しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

日本二十六聖人

2021年05月25日 | 銅像の人
場所・長崎県長崎市西坂町   日本二十六聖人殉教地

長崎駅前、ここから徒歩5分で西坂公園がある。





西坂公園は、日本二十六聖人殉教地。
聖トマス小崎はじめ二十六人が、この地で刑死した。



(長崎旅ネット)

豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘です。
キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれており、
二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でもってこの地で処刑されました。
戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年、長崎県はこの丘を史跡に指定。
26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられた西坂公園ができました。
また、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めています。
1950年バチカン指定公式巡礼地、県指定史跡








殉教

殉教はキリストの十字架の犠牲にならう最高の信仰の表明です。
自分が死ぬことだけでなく、キリストにならう、かつ多くの人の救いになるということです。

二十六聖人は、ローマ法王庁で殉教が認められて、聖者の列に加わった。
原城で戦ったキリシタンは殉教と認められていません。
十字軍もそうです。
抵抗して戦ったからで、無抵抗でなければ認められません。

「歴史よもやま話・上」  池島信平  文春文庫 1982年発行








(日本26聖人記念館)
ようこそ、日本26聖人記念館へ!

日本二十六聖人記念館は、
フランシスコ・ザビエルに始まる日本とヨーロッパの出会いから生まれたキリシタン文化と、キリスト教に対する迫害によって殉教した人々のメッセージを紹介する施設です。
記念館がある、この西坂の地では、1597年から17世紀中ごろまで、キリスト教徒であるために、多くの人々が処刑され、殉教しました。
かつての日本に、信仰の自由を奪った時代があったということです。
二度と繰り返してならない歴史に思いを巡らし、平和を願う場所へ、ぜひお越しください!
記念館では、日本に最初にキリスト教を伝えたザビエル神父像が、あなたをお迎えします。





撮影日・2012年5月10日




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 聖トマス小崎 | トップ | 炭坑節 »

コメントを投稿

銅像の人」カテゴリの最新記事