素麺の三大産地は「播州」「奈良」「小豆島」だが、
近辺では小坂(鴨方)尾坂(笠岡)矢掛の三カ所が三大産地といわれている。
管理人は自称・素麺道1級だが、食べるのは、いつも地元の素麺と決まっている。
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「鴨方町史・民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
素麺
製粉
この地方では小麦粉を製造するために水車が利用された。
最盛期の明治末ごろには、
杉谷川沿いに60カ所あまりが階段状に並び、
コットン、コットンと音をたてて稼働していた。
近隣からも製粉にしてもらう人々が、小麦を持って来ていた。
大正2年電気を動力とする自家製粉へ変化した。
昭和38年以降は、自家製粉の小麦粉から、大手製粉会社の小麦粉を使用し現在に至っている。
素麺作り
素麺作りは、12月から3月まで行われる。
以前は、4月1日からは杉谷川の用水を農業用水として利用するため、
この期日は厳しく守られていた。
素麺作りをする人の朝は早い。
朝の5時ごろから始まる。
なかたて・こね・いたび・ほそめ・こなし・こびき・門干し・小割り・結束と、
作業は連続して行われる。
素麺は天候に左右されやすく、
雨が降りそうになれば門干している素麺を納屋に入れ、
なかだては天気を考えながら食塩水を調合するなど、
気苦労の絶えない仕事である。
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「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行
そうめん掛け場唄
小麦ができ、粉をひく水車が利用できたこと、冬場に晴天の日が多い—
こういう好条件が矢掛町・鴨方町・笠岡市を中心とした地域に、
手延べそうめん作りを発達させた。
昭和15、16年ごろは最盛期で150軒もあった。
鴨方町
何の因果で そうめん職習うた
せめて朝まで寝る職に
掛けても掛けても 柴灯の量(かさ)減らぬ
誰が持て来て入れるのか
誰も持て来て入れるじゃないが
お手がにぶけりゃ減りません
矢掛町
アー歌い出したぞ
アーそうめん屋のちょんが
朝の寝声で細々と
アーそうめんなさらにゃ
アーほかに職はないか
せめて朝まで寝る職に
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撮影日・2013.4.16 (浅口市鴨方町)
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