバイク選手権と同様に、前評判通りの結果は出せずじまいでレースシーズンは終了した。
鈴鹿サーキットはマシンの完成度が良くないとタイムを稼ぐことが難しいコースと言われており、
その鈴鹿での予選タイムは2’06秒台が2名、2’07秒台が2名、そして柳川選手は2’08”3の予選5位となった。
上位5名以下の選手のタイムは更に+2秒落ちなので、実質上位2名の優勝争いが今期のレース展開だった。
結果的に、柳川選手は2010年度順位2位から3位に下がってしまった。
一般的には実施することがないレース中盤からのタイヤメーカ変更を強行したにも関わらずレース結果を前進させることは出来なかった。結果だけを見ると、マシンの完成度が不十分ではなかったのかと市場から指摘される可能性を否定できない。
2011年もカワサキは全日本クラスに販売会社が運営するレースチーム「Team Green」を出場させた。来期は開発担当が運営するワークスチームの参戦はあるのだろうか。カワサキは2000年の井筒選手(カワサキレーシングチーム)がチャンピオンを獲得して以来、10年も遠ざかっている。強いカワサキの再来を大いに期待している。
前にも書いたが、ロードレースに勝てない理由はいくつでも挙げる事は出来る。レース戦績に影響する要因としては、組織、ライダー、マシン、運営を高次元で纏め挙げる能力に加え、企業トップの考え方が必然的に影響してくるが、ロードレースがモトクロスと違っている点があるとすれば、マシンの完成度が高いレベルでレース戦績に影響する事だと考えている。
「Team Green」の柳川選手
**強烈な印象をUS市場に残した強いカワサキ!!
一方、強烈な印象を市場に与えた強いカワサキを紹介したい。
こんなに忘れられないインパクトを市場に蒔き散らした、カワサキ、ライダー、マシンはそんなに多くない思う。
先日、sam-wd3 さんが「カワサキ1-2-3フィニッシュ」の貴重な写真を投稿してくれた。カワサキワークスライダー「Gary Nixon」「Yvon Duhamel」「Art Baumann」の3ライダーが、1973年のオンタリオ・スピードウェイで1-2-3フィニッシュした。その時のマシンはH2R。
当時、1970年代のUSカワサキのロードレースチームの強烈さ加減は度を超えていた。
その効果もあってか、私がロスアンゼル移民局での通関時、カワサキステッカーを貼ったバッグを持ちモーターサイクルテストと言えば、職員はニコッとして0Kだった。H2Rがカワサキの強さの象徴だった事は疑いのない事実だ。
当時、マシン開発グループに配属し担当者でもあった、sam-wd3 さんの印象もすごい。「当時のカワサキは勝敗もさながらライダーも個性的、暴れるマシンを巧みにコントロールして・・・ 時には派手にクラッシュ、なぜかUSの雑誌にはH2Rの転倒シーンがよく載っていた記憶があります。 まさにグリーンモンスターでしたね・・・」
H2Rは圧倒的に強く、グリーンマシンが先頭集団を形成してレースを引っ張ることも多かった。
だから、転倒シーンが絵になるので雑誌社も素材として大きく取上げた要因だろう。
同じく、 sam-wd3 さんがAMAロードレースチームのKHI訪問時の写真「Welcome to KHI」を投稿してくれた。
この写真は、US Kawasakiチームの「Yvon Duhamel」と「Gary Nixon」、そしてメカの「Randy Hall」と「Erv Kanemoto」がカワサキを訪れた時の写真と説明がある。1974~75年ごろだそうだ。迎える明石サイドは二輪事業部のトップが勢揃し、事業部のレースに対する強い意気込み感じることが出来る。確か、Z1が市場に登場し強いインパクトを世界市場に与えつつある時期、カワサキの知名度向上策として採用した戦略がレースだった。
東北大震災の影響で、レース開催日程は大幅に変更され、当初計画8戦は6戦に短縮された中で、
