しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

シーボルト「江戸参府旅行日記」下関から室津への旅(日比~室津~大坂)

2021年10月03日 | 「江戸参府紀行」ケンペル&シーボルト
シーボルト「江戸参府旅行日記」 三 下関から室への旅(日比~室津~大坂)





(日比港)


1826年(文政9)
3月6日(旧1月28日)


早朝上陸


(日比五丁目)


日比と向日比をコンパス観測。

向日比の前方で大槌島の東南端に、大きな砂州が広がっている。


(渋川から見る大槌島)


スチュレル大佐は一行は鉱物を採集し、その他地質学上の調査を行った。





(玉野市日比、御崎神社の秋祭り)




われわれは日比と向日比の間の海岸に沿っている塩田の方にでかけた。
村々にはナンテンがたくさん植えてあった。
小さな庭には背の低い竹垣がめぐらせてあった。
ソテツとシュロはまれな植物である。
日比の塩田は非常に注目すべきものである。

海の塩はこのあたりでは太陽で蒸発させる方法で塩水から精製される。
これは日本における唯一の、一般に行われている製塩の方法である。
ヨーロッパと比べ完全度がはるかに高い。
それにはたくさんの独特な点がある。
ここにその記述を続けたいと思う。



(塩田に、大正時代三井造船が進出した)




---塩田作業記述省略----


日比と向日比の住民の裕福な暮らしはひときわ目立っている。
人々はわれわれを珍しげに眺めていた。
彼らから、まだ一度もオランダ人がこの土地を訪れたことはなかったということを聞いた。

海岸でタコを捕る巧妙な漁法を見た。
貝の巣にはいりこんでつかまってしまう。

船は出帆しなければならない。
風と潮流にさからっているので、30隻の引き船を要請する。
しかし日比の入江を出るとすぐに錨を降ろした。



3月7日(旧1月29日)


夜明けと共に錨を揚げた。
昨日の引き船で海上に出る。


(宇野港)



8時ごろ西南の順風にめぐまれ、引き船を返す。





(日生諸島・大多府島)



右舷に大島・塩俵島・小豊島シュデシマを見て進み、大きな小豆島を見て停船。



(小豆島)





この場所でクロノメーターによる経度の測定を行う。
われわれはグリニッジ東経133度54分に位置していた。
日本人の図解的な地図や海図はこの島の多い海域でたいへん役立つ。





室の海岸の沖合1里まで進み、そこで準備していた引き船が助けに来て港へわれわれを引いていった。
ホテルは九州の大名が参勤の途上に訪れる普通の宿である。


(室津湾)



(室津港)



部屋、ことに大名用の客間は非常に簡素であるが、驚くほどさっぱりしていて、趣味豊かに造られ設備されている。
わずか2~3の調度で飾られているだけであるから、なおさら目につくのである。

使節は大名の部屋にはいった。
部屋は三つあって、控えの間と、その両側に1室ずつある。



(室津)







3月8日(旧1月30日)

午前中は経度・緯度の観測ならびに来客や診断に費やした。
われわれは室の港を見物した。
番所があり、巨大な石で築いた石垣のうえに、港の入口を掃射する砲台が作られている。
港には50隻以上の船が並んで停泊していた。
山根崎に登った。



(室津の賀茂神社)


(室津の賀茂神社)




(室津の賀茂神社の前方、家島諸島)



前方には家島群島が、その背後には淡路島が横たわり、右手に小豆島、遥か彼方に四国の連山が雪をいただいた高い峰がそびえていた。
住民たちの住まいはあまり裕福でない様子だったのは意外である。




・・・・・




九州や西日本の大名たちがしばしば江戸参勤の途上ここに上陸し、それからこの地方の有名な神社仏閣に詣でて、陸路大坂への旅をつづけるからである。
明日われわれは、この地方で有名な聖地に向かって巡礼の旅にたち、
さらに陸路大坂まで旅をつづける。




(竜野)



(姫路・灘)



(姫路城)



(明石・魚の棚)



(神戸)




(尼崎・えびす神社)




(西宮)




(大坂)






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