しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

役行者

2023年10月06日 | 銅像の人

場所・岡山県倉敷市林  五流尊瀧院 

 

役行者(えんのぎょうじゃ)は、役小角とも呼ばれ、山伏の祖とされる。
修験道と古代の呪術師で各地に伝説が残る謎が多い人。
7~8世紀に大和を中心に活動したようだ。

 

 

「鴨方町史・民俗編」 鴨方町  昭和60年発行

山伏

山上様(行者様)
山上様とは、本来、奈良県吉野郡にある大峯山系の山上ヶ岳を意味するものであるが、
普通は、
修験道の開宗といわれる役小角(えんのおずぬ)を指す。
鴨方町あたりからもこの山上ヶ岳に登拝する風習が、江戸時代には存在した。
また、町内の各地に役小角を祭って山上様と称し、
山上様の祭られている堂を山上堂(行者堂)ともいった。
町内には、山上講をいまも続けている地区もある。

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「新修倉敷市史第八巻自然・風土・民俗」 倉敷市 1996年発行

修験の里

山伏の宗教を修験道(しゅげんどう)という。
伝説では7世紀末から8世紀初頭の人・役行者(役小角)を開祖とするが、
実際は日本古来の山岳信仰と平安初期に唐より伝来した密教(呪術的仏教)が融合して成立したものである。

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撮影日・2023.10.5

 

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禅海和尚

2023年10月06日 | 銅像の人

場所・大分県中津市本耶馬渓町曽木 青の洞門

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大分県HP

青の洞門/禅海和尚

天下の名勝・耶馬溪にあって羅漢寺とともに四季を通じて訪れる人の絶えないところであるが、
ここには時の流れを超えて後世に語り継がれる物語がある。
「江戸で人をあやめた禅海が、諸国巡礼の途中、この地で鎖渡しの難所に苦しむ人々を見て隧路開さくを決意。
風雪にも、嘲笑にも屈することなく、大岩盤に挑むこと30年、ついに洞門を完成させる」。
大正8年、菊池寛が小説「恩讐の彼方に」のモチーフにも使った禅僧海の物語である

 

 

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「恩讐の彼方に」  中央公論 菊池寛

心の底から湧き出ずる歓喜に泣く凋びた老僧を見ていると、
彼を敵として殺すことなどは、思い及ばぬことであった。
敵を討つなどという心よりも、
このかよわい人間の双の腕によって成し遂げられた偉業に対する驚異と感激の心とで、胸がいっぱいであった。
彼はいざり寄りながら、再び老僧の手をとった。
二人はそこにすべてを忘れて、感激の涙にむせび合うたのであった。

 

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撮影日・2007.5.4

 

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屋上ビアガーデン

2023年10月06日 | 失われた仕事

ビアガーデンは楽しいが、自分から行ったことはない。
一人で行くところでなく、二人でも行くところではない。
最低三人は要るような気がする。
行くのは誘われたり、会の行事等で利用していた。

利用がいちばん多いのは福山駅屋上サントークのビアガーデン。
飲酒運転が厳しくなってからは、
お酒を外で飲むは駅から近い店が条件となった。

独身のころ、
鹿児島市の宇宿町というところに住んでいた時、
夏の夜は毎晩、ビアガーデンに行っていた。
宿舎の近くにビアガーデンがあった。
近くといっても歩く距離でなく、車で5分くらいの距離。
3~4人で車で行って、車で戻っていた。
当時はまだ宿舎に冷房というものがない時代で、ビールを飲まないと寝られなかった(←ほんと)。
宇宿町にあるそのお店は、小さな三階建てのビルで、その屋上に小さなビアガーデンがあった。
ビアガーデンの明かりも小さくで、ほの暗かった。
生暖かい夜風に吹かれながらビールを飲む。
何杯か飲んだ後、気持ちよく、警察がいない裏道を通って帰っていた。

その頃は、どんな小さな町でも飲食ビル屋上には提灯がぶらさがっていた。
今は天気に関係のないビアホールが主流になっているようだ。
福山駅サントーク屋上ビアガーデンも、とうの昔廃止されてしまった。

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「失われゆく娯楽の図鑑」  藤木TDC グラフィック社 2022年発行

仕事帰りに、ビルの屋上で、キンキンに冷えた生ビールをあおる極上のひととき。
「ちょっと寄っていくか」が屋上ビアガーデンの楽しみだった。
屋上ビアガーデンが人気を博したのは昭和40年代前半まで。
まだ家庭内にエアコンが普及してない時代である。

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