しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

本多忠勝

2021年04月16日 | 銅像の人
場所・愛知県岡崎市   岡崎公園




「戦国武将100話」  桑田忠親 立風書房 1978年発行

本多忠勝
「家康に過ぎたる」合戦の勇者

本多平八郎忠勝は、徳川譜代の武功派として四天王のひとりにかぞえられた典型的な戦国武将である。
史書の伝える忠勝は、
「若年より軍におもむくこと、およそ50余度におよび、
武功すぐれておおしといえども、
いまだかつて創をこうぶることなし」
という勇将である。
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」、これもよく知られている。


三方ヶ原の合戦の時、忠勝は25歳であった。
徳川軍大敗北の殿軍の大役をつとめることになった。
のちに武田方の初鹿野伝衛門が回顧して語っている。
「・・・その時、殿軍の忠勝を追撃しようとしたが、
蜻蛉切の槍を片手でふりまわし、鬼神のような形相で睨みつけられると、全身が総毛だって、手も足も出なかった」


後、桑名15万石に封ぜられた。







撮影日・2014年10月10日



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