チャンピオンはホンダの秋吉選手が獲得し、カワサキの柳川選手の総合順位は3位となった。
カワサキは2011年、前評判の高かった新型ZX10Rを投入するも、
世界スーパーバイク選手権と同様に、前評判通りの結果は出せずじまいでレースシーズンは終了した。
鈴鹿サーキットはマシンの完成度が良くないとタイムを稼ぐことが難しいコースと言われており、
その鈴鹿での予選タイムは2’06秒台が2名、2’07秒台が2名、そして柳川選手は2’08”3の予選5位となった。
上位5名以下の選手のタイムは更に+2秒落ちなので、実質上位2名の優勝争いが今期のレース展開だった。
結果的に、柳川選手は2010年度順位2位から3位に下がってしまった。
一般的には実施することがないレース中盤からのタイヤメーカ変更を強行したにも関わらずレース結果を前進させることは出来なかった。結果だけを見ると、マシンの完成度が不十分ではなかったのかと市場から指摘される可能性を否定できない。
2011年もカワサキは全日本クラスに販売会社が運営するレースチーム「Team Green」を出場させた。来期は開発担当が運営するワークスチームの参戦はあるのだろうか。カワサキは2000年の井筒選手(カワサキレーシングチーム)がチャンピオンを獲得して以来、10年も遠ざかっている。強いカワサキの再来を大いに期待している。
前にも書いたが、ロードレースに勝てない理由はいくつでも挙げる事は出来る。レース戦績に影響する要因としては、組織、ライダー、マシン、運営を高次元で纏め挙げる能力に加え、企業トップの考え方が必然的に影響してくるが、ロードレースがモトクロスと違っている点があるとすれば、マシンの完成度が高いレベルでレース戦績に影響する事だと考えている。
「Team Green」の柳川選手
**強烈な印象をUS市場に残した強いカワサキ!!
一方、強烈な印象を市場に与えた強いカワサキを紹介したい。
こんなに忘れられないインパクトを市場に蒔き散らした、カワサキ、ライダー、マシンはそんなに多くない思う。
先日、sam-wd3 さんが「カワサキ1-2-3フィニッシュ」の貴重な写真を投稿してくれた。カワサキワークスライダー「Gary Nixon」「Yvon Duhamel」「Art Baumann」の3ライダーが、1973年のオンタリオ・スピードウェイで1-2-3フィニッシュした。その時のマシンはH2R。
当時、1970年代のUSカワサキのロードレースチームの強烈さ加減は度を超えていた。
その効果もあってか、私がロスアンゼル移民局での通関時、カワサキステッカーを貼ったバッグを持ちモーターサイクルテストと言えば、職員はニコッとして0Kだった。H2Rがカワサキの強さの象徴だった事は疑いのない事実だ。
当時、マシン開発グループに配属し担当者でもあった、sam-wd3 さんの印象もすごい。「当時のカワサキは勝敗もさながらライダーも個性的、暴れるマシンを巧みにコントロールして・・・ 時には派手にクラッシュ、なぜかUSの雑誌にはH2Rの転倒シーンがよく載っていた記憶があります。 まさにグリーンモンスターでしたね・・・」
H2Rは圧倒的に強く、グリーンマシンが先頭集団を形成してレースを引っ張ることも多かった。
だから、転倒シーンが絵になるので雑誌社も素材として大きく取上げた要因だろう。
同じく、 sam-wd3 さんがAMAロードレースチームのKHI訪問時の写真「Welcome to KHI」を投稿してくれた。
この写真は、US Kawasakiチームの「Yvon Duhamel」と「Gary Nixon」、そしてメカの「Randy Hall」と「Erv Kanemoto」がカワサキを訪れた時の写真と説明がある。1974~75年ごろだそうだ。迎える明石サイドは二輪事業部のトップが勢揃し、事業部のレースに対する強い意気込み感じることが出来る。確か、Z1が市場に登場し強いインパクトを世界市場に与えつつある時期、カワサキの知名度向上策として採用した戦略がレースだった。