しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

加藤清正

2021年05月01日 | 銅像の人
場所・愛知県名古屋市中区





加藤清正

安土桃山・江戸前期の武将。
尾張生まれ。
豊臣秀吉に仕え、天正16年(1588)肥後半国19万5千石の熊本城主となる。
朝鮮との文禄・慶長の役で活躍し,勇名をとどろかせた。
関ケ原の戦いで東軍に従がい、戦後、肥後一国51万5千石を領した。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行








「NHK歴史と人間」 日本放送出版協会 昭和53年発行

談・五味康祐

加藤清正

名古屋城というのは、はっきり、大坂城から攻めてくるものへの防御を主体にして家康はつくっていますわね。
つくらされている加藤清正は、いってみれば豊臣恩顧の武将ですね。
清正にとって本音は熊本城、建前は名古屋城。

蔚山でずいぶん苦労しています。
熊本の城の畳は普通の、いわゆるい草じゃなくて、いつでも食べられるものにしたとかね。
要するに朝鮮へ行って攻めてきて、はじめて考え出されたことですから。
守るために考えられたことでしょう。





撮影日・2018年9月15日




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